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昨日全日空グループの国内線予約・発券システムにトラブルが発生して多数の便が欠航・遅延し、終日空港は混乱したようです。
コンピュータ社会である現代、システム障害は大規模な混乱に直結します。
まだ記憶に新しいところでは、銀行合併に伴うシステム統合がスムーズにいかず、経営責任を問われる場面もありました。
私は今の仕事に就く前ある大きな政府系の組織で働いており、一時期システム運用関連の部署にいたことがあります。
政府系の組織のため、業務に関する内容は国会・政府・監督官庁のレベルで決定されますが、当然のことながらその際“そのような変更のためにどれだけシステムレベルの準備期間が必要か?”といった面は全く考慮されません。
政策的に「何月何日スタート」と決定されます。
“偉い人”はコンピュータなんて「こうしなさい」と決めたら魔法のようにすぐさま実現すると考えているのでしょう。
と言うより、そのような準備の必要性の発想がないのでしょう。
その期限にあわせて間に合うように準備するわけですが、スタート日直前に外注先のシステム開発会社に泊まりこんで徹夜でテスト・確認作業することもあって、「当面がしのげればそれでいい」「その先は走りながら考えよう」という泥縄もいいところでした。
その後それらのデータがどうなったか、職を辞めたので関係なくなりましたが、あまり考えたくないのが本音です。
銀行合併時のシステム障害など聞くと、「多分現場の希望・事情など全く考慮されないんだろうね・・・」と同情します。
社保庁の“消えた年金”みたいな問題の背景にも、こうしたシステム運用現場の実態があるかもしれません。
今後は組織のトップもある程度そこらへんを考慮しないと。
経営責任や内閣支持率にも影響しますから。
もうひとつシステム関係で感じたのは、コンピュータ管理が日常化すると人間の処理・判断能力が低下して“コンピュータまかせ”的な状態にもなりかねないということです。
本来“こうすべき”というものがあってそれをコンピュータ処理にのせたはずなのですが、いつのまにか“コンピュータでどう処理されるのか”だけが一人歩き始め、“本来どう処理されるべきなのか”を考えようとしない現象が出始めます。
今の小さな職場でも事情は同様で、「コンピュータでこう処理されるから・・・」「いやそうじゃなくて、本来どう処理されるべきなの?」なんてやりとりをときどきしています。
同時にコンピュータがやってくれている作業は次第にブラックボックス化して、処理の中身については忘れてしまって段々わからなくなる、処理結果を信用して使うだけになってしまいますね。
私自身業務で使っているコンピュータが止まったら、「手処理はもうよくわからないし、面倒でやる気もしない・・」ってところです。
写真は今年正月旅行したミャンマー第一の都市、ヤンゴンの空港のチケットカウンター。
ヤンゴンの空港はフライトの案内表示などが一切ありません。
機内に乗れる時間になるとプラカードを持った人間が「××航空 ○○便 どこそこ行き」と叫ぶので、それにあわせて待合室の乗客がいっせいに動きだします。
大体各社同じ時間帯のフライトになっているので(トラブルがあったときの振り替え対策だとともガイドブックにありました。)、人の動きがあるたびに自分の便かどうかと確認作業が必要になります。
まあ、人間的だと言えば言えなくもありません。
http://4travel.jp/traveler/azianokaze/album/10117298/
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