あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

明るいサイパンの暗い顔

2008-05-27 18:16:28 | 女性のひとり旅

ネットの百科事典「ウィキペディア」によると、

「サイパンの戦い」とは第二次世界大戦の末期1944/6/15から同年7/9の、約半月あまりの間に行われたアメリカ軍と日本軍の戦いのことです。この短い間に日本軍の戦死者25,000人、自決者5,000人、捕虜921人の損害がでたそうです。一方米軍の戦死者は3,500人でした。

 

写真:北部のスーサイドクリフ。ふもとには沖縄メモリアルパーク・ラストコマンドポスト・韓国平和記念公園があります。なぜ沖縄なのでしょう?断崖には米軍の砲弾跡が多数に。

 

「近代日本総合年表」によると戦死者日本陸軍約30,000人、海軍15,000人という説もあるようです。いずれにしても多くの人たちが短期間に亡くなり、その中でもバンザイクリフ(天皇陛下バンザイ!と叫びながら身を投じた)やスーサイドクリフ(自殺の断崖)から身を投げて一瞬のうちに亡くなった人も特別多いのです。民間人も多かったそうです。どんなに無念だったことでしょう。戦争の無慈悲さ、理不尽さ・・・、どんなことばでも言い尽くせないです。

サイパンにはそうした戦争のつめ跡が多く残っているのはご承知でしょう。今なお遺骨収集とか慰霊団などの活動も行われています。あいよっこはサイパンに来て始めて日本軍(のリーダーたち)がやってきたことを見つめました。丁度今頃の時期だったのですね。この暑さの中で軍服に身を固め、命令に従って結果的に無意味な軍事行動をしたのですね。<o:p> </o:p>

写真:最も高いタポチョ山頂にも日本軍のパネルが。

 

ジャングルツアーで最初に訪れたのはそんな戦争跡のひとつです。ガイドのマークさんからは「日本軍ホッタンナル(日本軍が掘ったトンネル)」との説明だけでしたが、多分サン・ビセンテ地区の、ラウラウビーチ近くにある「日本トンネル」だと思います。<o:p></o:p>

外は上天気でしたが一歩中に入ると真っ暗です。マークさんは細い棒にからめた布を灯油(たぶん)に浸してたいまつを作りました。たいまつで照らさないと足元もわかりません。入り口を入るとひんやりとした空気の中、小さい階段を数段下りるとやや広い場所に出ます。十字架の墓標のようなものにはハングルで何か書かれています。「韓国人のオンナノヒトのために」と説明しました。「もしかして従軍慰安婦?」と想像しました。<o:p></o:p>

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<o:p>写真:トンネルの入り口は狭く、中に入ると真っ暗。</o:p>

本来17Kmくらいの長いトンネルだったようですが、埋めてしまったようです。この中でもたくさんの兵士が亡くなりました。「どのくらいの人数ですか?」と聞くと「イッパイ!とにかくイッパイ!」と答えました。<o:p></o:p>

マークさんの祖父母も日本軍のドレイになったそうです。そして「オジイサンもこのトンネルを手彫りで掘った」と。「でも今うらみはないよ。日本軍がしたことと今の日本人はカンケーないしね」と言ったことに少しほっとしました。<o:p></o:p>

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※ブログの読者から「サイパンだ!」ってどんなん?という質問がありました。DFS(免税店)やお土産店には群れていますが、「あっこれ?ふ~ん」と思っただけで写真に撮ることもしなかったのです。サイもパンダもダイダイ~~~い好き、ですが混血はう~む。仲間の写真はこれ。でもけっこう可愛いか?<o:p></o:p>