あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

サトウキビは島を守り、島は国土を守る!

2010-04-24 22:55:11 | しましまもよう:奇跡の島:南大東島

 

  

                写真:この巨大さ! 運転席に試乗してキビ狩りをする体験もあります。

 

    ♪ざわわ、ざわわ、ざわわ~、広いさとうきび畑は ざわわ、ざわわ、ざわわ~ 風が通り抜けるだけ~♪

 

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「サトウキビは島を守り、島は国土を守る」というキャッチコピーがパンフレットにあるように、南大東島ではサトウキビは主要な農産物です。国土を守る、というのは太平洋の真ん中にあることで日本領海が広くなっているから。

 

 

写真:このダンプが一筋で満杯になってしまいます

 

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  今から110年ほど前、この島に最初に住み始めたのは、実は八丈島からの移民、玉置半右衛門さんたち23人でした。断崖絶壁のうえに、ダイトウビロウが生い茂るこの島で、大変な苦労をしながらも開拓を始めたのは、ひとえにサトウキビ産業のためだったのです。開拓者の影響で、島の生活・文化は八丈島と沖縄が渾然一体となった独特の「チャンプルー(混ぜ混ぜ)文化」となっています。<o:p></o:p>

 

 

彼らや子孫のさきがけがあり、今では島中にサトウキビ畑が広がっています。小さな島にもかかわらず平坦なので、一区画が大きい大規模農業となっています。キビ狩りは12月~3月までですが今年は遅く、訪れた時は忙しい最中でした。<o:p></o:p>

 

 

     写真:ふるさと文化センターにある玉置半右衛門さん

 

 

案内された広大な畑の、はるか遠くにコンバインのような収穫機と傍らにトラックが見えます。しだいに近づいて来るとそのダイナミックな光景に圧倒されます。ギャア~!でっけぇ~! 小さな人間が頭部に乗り込んで運転する様子に、機動戦士ガンダムを思い出します。(たしか?)

 

 

 

この巨大コンバインは「ハーベスター」(キビ収穫機)といい、一畝狩り終わるといったん外の道に出てスタート地点に引き返し、待機している別のダンプが並走する、という作業を繰り返すのです。大きなダンプは一畝で満杯となり、計量場(かんかん場)へと向います。見るもの・聞くもの本当に珍しいことばかり。<o:p></o:p>

 

 

写真:塗装も新しいシュガートレイン

 

 

今ではトラック運搬ですが、1984年(昭和58年)までは「シュガートレイン」と呼ぶ蒸気機関車が活躍していました。総長29kmもあった軌道のほんの一部が残っていますが、ガイドさんによると「辛い労働の思い出は早く忘れたい」ということで、軌道はほとんど埋められてしまったのです。<o:p></o:p>

 

 

沖縄本島のゆいレールは沖縄地域で初めての鉄道として設置されたのですが、この「シュガートレイン」は近年まで存在した鉄道ということになります。大東島の人々はもちろん、全国の多数のファンを巻き込んで「復活」を期待する声が大きくなっています。

ふるさと文化センターに展示してある2台の車両は、再び動き出すことを静かに待っているようでした。<o:p></o:p>

 

 

写真:りっぱな蒸気機関車です

 

 

島に人が住み始めてまだ100年あまりという若い歴史、そして海は四方に広がるけれど、「山のない島」でもあります。考えてみると歴史が古く、山ばかりの奈良とは対極的ですね。<o:p></o:p>

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探検家気分で地底湖へ

2010-04-13 21:17:36 | しましまもよう:奇跡の島:南大東島

 

 

写真:水紋が美しく広がる地底湖

   

 

  この不思議な島で一番感激したのはやはり、乳白色に光るさまざまな形の鍾乳洞と、冒険心をかきたてられる地底湖です。 自然が何億年という長い時間をかけて造り上げた作品に、ただただ絶句し圧倒されます。

 

 

 

 写真:サトウキビ畑のまん中に右:あきば山

 

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まずは「あきば地底湖探検」から。なにしろ観光ではなく「洞窟探検:ケイビング」です。全身を青色のつなぎとゴム長靴でかため、首にはタオル、そしてヘッドライト・胸かけライト・懐中電灯という3つのライト、といった重装備でいざしゅっぱ~つ!

