前の記事で「火曜日」92号のことを書いた。
ついでに、それに載っている「滉よ」を。
2007年11月発行だから、8年前です。
「滉よ」より
実験
くるくると回っている
同じ場所で
くるくると回っている
初めての体験
目が回るのを確認している
これはなんだろう と思っている
体がふわふわして
どこかに吸い寄せられるような
わけのわからない感覚。
それを確認して
一旦止まり
やがてまた回り始める
次は逆回転だ
ふらふらしてきたら
また止まって しばらく考え込んでいる。
これは何だ
この正体は何なのだと
何度も何度も
右回転左回転を繰り返して
自分の体に起こる
この不思議な出来事を
試している。
(二歳)
いたずら
爺の靴を持ち去って隠している
ダメ!と言うとよけいにやる
ダメと言えば言うほど
喜んでやる
トマトみたいな顔で笑っている
こんなにおもしろいことがあろうかと
爺の反応を楽しみながらやる
叱れば叱るほど楽しそうだ。
(二歳二カ月)
プライド
素直な子だったのに
「ごめんなさい」を言わなくなった
「ごめんなさいは?」と言っても
無視する
ほかの言葉は何でも言うのに
「ありがとう」や「おかえりなさい」は
素直に言えるのに
「ごめんなさい」だけは言わない
何度も強いると
素知らぬ顔で絵本を開いて指さし
「ワンワン」とか言って話をそらす
「ごめんなさい」という言葉には
へりくだる姿勢があると気づいたのだ
へりくだる理由が納得できないのだ
「ごめんなさい」と許しを乞う理由が
滉には解らないのだ。
(二歳二カ月)
意地悪
仏壇の前で爺がお経を始めると
滉は爺の横に座り
合掌し木魚をたたく
爺は鐘をたたく
すると滉は
撞木を爺から取り上げ
今度は鐘をたたく
爺が木魚をたたく
滉はあわてて木魚をたたく
爺が鐘をたたく
滉はどちらも自分がやりたくて
木魚の撞木を遠くに
爺に取られないように
ずーっと前の方に置いてから
鐘の撞木を取った。
(二歳三カ月)
この時の滉が、今の文実と同い年だ。
文実は今、これほどしゃべれない。
言葉の習得は滉の方が大分早い。
しかし咲友はもっと早かった。
個人差が大きい。
因みにこの号の「すくらんぶる」(あとがきのようなもの)にわたしは次のように書いている。
≪孫を見ていて、その成長ぶりに感心する。次々と訪れる成長の節目がおもしろくて仕方がない。自分の子どもの時には気づかなかった節目が無数にある。その感動を書き残しているのだが、私家版の詩集がもう七冊にもなった。その中から選んでこの「火曜日」に発表しているのだが、取捨に迷う。≫
この時はまだ孫は一人だった。今五人。
ついでに、それに載っている「滉よ」を。
2007年11月発行だから、8年前です。
「滉よ」より
実験
くるくると回っている
同じ場所で
くるくると回っている
初めての体験
目が回るのを確認している
これはなんだろう と思っている
体がふわふわして
どこかに吸い寄せられるような
わけのわからない感覚。
それを確認して
一旦止まり
やがてまた回り始める
次は逆回転だ
ふらふらしてきたら
また止まって しばらく考え込んでいる。
これは何だ
この正体は何なのだと
何度も何度も
右回転左回転を繰り返して
自分の体に起こる
この不思議な出来事を
試している。
(二歳)
いたずら
爺の靴を持ち去って隠している
ダメ!と言うとよけいにやる
ダメと言えば言うほど
喜んでやる
トマトみたいな顔で笑っている
こんなにおもしろいことがあろうかと
爺の反応を楽しみながらやる
叱れば叱るほど楽しそうだ。
(二歳二カ月)
プライド
素直な子だったのに
「ごめんなさい」を言わなくなった
「ごめんなさいは?」と言っても
無視する
ほかの言葉は何でも言うのに
「ありがとう」や「おかえりなさい」は
素直に言えるのに
「ごめんなさい」だけは言わない
何度も強いると
素知らぬ顔で絵本を開いて指さし
「ワンワン」とか言って話をそらす
「ごめんなさい」という言葉には
へりくだる姿勢があると気づいたのだ
へりくだる理由が納得できないのだ
「ごめんなさい」と許しを乞う理由が
滉には解らないのだ。
(二歳二カ月)
意地悪
仏壇の前で爺がお経を始めると
滉は爺の横に座り
合掌し木魚をたたく
爺は鐘をたたく
すると滉は
撞木を爺から取り上げ
今度は鐘をたたく
爺が木魚をたたく
滉はあわてて木魚をたたく
爺が鐘をたたく
滉はどちらも自分がやりたくて
木魚の撞木を遠くに
爺に取られないように
ずーっと前の方に置いてから
鐘の撞木を取った。
(二歳三カ月)
この時の滉が、今の文実と同い年だ。
文実は今、これほどしゃべれない。
言葉の習得は滉の方が大分早い。
しかし咲友はもっと早かった。
個人差が大きい。
因みにこの号の「すくらんぶる」(あとがきのようなもの)にわたしは次のように書いている。
≪孫を見ていて、その成長ぶりに感心する。次々と訪れる成長の節目がおもしろくて仕方がない。自分の子どもの時には気づかなかった節目が無数にある。その感動を書き残しているのだが、私家版の詩集がもう七冊にもなった。その中から選んでこの「火曜日」に発表しているのだが、取捨に迷う。≫
この時はまだ孫は一人だった。今五人。