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『甲陽史学会 著作目録』

2016-02-02 11:36:34 | アート・文化
これはスゴイ本です。
こんなのがあるなんてわたし知りませんでした。

『甲陽史学会 著作目録』(甲陽史学会記念事業会刊)
昭和60年の発行です。
調べてみると西宮図書館が架蔵してます。
この本、田岡香逸さんのご子息、田岡春夫さんにお借りしました。
香逸さん、夥しい論文を書いておられる。
素晴らしいお仕事をなさってきたとは知っていたが、これほどだとは思っていなかった。
この種の論文には大変な裏付け仕事が後ろに潜んでいるのは言うまでもありません。
わたしは西宮の恩人ではないかと思っている。今の郷土史家さんはどうなんだろう。まあ、ここまでやる人はいないでしょうねえ。今活躍されてる人はみなさん、田岡さんのご苦労の上に乗っておられるのでは?文献など引用されたらちゃんと出典を記すべきでしょうが、怠っておられる人はないでしょうか?

田岡さんは、驚くなかれ、西宮だけではなく広く県下全般。そして滋賀県など県外にまでも調査の足をのばしておられる。
驚いたのは、わたしの家内のお姉さんの嫁ぎ先の豊岡市法花寺にある酒垂神社にまで調査に行っておられる。

そして、あの高名な民俗学者、宮本常一との深い交流。
また宮本を通じての渋沢敬三との交流もあったとは!
西宮の郷土史を勉強する人ならだれでもご存知なのだろうが、恥ずかしながらわたし、知りませんでした。

心温まる箇所をちょっと紹介します。田岡さんの談話です。
この本を貸して下さった春夫さんが登場します。

≪高井君や宮川君は学校の勤務があるから、毎週土曜日、日曜日に行くことはできない。高井君や宮川君が手がすくといえば、出かけるときは、朝、家を出る時は暗いうちに出て、加古川あたりにはたいてい七時半ぐらいに行っている。丹波へ行くにも朝一番の電車で、宝塚から乗るのは六時半か、そのころの汽車に乗って多紀郡や氷上郡に出て行く。あるいは但馬へもそれで出て行くようにして、時間をできるだけ寸分惜しんで調査する。高井君も宮川君も昼飯食べずに調査したことは何遍でもある。うちの春夫でも、小さい時分からそれを見ているから、弁当を持っていっても、「お父さん、もうこれやってしまおう。残ったら、また来んならん。やってしまおう」と言って、持って行った弁当をそのまま持って帰ったことは何遍でもある。小さい、まだ小学校へ行っていた時でも。≫

春夫さんから、ある程度お話はお聞きしていたが、わたしは漠然と聞いていた。今これを読んで、真実味を感じています。
こんな写真が載っています。

まだ小学生らしき春夫さんが写ってます。
昭和34年夏とあります。ということは春夫さん、まだ8歳だ。小学2年か3年ぐらい。
こんなころからお手伝いをしておられたのです。
この前お会いしたとき、ある程度のお話はお聞きしたが、まだまだ聞いておかなければならないだろうなあ。

この本、ほかにも貴重な記事が載ってます。
宮本常一さんの「私の学んだ人―田岡香逸」もいいし、ご自身が語られた「甲陽史学会の夢」も面白く興味深い。また、先年文化勲章を受けられた脇田晴子さんの「甲陽史学会初期のころと私」も貴重だ。「田岡のおじさん」と文章は始まる。
脇田さんのこと、西宮市はもっとアピールしなくては。上層部の職員にその教養がなければ仕方ないか。
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「富田砕花翁  Ⅰ」

2016-02-02 10:37:52 | 神戸っ子
『KOBECCO』2月号が出ています。
今号の「触媒のうた」は「富田砕花翁 Ⅰ」と題して書かせてもらってます。
「神戸っ子」のHPから立ち読みできますのでよろしく。

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