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あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ⑫

2015-12-08 15:43:50 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵(ソックラム

              写真は2015/12/2~3 鳥取県「三徳山三仏寺~不動院岩屋堂」 

              写真上:「岩屋堂」は南北朝~室町時代初期建立と言われる。

                   天然岩屋の間口7m、奥行き10m、高さ13m

 

   先週鳥取県に行き、国宝「三徳山三仏寺投入堂(みとくさん・さんぶつじ・なげいれどう)」や「不動院・岩屋堂(ふどういん・いわやどう)」などを見ました。だけどお天気も曇りがちで時刻も遅く、また投入堂には2人以上でないと奥の院には入れません。なので遙拝所からの写真です。

 

  見ながら思ったのは「天然の岩屋があったら木造でも保存できるなあ」「石仏だったらわざわざ岩屋(石のドーム)は必要ないし・・・」ということです。

 

   石窟庵は硬い花崗岩でできており、そのなかにある高さ3.26mの石仏も花崗岩製で、保存性はかなり(必要以上に?)高いです。だけど運搬機も道具も未熟な古代において、こうした建造は大変な労力・技術が必要だったでしょう。なにしろ丸彫り石仏を彫るにはその何倍もの原石が必要らしいですし・・・。

 

  さ~て、前回ブログで紹介した「本来石窟庵のドームには東側に向けて窓が開けられていて、スリットとなっていた。仏像の方向が冬至の日の出の方向とほぼ同じで、日の光によって仏像が浮かび上がるようになっていた。今はふさがれてしまい、電気の光で浮かびあがらせている」(「慶州で2000年を歩く 新羅から現代への旅」武井一、桐書房、2003)という説明ですが、「なにか変だな?」と感じたかた、手を挙げて~~!

 

   なぜって「発見されたときにはドームの全面部分は破壊され、元の形をとどめていなかった」とされているのですから。なぜスリットがあったとか、そこから冬至の太陽光が入り、仏像を照らした、とかがわかるのでしょうねえ???ガイドブックに書いてある説明にも疑問が感じられます。

 

   もしそうであるならなおさら「冬至(あるいは夏至?)に太陽に照らされる仏像」を公開し、その写真・動画撮影を広く伝えるべきでしょう。すると「洋の東西で同じ考え方があった証拠」としてさらに有名になるばかりか学問的にも有意義なことです。なぜ隠してしまったのか理解に苦しみます。

 

   「もっとまじかで石仏を拝見し、美しい姿を感じたかったのに・・・」という単純な感情から始まったこのシリーズですが、調べていくうちに大きく3点の不思議や疑問に発展しました。

 

⑴「石窟庵の石仏・ドームなどは説明書通りの文化遺産なのだろうか?」

⑵「韓国の当局や専門家はどう対処し、どう考えているのだろう?またそれを追求するジャーナリズムはその後どうしたの?」

⑶「世界遺産として認定したユネスコはどうかかわり、どのような補修や調査を行ったのだろう?」ということです。

 

   ⑴に関してはこれまでかなり詳しく書いてきました。個人的には疑問を感じざるを得ませんし、「なぜセメントをそれほど守る必要があるのだろう?」と思うほどに「もしかして石仏はセメント製なの?」(なあ~~んて暴論!?)

 

   ⑵では韓国・朴大統領が連呼する「正しい歴史認識」を思い出します。「正しい歴史認識」とは「できるだけ公平な立場で、事実に即した歴史をふまえて物事を判断する」といった意味だとあいよっこは「認識」します。でもそれは自分も正しく実行しているから、あなたもお願いね、という前提が必要でしょう。時に応じて「ころころと主張や態度を変えたり」(軍艦島などの世界遺産登録に際した時のことです)、自国の世界遺産に関して口封じを行なったりするなどが許されることなのでしょうか?

