寮美千子さんの『あふれでたのはやさしさだった』に載っている言葉。
《すぐれた詩作品があり、そんな詩にこそ価値があると思っていたわたしは、愚かな「詩のエリート主義者」だった。もちろん、世の中には、すぐれた詩作品がある。時を超え、国を超えて読み継がれる素晴らしい詩もある。でも、それにしか価値がないわけではない。
言葉の本来の目的は、人と人をつなげることだ。言葉を介して、互いに理解しあい、心を受けとめあうことだ。どんなに稚拙なものでも、そのとき、その言葉が、その場にいる人々の心に届き、響きあうのであれば、言葉としての役割を充分に果たしていることになる。それこそが、言葉のいちばん重要な使命であり、大切なことなのだ。たとえその言葉に普遍性のかけらもなかったとしても、少しも構わないのだ。だって、言葉は、すでにこの地上で人と人をつなぎ、喜びを生み出しているのだから。言葉として、それほど誇らしいことがあるだろうか。》
わたしは全面的にこの考えを支持します。
『コーヒーカップの耳』上に書いたような言葉がいっぱい詰まっている本。
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《すぐれた詩作品があり、そんな詩にこそ価値があると思っていたわたしは、愚かな「詩のエリート主義者」だった。もちろん、世の中には、すぐれた詩作品がある。時を超え、国を超えて読み継がれる素晴らしい詩もある。でも、それにしか価値がないわけではない。
言葉の本来の目的は、人と人をつなげることだ。言葉を介して、互いに理解しあい、心を受けとめあうことだ。どんなに稚拙なものでも、そのとき、その言葉が、その場にいる人々の心に届き、響きあうのであれば、言葉としての役割を充分に果たしていることになる。それこそが、言葉のいちばん重要な使命であり、大切なことなのだ。たとえその言葉に普遍性のかけらもなかったとしても、少しも構わないのだ。だって、言葉は、すでにこの地上で人と人をつなぎ、喜びを生み出しているのだから。言葉として、それほど誇らしいことがあるだろうか。》
わたしは全面的にこの考えを支持します。
『コーヒーカップの耳』上に書いたような言葉がいっぱい詰まっている本。