町田市立國際版画美術館の企画展「版画×写真 1839-1900」を觀る。1839年、磨いた金属板に薬品を塗りつけるなど化学反應を利用して画像を冩し出す、“ダゲレオタイプ”と云ふ冩真技術が誕生すると、それまで冩實藝術の王道だった版画はその地位を揺るがされるやうになる。しかし、ダゲレオタイプ版は複製が作れないこと、撮影に時間を要することからその瞬間の光景は冩し取れないと云った欠點を補ふことに活路を見出 . . . 本文を読む
五島美術館の特別展「西行 語り継がれる漂泊の歌詠み」を觀る。能の「西行櫻」、また「江口」から取材した長唄「時雨西行」、そして岡本綺堂の戯曲「佐々木高綱」では“涙もろい男”と揶揄されてゐることなどで私にも馴染みある西行法師、しかし二十三歳で佐藤憲清の名と北面武士の職を棄てて出家したと云ふほかは經歴がはっきりせず、遺された和歌(うた)を元にほとんどが傳説化された挿話に彩られた、平安末期の放浪歌人。そん . . . 本文を読む
深夜に、外からの甲高い音で目を覺まされる。春頃に一度このブログで話したことのある、我が町内にいつの間にか棲みついた“メス型人面獣”が、仲間割れでもおこしたらしく、大喧嘩の咆哮を上げてゐるのだった。平日の深夜といふ時間帯もお構ひなしに、近所迷惑な咆哮を上げるあたりはさすが、夜行獣の面目躍如たるものがある。しょせんケモノだと思ってゐれば、その程度の知能だからと、全く腹も立たぬ。同じニンゲンだと思ふから . . . 本文を読む
國立演藝場の演藝資料展示室にて、企画展『曽我廼家五郎──「喜劇」の誕生』を觀る。 “曽我廼家”と聞くと上方系喜劇の役者を連想するが、曽我廼家五郎は十郎と共にその始祖であり、また「喜劇」と云ふ語の元祖云々。明治三十五年(1902年)、上方歌舞伎の大部屋役者だった中村珊之助は、旅公演先で中村時蔵──のちの三代目中村歌六──の同じ大部屋弟子だった中村時代と出會って意氣投合、二年後の明治三十七年(190 . . . 本文を読む
今日から東京都内のタクシー運賃が、初乗り¥500に値上げ云々。人件費、そしてアプリ決済機器の設置などで、費用が嵩んでゐるため云々。普段まず乗らないので、私のフトコロにはなんら影響はない。むしろ、来春からの鐵道運賃値上げのはうが、私には大問題だ。今や、便乗値上げしてゐないものを見つけることのはうが難しい。町なかで、いつか訪ねたことのある寺を見る。あの時は駆け足で、今日は時間が許さなくて。さうしてお次 . . . 本文を読む
ラジオ放送で、寶生流の「小督」を聴く。やがては平清盛と云ふ強權者に睨まれて儚く散る、若き男女の戀の話し。嵯峨野に身を隠した小督を探し求める高倉天皇の使者源仲國が、そのよすがとしたのが、彼女の爪彈く「想夫戀」の曲。私も雅樂の原曲は聴いたことがあるが、確かに解説者の云ふとほり、箏は笙や篳篥の主奏にのせて「バラバラン」と奏でる樂器なので、箏の部分のみを“曲”として聞いたのでは、誰が彈じてゐるはわかりにく . . . 本文を読む
散歩途中にスーパーマーケットに立ち寄ると、店頭では早くも正月飾りが賣られてゐて、その氣の早さに呆れる。……が、まだ十一月半ばだと思ってゐるとすぐに下旬となって、十二月になる。月日の流れは思ったより急流である。十二月に入ったら早めに来年のカレンダーと手帳を買ふつもりでゐないと、いざその時になって氣に入ったものを買ひそびれたりする。そろそろ、来(きた)る年への心積りを──店もそのあたりを狙っての早賣り . . . 本文を読む