 

    またこのブログ内でも触れていますが、「日本統治下で日本人は文化遺産を盗もうとした。また補修に失敗した」「我が国に古い寺院が少ないのは、豊臣秀吉軍が破壊したから」「仏国寺は加藤清正によって焼かれた」などのエピソードが韓国の教科書に載っていて、こどもたちの教育に使われている、とも聞くのですが、それは正しい歴史認識なのでしょうか?(これに関して正確なことはわかりません)

 

   ⑶に関しては最近動きが見られますが、ここでは省略します。

 

    思いもよらず辛辣なことになってしまいました。韓国に期待することは、あいよっこの推論や感想が事実とは異なっていることを、ぜひぜひ明らかにしてほしいということなのです。

 

           ***このシリーズを終わります。読んで頂いてありがとう***

 

              写真:岩屋堂の隣にも岩屋が広がっている

             写真:投入堂遙拝所から望む

          写真:三徳山三仏寺「水琴窟」の音色がまるでシンフォニー!

             なんども水を入れて聞いてしまった。

       写真:お地蔵さんたち、なぜかみんな丸顔!

      写真:ローカル線「若桜(わかさ)鉄道」にはSLも走る

         レトロ感いっぱいの「稲葉船岡駅」

   写真:人気の「隼駅」には退役した「ブルートレイン・はやぶさ号」を展示

      写真:SLファンはもちろん、スズキの大型バイク「ハヤブサ」由縁の

          バイクファンにとってもメッカ

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韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ⑩

2015-11-11 13:18:09 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵(ソックラム

          写真は2015/9/23~25「岐阜県 飛騨~新穂高温泉~上高地」

          写真上:明神岳からの伏流水で冬でも全面凍結しない明神池

 

    日本統治下で日本は韓国でどんなことをしたのでしょう?もちろんすべてを知ることは難しいでしょうが、石窟庵などの文化遺跡に関する資料はないかな?と探してみました。

 

    奈良県立図書情報館には「韓国併合史 研究資料」シリーズ16まで(あるいは以上?)の7巻を所蔵しています。そのうち「韓国誌(朝鮮総督府編、龍渓書舎、2001復刻版・シリーズ14)」には当時の人口や地勢に始まり、生産・農学業、河川、気候と植物、運輸・交通、地方自治制度、教育と学術など多岐に及んで詳細に記録しています。

 

   また「韓国通覧」には「朝鮮調査 予察報告」として「各地域の生活・住宅や田畑景色」などについて写真やイラストを交えた考察も行っていて、これが社会・文化関連に近いです。だけど見たところでは寺院・文化遺跡などの記述はなく、当時の韓国はもとより日本人においても関心・意識は薄かった、あるいはなかったのかと想像します。

 

   思い込みではありますが、もし日本人が大掛かりな遺跡の修復などを行ったのであれば、なんらかの記録・報告があるだろうと思えます。どこかにあるのかな?それにしてもこうした記録・報告は、今となっては韓国にとっても貴重な資料ではないでしょうか。

 

   なぜ日本人の記録や資料を調べるのか、というと「日本人が修理にセメントを使い、庵全体を密室化したことで保存状態が悪くなり、二重ドームが必要になった」ことがどうにも納得できないからでしょうねえ。古来より日本では建造物において湿気対策がとても必要でしたが、それを防止するのは決して「密室化」ではなく、反対に「開放・通風」ではなかったの?

 

    そもそも石仏は花崗岩で造られ、約1300年間自然の中で、後半はほぼ雨ざらし状態で保存されていたわけです。この素材の花崗岩は「石英・長石を主成分に、黒雲母・白雲母などの有色成分が10%以下含まれ、各成分の結晶粒子が大きく熱膨張率が異なるために、風化や浸食を受けやすく表面がボロボロになりやすい」とのこと。言ってみればお地蔵さんの風貌です。

 

   墓石でおなじみのように色は全体にグレーの濃淡となり、特に純白系(といってもグレー色は混じる)の産地は現在ではアフリカ・中国などらしいです。石窟庵の本尊・石仏はガイドブックなどの写真で見る限り、純白でとても古代の手彫りの丸彫りとは思えないなめらかさ、流線型の美しい姿とお肌です。古代の石仏は磨崖仏・線刻といった形式が一般的なので、特別な存在と言えるでしょう。

 

   するとネットに次のような記事がありました。2013年11月15日10時26分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

門を閉めて国宝・石窟庵を現場点検、結果には口をつぐむ…なぜ?(1)(2)

 

                 *** 近日に続く ***

      写真:別名「鏡池」「神池」と呼ばれる明神池。美しくて面白い

            写真:鳥居の正面中央上に明神岳が聳える。(見えにくいけど…)

                      写真:薄くて神秘的なキノコ

    写真:魚(うまく撮れなかった)も鳥ものんびり?           

