前に、この本のことは、改めて書きますと言っていた。
三回読みました。深く感動しました。
著者の工藤恵美子さんには個々の詩篇への感想も書きましたが、ここではそれは省き、出し
た礼状の一部を上げます。
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貴重な詩集『光る澪 テニアン島Ⅱ』を御恵贈頂きましてありがとうございました。
一読して、これはただならぬ詩集と思いました。前の『テニアン島』に増して重い詩集と感じました。じっくりと読ませて頂きました。お礼が遅くなりました。申し訳ありません。
再読して、やはり、今の世界で重要な詩集と思いました。
三読してやっとこのような感想を書くことになりました。これでもまだ書き足りませんが、取りあえずお送りさせて頂きます。
ホントにいい詩集を読ませて頂きました。なんと言って感謝していいか分かりません。
改めて工藤さんの詩業に頭を垂れます。
わたし近頃、歳のせいか涙もろくなっているとは言え、詩集を読んで涙することはまずないのですが、この詩集には泣かされました。
そして、あとがきの最後の一行、「この詩集を、テニアン島に眠る父と、九十六歳の母に捧げます。」を読んで涙があふれてしまいました。
ありがとうございました。この詩集、すべての日本人に読んでもらいたいです。いや、世界中の人々に読んでもらいたいです。
詩壇という変なものに、詩集賞があります。工藤さんは全くそんなものを意識して書いてはおられないことはよく分かっております。だけどこれは、大きな賞を受けてしかるべき本だと思っています。詩集賞などという小さなものではない、もっともっと世の中に影響を与えるような賞を。
わたしはこの本を「詩集」という名前でくくってしまうのは残念です。今の世の中、詩集というだけで敬遠される状況があります。一般の読み物として出した方が良かったのではないかと思ったりします。その方が世間に広まる可能性が有ったのではないかと。
これは私の個人的な感想です。そのようなことによってこの本の価値が変わることでは全くないことは言うまでもありません。
色々つまらぬことを書きました。お許しください。
どうかお元気でお母様孝行をなさって下さい。
追伸
なんともシンプルなカバー装画に興味がわき、岡芙三子さんをネットで調べましたら下記のような記事が出て納得しました。この本によく合っていると思いました。
<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"></shapetype><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 10.5pt; HEIGHT: 11.25pt; mso-wrap-distance-left: 1.5pt; mso-wrap-distance-right: 1.5pt"></shape><imagedata o:href="http://www.img.just.st/emoji/imode/140.png" src="file:///C:UsersIMAMUR~1AppDataLocalTempmsohtmlclip11clip_image001.gif"></imagedata>作家のコメント
水とアクリルえのぐと溶かした蝋を何度も画面に流し、最後に脱蝋して初めて自分の絵と対面するという手法によるもので、出来るだけ意識を排除することを信条としています。
シンプルな画面によって“存在”を追求し、小さな自分が“世界と一体であること”を表現できればと願っています。
この詩集の絵がこのような手法によって描かれたものかどうかは分かりませんが、このような意識を持った人なのだということで。
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中の一篇だけアップします。お読みください。
←左クリックして読んで下さいね。
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「輪」はただいま夏季休暇を頂いております。
先ほども弁当注文して下さる電話がありましたが、申しわけありません。
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今日は、日航機墜落から25周年です。
あの時TVニュースで乗客の名前がカタカナで発表されました。
その中に、わたしと同姓同名の人が有りました。年齢も同じでした。直後からうち
の電話が何度も鳴りました。「お前は飛行機嫌いやからまさかとは思たけど」と。
自分でもなにか変な気がしたものです。あくる朝には直接わたしの安否を確認に来
る人も多くありました。「おおっ!生きとったか」と。朝刊の記事も乗客名簿はま
だカタカナ発表でした
心臓病で入院中の足立巻一先生が「わたしの教え子が乗っていた」と新聞を傍らに
ベッドでショックを受けておられたと後に聞きました。先生はその二日後、8月14日
に亡くなられました。
御巣鷹山と足立先生のことはニュースの度に重なります。