50年前の写真の二枚目。
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これは涙が出るほど懐かしい。
こんな写真があったなんて本当に驚き。
これも、前の店先の写真と同じ時に撮られている。
店の前のスバルサンバーが同じ位置に同じ方(西)を向いて止まっている。
その向こうの黒い板塀は「日本盛」の酒蔵だ。
二階建だが大きな建物で、普通の三階建ぐらいの高さがあった。
今はコンクリートの瓶詰め工場になっていて、しかし酒も不況で、しかも瓶は特に売れないからほとんど稼働していない。
真ん中にハカリ(計量機)があります。
これは100キロまで計れました。ボクサーが試合前に乗る台計りと同じ。
が、米は30㎏まででした。
というのも、お米は容器に入れなくてはならないので。
写っている真鍮の容器が30㎏しか入らないのです。
横に竹製の籠があります。なんとなく覚えている程度。
その下の紙袋は30㎏入った米の袋です。
車のない頃はこの30キロ紙袋を運搬自転車に3袋、多い時は4袋積んで走ったこともありました。染殿町にあった西宮中央病院に納入してましたので、一度に300㎏の注文がありました。
自転車が転倒して、紙袋がバッサリと破れて情けない思いをしたことも。
左端にある機械は精選機です。
俗に「石選り機」と呼んでました。
お米の中に混じっている小石を選り出すのです。
この機械が発明されるまでは、手と目で選っていたのです。
だから白い石は見逃し勝ちでした。
通し網の上で、手でシャラシャラと。
大変手間のかかる仕事でした。
あるいは斜面にガラスがあって、そのガラスの上を、お米を少しずつ滑らせながら選り出す、そんな道具もありました。
この精選機は石と米の比重差を利用して遠心力で選りわけるものでした。
これを導入して大変楽になったのでした。
その手前、カーブを描いているものがあります。
これは樽です。大きな樽の一部が写ってます。
高さ50センチばかり。直径は150センチ以上あったと思います。
米が入っているのです。
写真にもかすかに写ってます。
一番よく売れるコメがここに入っていて、すぐにハカリで計れるようになってます。
計りの上に「スクイ」が突き刺さってます。
あれで樽のお米をすくって計るのです。
ああ、こんなこと書いてたら懐かしさがこみ上げてきます。
写真の後ろの方に棚があります。
キッコーマンの醤油の瓶があります。
そう、醤油やソース、酢などの調味料も売ってました。
本日休業の札の左にある段ボール箱は小麦粉が入っている箱ですね。
日本製粉のハート印の小麦粉を売ってました。
そしてその横。レターケースがあります。
鎧戸を下ろしたような。これ、今も使ってます。
その上の棚、左端は「ポリライス」の箱です。
ビタミン強化米です。
その箱の上にあるのは多分タオル。うちの店の名前の入った、お客さんへのサービス品です。
その右にあるのが、「いの一番」の入ったプラスチックのケース。
「いの一番」が入ってます。
「いの一番」とは、タケダが出していた総合調味料。
これ、よく売りました。
「5’(ゴ、ダッシュ、リボヌクレオタイドナトリウム」なんて早口言葉のような言葉も覚えて販売促進しました。
これを売るコンクールを「タケダ食販」(親会社は武田薬品)がやって、温泉旅行に行ったりもしました。
古き良き時代でした。
この写真見ていると、忘れていたこといっぱい思い出します。
しかし米袋の上に無造作に集金カバンが置いてある。
なんかのんびりした感じが時代を表しているようで。
でも忙しかった。
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これは涙が出るほど懐かしい。
こんな写真があったなんて本当に驚き。
これも、前の店先の写真と同じ時に撮られている。
店の前のスバルサンバーが同じ位置に同じ方(西)を向いて止まっている。
その向こうの黒い板塀は「日本盛」の酒蔵だ。
二階建だが大きな建物で、普通の三階建ぐらいの高さがあった。
今はコンクリートの瓶詰め工場になっていて、しかし酒も不況で、しかも瓶は特に売れないからほとんど稼働していない。
真ん中にハカリ(計量機)があります。
これは100キロまで計れました。ボクサーが試合前に乗る台計りと同じ。
が、米は30㎏まででした。
というのも、お米は容器に入れなくてはならないので。
写っている真鍮の容器が30㎏しか入らないのです。
横に竹製の籠があります。なんとなく覚えている程度。
その下の紙袋は30㎏入った米の袋です。
車のない頃はこの30キロ紙袋を運搬自転車に3袋、多い時は4袋積んで走ったこともありました。染殿町にあった西宮中央病院に納入してましたので、一度に300㎏の注文がありました。
自転車が転倒して、紙袋がバッサリと破れて情けない思いをしたことも。
左端にある機械は精選機です。
俗に「石選り機」と呼んでました。
お米の中に混じっている小石を選り出すのです。
この機械が発明されるまでは、手と目で選っていたのです。
だから白い石は見逃し勝ちでした。
通し網の上で、手でシャラシャラと。
大変手間のかかる仕事でした。
あるいは斜面にガラスがあって、そのガラスの上を、お米を少しずつ滑らせながら選り出す、そんな道具もありました。
この精選機は石と米の比重差を利用して遠心力で選りわけるものでした。
これを導入して大変楽になったのでした。
その手前、カーブを描いているものがあります。
これは樽です。大きな樽の一部が写ってます。
高さ50センチばかり。直径は150センチ以上あったと思います。
米が入っているのです。
写真にもかすかに写ってます。
一番よく売れるコメがここに入っていて、すぐにハカリで計れるようになってます。
計りの上に「スクイ」が突き刺さってます。
あれで樽のお米をすくって計るのです。
ああ、こんなこと書いてたら懐かしさがこみ上げてきます。
写真の後ろの方に棚があります。
キッコーマンの醤油の瓶があります。
そう、醤油やソース、酢などの調味料も売ってました。
本日休業の札の左にある段ボール箱は小麦粉が入っている箱ですね。
日本製粉のハート印の小麦粉を売ってました。
そしてその横。レターケースがあります。
鎧戸を下ろしたような。これ、今も使ってます。
その上の棚、左端は「ポリライス」の箱です。
ビタミン強化米です。
その箱の上にあるのは多分タオル。うちの店の名前の入った、お客さんへのサービス品です。
その右にあるのが、「いの一番」の入ったプラスチックのケース。
「いの一番」が入ってます。
「いの一番」とは、タケダが出していた総合調味料。
これ、よく売りました。
「5’(ゴ、ダッシュ、リボヌクレオタイドナトリウム」なんて早口言葉のような言葉も覚えて販売促進しました。
これを売るコンクールを「タケダ食販」(親会社は武田薬品)がやって、温泉旅行に行ったりもしました。
古き良き時代でした。
この写真見ていると、忘れていたこといっぱい思い出します。
しかし米袋の上に無造作に集金カバンが置いてある。
なんかのんびりした感じが時代を表しているようで。
でも忙しかった。