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韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ⑨

2015-11-09 21:23:15 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵(ソックラム

 

 

写真は2015/9/23~25「岐阜県 飛騨~新穂高温泉~上高地」

写真:上高地かっぱ橋から有名な光景。だけど曇りで白っぽい~~、残念!

   前回「大正池~かっぱ橋コース」だったので、今回は

   「かっぱ橋~明神池コース」を目指します。

 

  あれよあれよという間に日数が経過。ちょっと面倒で申し訳ありませんが、前回の「韓国古寺紀行~日本仏教の源流を訪ねて~」(桑野淳一、2001、彩流社)「引用文」の続きです。

 

  ここでは石窟庵の本尊・石仏の両腕に関して「・・・実は像には最新の心くばりがされている。右手は右ひざの手前まで伸びているが、これも後方の腕と手の大きさがバランスよく見えるように手前のほうを幾分小さく造作させているという」と記しています。

 

  筆者がどんな方なのかは全く知らないのですが、いずれにしてもガイドブックなり韓国関連の紀行本を出版するには、公的機関に問い合わせたり、監修を受けたりすることもあるでしょうから、これは韓国当局の見解と考えて良いのでしょう。

 

  あいよっこも両腕の形やバランスについては違和感がありましたが、どうやらそれは「1200~1300年前に造った時、古代新羅人が最新の心くばりをした」ということのようです。(?)それとも補修の時にそうした、ということ? そんなことをしてもいいの? だけどこうした現代人の解釈や見解をわざわざ書くことがかえって不自然で、どこか言い訳をしているようにも感じてしまいます。

 

  それにしてもいろいろな文献やネット情報を見ていると、随所に「日本統治下で日本人は文化遺産を盗もうとした。また補修に失敗した」「我が国に古い寺院が少ないのは、豊臣秀吉軍が破壊したから」「仏国寺は加藤清正によって焼かれた」などのお話がちりばめてありますね~。

 

  反面「その他の日韓歴史問題」というサイトでは「李氏朝鮮こそが仏教弾圧で破壊したのであり、秀吉軍が朝鮮に入った時にはすでに36寺院程度しか残っていなかった」という説もあります。いずれにしても韓国側の主張になんらかの資料・証拠物件なども書いていないので、なぜその事実だけが確かだと主張するのか、その証拠も示してほしいものです。

 

  そもそも文化資産や遺跡などに関する韓国側の資料はどうなのでしょう?「李舜臣将軍(※韓国の英雄)の銅像は全国で300を超す数があり、日本の方角を向いて睨んでいて、いまだに日本を警戒している。・・・(日韓関係に対する)韓国側の資料は少ないが、日本で書かれた在日韓国・朝鮮人による著書にすばらしいものがある」と「観光コースでない 韓国(小林慶二、朝日新聞元ソウル支局長、1994)」では資料の少なさに触れています。

  *** 明日に続く ***

 

 

    写真:新穂高(しんほたか)温泉・北アルプス展望園地より穂高連峰を

    写真上:新穂高ロープウエイの第二駅周辺が「鍋平高原」

        山の上のタコみたいなのがロープウエイで~す

     写真:上高地のハイキング道は奇跡的?に勾配が少なく歩きやすい。

        草紅葉がきれい!

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韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ⑧

2015-10-20 19:20:50 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵(ソックラム

 

  

           写真は2015/9/23~25「岐阜県 飛騨~新穂高温泉~上高地」

                                   全体にお天気が悪かったのが残念

           写真上:「奥飛騨温泉郷」のハイライト「平湯大滝」

 

     中国が申請した「南京大虐殺の文書」がユネスコの世界記憶遺産に登録され、日本政府は「ユネスコの中立・公平を欠く審査」「中国による国際機関の政治利用」と批判しています。また菅官房長官は、「我が国の(ユネスコへの)分担金や拠出金について、支払いの停止等を含めてあらゆる見直しを検討していきたい」と述べました。

 

