dmenuニュースより
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20200501-0212?fm=d
この悲報に、朝からいっぺんに全身の力が抜ける。
支那疫病のためにこの感覺を味あはされたのは、志村けんさんに續いて二人目。
善竹富太郎師は、私のもっとも好きな狂言方だ。
またしても、支那疫病は大事な人を奪った!
堂々たる体躯にして愛嬌に溢れ、揚幕から橋掛りに現れただけでもう笑ひがこみ上げてくる、そんな「出て来ただけで笑ひをとれる」稀有な存在だ。
とくに、金春流の「邯鄲」で観たアイの宿屋の女主人などは、あの体躯に振り分け髪の鬘が不思議とよく似合ひ、まるで現實にいる“肝っ玉母ちゃん”そのものな容姿にたまらなく可笑しさがこみ上げ、しばらくシテそっちのけで魅入ってゐたものだ。
あの宿屋の女主人が、いくつか観た舞台のなかで最高傑作だったかもしれない。
また、平成三十年九月に神奈川県横浜市の磯子公会堂で上演された無料公演は、
「狂言をより多くの人に知って樂しんでもらひたい」といふ熱意をもって行はれた企画で、事實さうした思ひの結實した好舞台だった。
狂言を演じる傅統藝能家として、正しい認識をお持ちの方なのだ。
いま、特効薬とされてゐるものが感染者に投与され始めてゐる云々。
善竹富太郎師にこそ、投与されるべきだったと残念でならない。
志村けんさんの時と云ひ、どうしてかうも巡り合はせが惡いのだ!
代役など掃ひて捨てるほどいる女子アナだの、實際には沖縄でゴルフにうつつを抜かしてゐた色男だの、そんなもの放っておけば良いのだ!
私はこれで、ますます著名人の誰が助かっても嬉しく思はないだらう。
そして私はしばらく、外には出ないはうが良ささうだ。
感染防止云々より、相も変はらずうそぶいた面相(ツラ)で道を徘徊する太平樂どもに、「なんでオマエなんかが生きてんだ!」と、本気で怒鳴りさうになるからだ。
實際、志村けんさんの時がさうだった。
しかし、そんなことは故人がもっとも望まないことは、理解してゐる。
現代手猿樂の次の新作は、「すゑひろかり」に續いて狂言から題材を得やうかなと、資料探しをはじめた矢先にこの悲報。
なぜ、素晴らしい人ほど連れて行く?
「峻別」の意味を間違へてゐるぞ。
合掌