写真は2019/5/29~6/1
「レブンアツモリソウ咲く礼文島とゆったり楽しむ利尻島4日間」
写真上:礼文島澄海岬(すかいみさき) V字形の波が珍しくて美しい
このブログでは「韓国天才少年の数奇な半生」(大橋義輝、共栄書房、2011)を参考にミステリーを書いていますが、年齢が微妙に違ったり、話が前後するところがあるため、キム・ウンヨン年表を作ってできるだけ時系列に沿う形にし、年齢はウンヨンが産まれたとされる1963年→0才、1964年→1才…と表記することを御了承ください。
前回は著者が初めて訪韓したときに、あれほど有名となったウンヨン君の消息を、父親は取材拒否、周囲の人たちは黙ったりはぐらかしたり、メディアさえ追跡を諦めた、という状況でした。
ところが第2章の4「ウンヨンが再び世間を騒がした理由」では、まず古ぼけた新聞記事が掲載されています。コピーのためなのか、文字も写真も不鮮明ですが、これは1979/9/12付け東亜日報です。内容は「神童と騒がれたウンヨン(16才)が韓国大学検定資格に下位で合格した。…ウンヨンは凡才になった」と伝えているようです。
試験の体力テストでは、100m走:15.8秒、ボール投げ:45m、懸垂:2回…で31点(100点満点)。また筆記テストでは、国語:60、英語:60、社会60、地学:62.5、音楽:64、美術:92、商学:48、体育:80…で平均点65点となっています。
後で父親は「息子はあえて『白紙の状態で自分の力を試したい』と、得意な数学や物理をはずし、商学・地学を選択した」と話したそうです。だけど同時に「…(そのうち)ソウル大学に合格させ、西ドイツに留学させる。…核物理学の研究テーマを学ばせる」とも言っているのです。
どうも納得しかねる話です。そもそも1970年(3回目TV出演の1年前ですが?)にアメリカ宇宙局(NASA)から招待され、コロラド州立大学で大学・大学院に通学し、修士・博士の学位を終了しているのに(後述)、なぜ韓国で高校入試資格検定や大学入学資格検定を受験する必要があるのでしょう? また誰だって得意な科目を受け、高得点で良い大学に入りたいと思うのに、なぜ数学・物理をはずしたのでしょう? 父親の説明も矛盾だらけです。なによりかつて数学の天才と言われたのに、失意とかコミュニケーション不全などでこれほど学力が低下するものでしょうか?
さらにさかのぼった消息や事実が出てくるのですが、出典は明記がなく、不明のようです。以下は本文の話をもとに作った年表です。
1970~:アメリカNASAの招待で、コロラド州立大学・大学院で学び修士・博士の学位を修了
1971/8/23(8才):フジテレビ最後の出演
1975 :NASAの専任研究員を務める
1977:韓国高校入学資格 検定合格
1978:突然韓国に帰国 「友達も同僚も親しい人がいない」という理由
1979:大学入学資格検定を受験 体力テスト(※これが新聞記事になった。だけど訪韓時に訪ねたソウル新聞社週刊局次長の朴記者の話が1979年になっているよ?)
1980:大学入学資格検定を受験 筆記テスト
1981:ギネス削除
1983(20才):大橋氏が初回訪韓
年代のつじつまが合わなくて、かなり悩みました。人の話では思い違いや聞き間違うは当然ありますけれどね~。これによると最後のテレビ出演時にはすでにアメリカから招待されていたし、NASAに勤務している時に韓国高校入学資格を受験し、ソウル新聞社の朴記者は東亜日報の記事を全く知らなかった、ということになるのですが…。
*** 続く ***
これは ハマナス
花たちの名前は後で調べるね~
写真下:北のカナリヤパーク 吉永小百合さん主演の映画が撮影された