 これに対して中国政府は「日本がユネスコを公然と脅迫」と反発しています。そして「(今回は)記憶遺産への登録が見送られた慰安婦問題の資料について、『ユネスコから他の被害国との共同申請を勧められた』と主張。韓国を念頭に、2017年の審査に再申請する方針を示した」とのこと。

 

  ところでこの拠出金(分担金)の最多分担率となっている米国は支払いを停止中なので、2013~15年の三年間は日本の10.83%が最大(37億円あまり)なのです。

 

  ううむ、いろいろな問題が含まれていますね~。まず中国の素早い対応は「目には目を、脅迫には脅迫を」そのものですが、一応正当化しているつもりなのでしょうか? そしてもし日本が拠出金を見直すことになれば、ユネスコにとっては大きな問題でしょうが、もちろん中国はそのぶんを負担するつもりなのでしょうねえ? なにしろお金持ちですし・・・。

 

     だけど個人的な印象としては互いに中傷合戦になるような登録はもともとの目的にはそぐわないと感じます。日本が申請した「シベリア抑留に関する文書」に対してもロシアが取り下げ要求していますが、類した記憶が多数登録されるようだと世界遺産の行く末が案じられます。

 

    もうひとつの問題はユネスコに関することです。前回に続き「なぜ韓国の世界遺産・石窟庵はガラスで覆われているのか?」について奈良県立図書情報館で文献を調べていると、「韓国古寺紀行~日本仏教の源流を訪ねて~」(桑野淳一、2001、彩流社)に次のような記述があります。少し長くなりますが引用します。

        ・・・・・・・・以下引用部分・・・・・・

    ・・・韓国観光公社の案内によれば、「十九世紀初頭まで参詣の人々が絶えなかったこの石窟庵は、朝鮮末期の混乱期には人々から忘れ去られていましたが、1909年のある日、夕立に遭った一人の郵便配達人が雨宿りのために入った石窟の中ですばらしい仏像を発見したことから、再び日の目を見ることになりました。」

 

   とある。しかし、その前年1908年には日本の高官が巡視し、その直後に石窟十一面観音像の前にあった大理石小塔、及び二体の仏像が搬出されて行方不明になるなどの事件がおきたりもしている。これ程の像が簡単に忘れ去られるとは考えがたい。その後、日本の総督府による修理、戦後には韓国政府によって、そして1961年にはユネスコの後援による三年がかりの改修が行われる。その結果二重ドームによって外部とは完全に遮蔽されることになり、冷暖房による適正温度、背後地下水の排水などによって保存の環境も飛躍的に良くなった。

 

    単純な造りと前記したが、実は像には最新の心くばりがされている。右手は右ひざの手前まで伸びているが、これも後方の腕と手の大きさがバランスよく見えるように手前のほうを幾分小さく造作させているという。また像をドームの中心よりやや奥に置くことによってちょうど中心に位置するように見えるという目の錯覚にも気を配っている。既に世界的な傑作として広く紹介されているので今更これ以上の弁は要しないだろう。

         ・・・・・・・・・引用ここまで・・・・・・・

 

    これまでのあいよっこの見解によると「なぜ左右の腕の所作が違うのか?ユネスコはこうした違いなど問題としないのか?なぜ世界遺産と認められたのか?」が疑問でしたが、この文章からは「おお、ユネスコは改修もするのね。とすると承知の上で認めたってこと?」とさらに疑問が沸き上がるのです。正確な時期的な流れはよくわかりませんが・・。

 

     なぜかひとつのことにかかわってしまうと、調べていくうちに、またそれに関するニュースが出るごとに、大きく広がってしまいます。「拡散と収束」を良いバランスで行わないといつまでたっても終了できないよ~~。

                                          

                 写真:平湯大滝公園から大滝までの散歩コースも楽しい

                          ところどころ色づき始め

                   写真:大滝公園では足湯もさすが大きい。この池の周辺。

      写真:この光景に「わあ、植物にも『擬態』があるのね!」

      写真下:拡大するとこんな風に枯れ葉に隠れる「きのこ」たちが

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韓国の世界遺産第1号 石窟庵 ⑦

2015-10-10 02:26:55 | 韓国の世界遺産第1号 石窟庵(ソックラム

          写真は2015/8/16~19「上越「妙高高原・燕温泉」~信州「安曇野・木曽川下り」

          写真上:「安曇野」のひまわり畑 そろそろ終わりの時期

 