マスクをする前に、朝の空氣を味はふ。朝、昼、晩と、空氣には三つの味がある。朝は、活力の味。なんであれ、今日も生きやうと云ふ心にさせる味。訪ねた町で、神社に逢ふ。逢ふは御縁。なれば、願ひ事はただ一つ。内閣改造後、やうやく失言大臣の第一號が現はる。死刑執行担當大臣氏、おのれの職務に不満を洩らす。この失言騒動について為政者代表は初め、「大臣を交代させるつもりはない」──つまり . . . 本文を読む
國立劇場の傳統藝能情報館にて、「国立劇場所蔵 上方浮世絵展」を觀る。國立劇場が長年にわたりコツコツと蒐集してきた上方浮世繪より、嵐家のご先祖に重點をおいて觀ていく。(※展示物の撮影可)上方劇壇の名門だった嵐家も明治頃までが全盛期で、大正時代には四天王寺に立派なお墓を残して、今は昔となりぬ。その後は興行會社の意向により、何度か名跡の復活は行はれたが結局は振るはず、五代目のときに前進座へ . . . 本文を読む
東京都文京區の凸版印刷株式會社内にある印刷博物館にて、「地図と印刷」展を觀る。鎌倉時代に經典を刷ることから發達した日本の印刷技術は、江戸時代に入ると地図の印刷にも関はり、より實証性を追究する學問の發展に合はせて、現代の地図に近い精密さを持つ日本地図がつくられるやうになる。伊能忠敬以前に、すでにさうした地図が刷りられてゐたことに驚くと同時に、人工衞星もない時代にこれだけの精密な情報を學 . . . 本文を読む
朝から樂しみにしてゐた、皆既月食を觀る。……と云っても夕方から始めた資料整理につひ時間を忘れ、ふと時計を見ると18時半を過ぎてゐて、「あ、さうだった!」と整理を切り上げて外に出る。満月はすでに半分が隠れており、それから三十分ちょっとで完全に隠れて、赤黒い不思議な色になる。天体や気象の情報に乏しかった時代の人々は、この満月の表情をどんな思ひで見上げてゐたのだらう──冷たくなってきた風に . . . 本文を読む
駐車場脇の道を通ると、クルマの下で一匹の小さな猫が仰向けに倒れてゐるのが目にとまり、死んでゐるのかと思はず足もとまる。が、ほどなく小さな猫はパチパチと瞬(まばた)きをしながら、私を見つめ返してきた。いはゆる“へそ天”で、日なたぼっこをしてゐただけのやうだ。微笑を誘はれて通り過ぎ、三十分ほどして再びその道を帰って来たときには、まう猫はゐなくなってゐた。 . . . 本文を読む
ラジオ放送で、觀世流「松風」を聴く。在原行平の寵愛をうけた須磨浦の汐汲み姉妹は、靈となったのちも行平への戀慕止みがたく、姉娘は形見の烏帽子狩衣を身に纏ひ、濱辺の松を行平と勘違ひして狂亂的慕情を迸(ほとば)しらせる──世阿彌が古作に手を加え型を整へたと傅はる自信作で、思へば私が學生時代に初めて生で觀た能がこの曲であり、シテは先代の觀世銕之丞であったと記憶してゐる。その後、愛好者の高齢女性がこの大曲を . . . 本文を読む
今年もそろそろかな……、と思ひながら公園へ散歩に行くと、この時期のお樂しみの菊花大會が、やはり開かれてゐた。なにがどのやうに良いのか、専門的なことは全くわからないが、それぞれが丹精を込めて育てた菊を、きれいだな、と素直に觀賞する心だけは持ってゐるつもりだ。ものを見ると云ふことは、本来さういふものであって良いはずなのだ。園内を歩いてゐると、寒櫻にも逢ふ。サクラとは元来、冬に咲く高山植物であったと聞く . . . 本文を読む
今秋には行くと決めてゐた、箱根の大涌谷へ行く。昼頃に到着した時、日差しは暖かなれど冷たい風がやや強し。觀光客は思ったほどは多くなく、外國人旅行者もチラホラなれど、色々な國からやって来たその人種の違ひが、景色に彩りを添へてゐる。富士山はニッポンの觀光に相應しく秋空に青々と映ゆれど、しばらくすると雲霞に紛れてしまひ、着いてすぐ冩真に撮っておいてよかったと思ふ。かつては“地獄谷”と云った當地を、現在の“ . . . 本文を読む