 

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すっかり探検家気分の一行は、さとうきび畑の真ん中で車を降りました。「ん?えっどこ?ここ?」と見渡すと、小さな林の片隅に人一人入れるほどの隙間が。ここがあきば山のふもと(?)「あきば地底湖」です。まったく思いもよらない場所にびっくりしました。 

(写真右)

 

 

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探検隊長東さん(島まるごと館副館長)のリードと説明で暗闇に突入し、ごろごろと石が転がり、またつるつるとすべりやすい洞穴を進みます。お~~っと、頭上にもご注意! 誰でも必ず頭をぶつけるので、ヘルメットも必需品です。

 

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ここの鍾乳石が灰色がかったり黒ずんでいたりするのは、入り口を開放したために空気と接触して、「すでに死んでいる状態」だから。(※星の洞の鍾乳石はもっと白っぽい) 湿度を100%に保たないと死んでしまうのだそうです。

つまり生きている鍾乳洞は、気温が高い場合は蒸し風呂状態となります。

 

 

 

写真:入り口から一歩入ると真っ暗闇

 

 

 

大戦中には避難場所(ガマ)として使われ、煮炊きをしたために黒くなっている鍾乳石もあります。この中で暮らすのは本当に大変なことだったでしょう。しかし幸いなことに周囲が小高い山と絶壁で囲まれていることで、米軍の上陸はまぬがれました。位置的に見ると「欲しい場所」だったはずですが、これも「奇跡の島」といわれる所以です。

 

 

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石灰岩と水が織り成す美しい景観、といえば、中国の世界遺産「九寨溝」が有名です。これは水中の小さなゴミやチリなどが石灰と一緒になって沈殿するため、格別に透き通った湖水となるからだそうです。

ここの地湖底湖も同じように、透明度の高い薄緑色です。そして水面に水滴がしたたり落ちるたびに、紋様が幾重にも広がりとても幻想的なのです。 

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        写真上:戦時中の痕跡が残る

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最後に東さんは「ここに座って、すべてのライトを消してください」と言いました。かつて感じたことのないほどの漆黒の暗闇の中で、水滴の音だけがポツッ、ポツッ・・・と小さく響いています。

 

 

写真:「おっぱい」がいっぱい?!

 

 

 清々しい静寂と大気に包まれていくような、不思議な感覚に浸されました。なんだか自分は余計なものを身につけすぎているのではないだろうか?(それは「脂肪」って言わないでね)

もっと自然に還ろう! 探検の後には「癒し」が待っていたのです。<o:p></o:p>

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南大東島への体験ツアーは心躍るワクワクがいっぱい!

2010-04-08 21:56:20 | しましまもよう:奇跡の島:南大東島

 

 

             写真:鍾乳洞「星野洞」。美しい自然の造形にためいき!

 

  「南大東島体験モニターツアー3日間」、キャッチコピーに「『うふあがりしま』で農業・文化・自然体験!」という案内を見つけたとき、目は釘付け、心は小躍りを始めました。「え~っ、行ってみたい!やってみたい!どんなことをするのかな?」 

 

 写真:太陽が降り注ぐ南大東空港に到着

 

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  南・北大東島への旅は、常々チャンスをうかがっていたのです。でもなにしろ太平洋の孤島でもあり、沖縄本島からのツアーも少ないのが現状です。ときおりチェックしているJ-TAP(沖縄・離島旅会社)のHPで見つけたのは、本当にラッキー&グッドタイミングでした。

 

 

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  ツアーのあらましは次のとおりです。<o:p></o:p>

【出発日】全4回実施されましたが、「地底湖探検」が内容に含まれる320日を選択。旅行日:320日(土)~22日(月)<o:p></o:p>

【費用】沖縄那覇発着¥33,800円(ひとり参加は+2,000)各食2回計6回付き<o:p></o:p>

【宿泊】ホテルよしざと<o:p></o:p>

【各種体験と交流会を含む】詳しくは今後の本文で紹介します。

 

      

            <o:p></o:p> 

 

 

「うふあがりしま」という名前のとおり、南・北大東島は沖縄本島から東に360km、「はるか東にある島」です。距離的には宮古島と石垣島の中間あたりですが、方角がほぼ90度違います。

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<o:p>写真:「海軍棒プール」からの海岸線。絶壁です。</o:p>

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南・北大東島はまた「ボロジノ島」とも呼ばれます。面白い語感のこの名前は、最初に島を発見したロシア艦隊の名前「ボロジノ」にちなんでいて、現在でもロシアにはボロジノ村があるそうです。

 

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さらに「奇跡の島」と呼ばれることもあります。なにが奇跡なのでしょう? 大東諸島はサンゴ礁が長い年月をかけて発達し隆起した島で、世界でも珍しい生い立ちを持ちます。太平洋の真ん中に急峻な山が2つできて、海上に出た部分をスパッと切り落とした形になっているのです。

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<o:p>写真:南大東漁港は日本最大の掘込工法。海の色を見て!!!</o:p>

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南大東島の最高地点は75mと起伏が少なく、小高い丘が縁取りをするように取り囲んでいるので断崖絶壁です。そのため船は接岸ができず、今では名物となった「クレーン吊り」が大活躍。人も荷物も船体そのものも、岸壁からクレーンで積み下ろしをするのです。あいよっこも吊り下げられました。スリル満点!