   2015/10/5、今年度のノーベル医学・生理学賞を北里大学の大村智特別名誉教授が受賞されました。吉報を伝えるTVニュースの電話インタビューで、「微生物に賞をあげたい」という素朴な第一声をお聞きして、とても感銘を受けました。

 

  その後故郷に美術館や温泉、はてはおそば屋さんまで造るなど、およそ私利私欲とは無縁な人格に驚きです。すばらしい研究者って視野が広くて体験の幅も桁違い、ってことですね。

 

  受賞の内容が「顧みられない熱帯病の治療薬であるイベルメクチンの発見」で、それは伊東のゴルフ場の土から発見されたそう! 土中の微生物にはまだまだいろんなモノがいて、その可能性は計り知れない、ということも証明されたように感じます。 今後深海の土とかいったいなにが含まれているのだろう、と空想をめぐらせてしまいます。ことに日本人は小さいものの研究が得意なので、さらに期待できますね。

 

  と思っていたら翌日6日には東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長が物理学賞に決定、さらに日本中が沸き立ちました。今度は「素粒子・ニュートリノに質量があることを実証した」というのが受賞理由とのこと。

 

  ううむ、ニュートリノ、そしてそれを計測する「カミオカンデ」、舌を噛みそうなこの名前は数年前も話題になりました。だから岐阜県を巡ったときに「ああ、このへんだ」と思ったり、国立科学博物館で模型を見て「ふう~んこれか~?」と思ったりしたけど、さっぱり意味わからな~い。

 

  あいよっこには宇宙って広すぎて、さらに拡大しているそうで、想像が難しい。でも!ニュートリノって宇宙線に含まれる「最小の素粒子」、ってことで、なああんとここで「宇宙という最大モノから最小素粒子まで」が結びついてきたね~! なぜか興奮!

 

  結局のところ日本人は最大~最小まで得意、と「ウラとれました!」ので、さらに今後に期待できますね。受賞されたおふたりさまには謹んでお祝い申し上げます。そしてありがとうございました。

                                          

  

   さて前回の続き、「なぜ韓国の世界遺産・石窟庵はガラスで覆われているのか?」についてです。

  ウィキペディアの「石窟庵」にはその理由について「日本統治時代の1913年から1905年にかけ、日本による三度にわたる大規模な修復工事が行われた。最初の補修後に湧水が発見され、排水溝が設置された。韓国では、日本の補修でセメントを使用した結果、換気が難しくなり、石窟内に溜まった水によりセメントが溶かされて花崗岩の彫像が侵食されたり、本尊仏の下の地下水を集めて排水する機構が失われて地下水で冷やされた石に水分が凝固するなどの問題が生じた、としている」と説明しています。

 

  なぜか「・・・見物客の(呼吸の)二酸化炭素により仏像が損傷する可能性があるためにガラスが必要」??という話もあります。

 

  また「トラベルデイズ:韓国」(2013、昭文社)においては、この問題について「・・・李氏朝鮮時代を迎えると儒教が国教とされたため仏教は弾圧の対象となり、長く庵の存在が世に知られることはなかったが、その間、保存状態はかえって良好に保たれた。しかし、日本統治時代に3度の修復に失敗、仏像の配列など原型への復元が困難になった。また、湿気対策のために庵全体を密室化したため、本尊の釈迦如来座像をはじめ、多くの仏像彫刻を、今ではガラス越しに覗くしかない状況だ」と書いています。

 

  いずれにしても「日本統治時代の修復が失敗してこうなった」らしいです。

                                     

 

        写真:奥は一般河川「万水川」で手前は湧水100%の「蓼川(たでがわ)」

            水質が異なるので混じり合わず並行して流れる

 

    

        写真:「大王わさび農園」絶滅危惧種の「アオハダトンボ」別名ラッキートンボ

 

            写真:こちらはフツウの「ハグロトンボ」  たぶん・・・。

 

     

       写真:透き通った湧水で育つニジマス。くっきりとした赤い婚姻色が名前の由来。

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