 

 

<o:p>写真:日の丸山から見ると中央部が窪み池・低地となっていることがわかります。</o:p>

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サンゴ礁なので島の内部には鍾乳洞や地底湖が多数存在し、ある意味石灰岩でカスカスの状態なのだそうです。くぼんでいる島の中央部には、なんと淡水湖「大池」がありますが、底深くには海水があり、外洋とつながっているのです。その構造といい、形状といい、まさに太平洋の真ん中にできた「軌跡の島」ですね。<o:p></o:p>

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月ヶ瀬の梅と九品寺の桜

2010-04-01 14:27:52 | 日記

 

  

                  写真:柔らかな梅花の波が押し寄せる!

 

 

  「今年は例年に比べて気温は低いし、日照時間も半分くらいしかない」とニュースが伝えています。そのために野菜、特にトマトなど、が普通の大きさに育たないという現象が起きているそうです。

 

 

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  梅や桜の時期はことさらおてんとうさまのご機嫌が気になりますが、本当にくっきりと青い空、まっ赤な夕焼け、という日がないですね。陽がさしていても一面白色に覆われた空がほとんど。黄砂の影響もあるのでしょうか?

 

 

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  「写真は晴れた日が最適と限らず、さまざまな自然現象があるときほど面白い」といわれますが、やはり白っぽい花たちの背景はくっきりとした青い空が好きです。晴れ間を見つけて<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:奈良県奈良市;" Address="奈良市">奈良市</st1:MSNCTYST>「月ヶ瀬の梅」と<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:奈良県御所市;" Address="御所市">御所市</st1:MSNCTYST>「九品寺の桜」を撮ってきました。 

 

   

  写真:展望台から八重の紅梅と名張川

 

 

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奈良県の三大梅林は前述した<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:奈良県五條市;" Address="五條市">五條市</st1:MSNCTYST>「賀名生梅林」と、その隣の<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:下市町;" Address="下市町">下市町</st1:MSNCTYST>「広橋梅林」、そして<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:奈良県奈良市;" Address="奈良市">奈良市</st1:MSNCTYST>東部山間地「月ヶ瀬梅林」です。「おそらく遅すぎるだろう」と案じながら訪れた311日、名張川周辺は終わっていましたが、北側の山「天神梅林」「鶯谷梅林」などはまだまだ美しく、枝垂れ梅は満開でした。やはり例年より遅いのでしょう。

 

 

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  驚いたのは、梅渓を見下ろす山上にある真福寺の「姫若の梅」を見たときです。 案内板には「元弘二年(1331)後醍醐天皇が笠置山に遷幸されし折り、この地に難を避けるべく逃げる途中、性根尽き園生の森でたおれていたところを村人に助けられ、姫は村人に感謝し、真福寺の境内に埋めの気を植え烏梅(うばい:染色の原料)の製法を教えたのが梅林の始まりとされる」と書いてあります。(写真)

 

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  「後醍醐天皇ではなく、女官たちがこの地に落ち延び、梅を広めた」などと伝説に多少の違いはあるようですが、いずれにしても後醍醐天皇ゆかりの地であり、この地の梅林育成に大きくかかわり、烏梅(現在は漢方薬として使われる)の生産に影響を与えたということです。そんなことは全く知らなかったのですが、奈良における後醍醐天皇のかかわりの深さ、広さをあらためて感じました。

 

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一方山麓線沿いにある九品寺(くほんじ)に行ったのは330日。桜は他の場所より早めのようで、山門付近と入ってすぐ右手のしだれ桜は美しく咲きそろっていました。

 

 

写真上:十徳園の池のほとり

 

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<o:p>写真右:桜守りのお地蔵さんも駐車場のフェンス越しになってしまいました</o:p>

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門外右側にあるお地蔵様(桜守り?)と背景の桜は入江泰三さんの写真「陽春一言主神社付近」で有名です。TVで「この写真に憧れて写真家になった」というドキュメンタリーを見て、「ああ、ここがその原風景なんだ」という思いを強く感じました。

 

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周囲の風景は変わってきましたが、駐車場の周囲に広がる菜の花畑の黄色が鮮やかです。でもこの場所はやはり朝日のもとで撮るほうがいいなあ。またぜひ行こう!

 

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<o:p>写真:山門周囲も今が盛り。でも</o:p>

<o:p>かなり陽が傾いていたので、もっと早くいかねば・・・。</o:p>

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  次回からは「あいよっこのしましまもよう:奇跡の島 南大東島」が始まります。   <o:p></o:p>

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