あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

土師守(はせまもる)氏が「途切れない支援の重要性」について講演

2010-12-17 19:19:15 | 日記

 

  前回は「マス・メディア報道のありかた」について少し触れましたが、その関連もあって土師守氏(全国犯罪被害者の会幹事・ひょうご被害者支援センター監事)の講演を紹介いたします。土師さんは1997年に<st1:MSNCTYST Address="神戸市" AddressList="28:兵庫県神戸市;" w:st="on">神戸市</st1:MSNCTYST>で起きた「連続児童殺傷事件」の被害者遺族(お父さん)です。

 

なお写真は「特集===紅葉狩り そのⅢ===」ですよ。

 

 

<o:p>写真:五條市榮山寺の国宝「八角円堂」</o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p> </o:p>

1126日、<st1:MSNCTYST Address="奈良市" AddressList="29:奈良県奈良市;" w:st="on">奈良市</st1:MSNCTYST>ならまちセンターで開催された、「2010 犯罪被害者支援 奈良県民のつどい」(主催:奈良県・奈良県警・なら犯罪被害者支援センター)は、県警音楽隊によるウエルカムコンサートで始まりました。

 

<o:p></o:p> 

基調講演でまず話されたのは、事件の特殊性に加えて、次男(当時11歳)の行方不明から事件発覚までに2日間が経過したことにより、メディアスクラム(報道機関による集団的過熱取材)の被害が想像を絶したことでした。

 

<o:p></o:p> 

「次男の捜索が始まってから、私たち家族は精も根も尽き果てた状態だったのにメディアの取材は容赦なかった。そのために次男(のご遺体)は一度も家に帰ることができなかった」とつらさを話されました。

 

 

写真右:御所市一言主(ひとことぬし)神社

    「乳垂れ(ちだれ)のいちょう」

 

<o:p></o:p> 

また家族は自責の念にも苦しみました。長男は「自分も弟と一緒に行けばよかった」、妻は「最後にもっとしっかり声をかけていれば・・・」、土師さん自身は「タンク山に探しに行った時すぐ近くに次男がいたのに、そのとき見つけてあげたら、さらにひどい犯行は防げたのに・・・」などの思いが離れませんでした。

 

<o:p></o:p> 

そして「今思えば長男に対する配慮が足りなかったことが心残りです。加害少年は長男の先輩であったし、長男が通う中学校は第二の犯行現場ともなり、学校を巻き込んで取材も殺到しました。休学せざるを得なくなり、特別な配慮を必要とすることになった」として「被害者が少年の場合は多くその兄弟も年少なので、その人たちに対する配慮もお願いしたい」と訴えられました。

<o:p> </o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p>写真:奈良市弘仁寺(こうにんじ)</o:p>

<o:p></o:p> 

 

各方面からの多くの支援に感謝され、そのなかで最も心頼みになったのは「警察の逆探知グループ」だったと言われました。これは電話の逆探知を行うグループで3人組み(1人は女性警察官)・3交代制でしたが、「現実には逆探知だけでなく、メディア対策や日常生活の支援をしていただき、任務終了後も継続をお願いして、結局1ヶ月半のあいだ支えてもらいました」と現実的な支援の必要性を話されました。

<o:p></o:p> 

 

<o:p></o:p>

最後に途切れない支援のために「被害後は時期により状況が変化し、必要な支援の形も変化していくので、常に被害者の視点からの支援を考えて欲しい。被害者・遺族はあらゆる事に対して決定能力が落ちています。生活支援はすぐに必要だし、具体的で目に見える支援が重要です」と結ばれました。

 

<o:p></o:p> 

<o:p>写真右:弘仁寺のいちょうもすばらしい。</o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p> </o:p>

「被害者支援フォーラム」では、三木善彦氏(帝塚山大学心理福祉学部教授・なら犯罪被害者支援ネットワーク代表)をコーディネーターに、5人のパネリストが「途切れない支援」をテーマに報告・議論を行いました。

 

<o:p></o:p> 

パネリストの北條正崇氏(奈良弁護士会被害者支援委員会委員)からは来年度から改定準備が進んでいる「第二次犯罪被害者等基本計画」について説明があり、吉村豊氏(奈良県警察本部犯罪被害者支援室長)が「警察における被害者支援をどのようにすすめているか」を報告されました。

 

<o:p></o:p> 

続いてなら犯罪被害者支援センターの宮代トシ子事務局長が「センターの経歴、活動状況として相談件数の概況や支援内容」を説明し、石原淑子相談支援員がどんな支援をどのように行っているのかの具体例として「昨年の性犯罪被害者に対する支援事例」を紹介しました。

<o:p></o:p> 

最後に講師の土師守氏が「私たちのときより次第に支援のかたちが整ってきていることを感じました」と感想を述べられました。

<o:p> </o:p>

 

 土師さんの著書「淳」「淳 それから(共著)」を拝読しましたが、淳くんが大変なことになる場面では何日も読み進める事ができませんでした。一読者として読むだけでもそんな状態ですから、土師さんが本を書くこと、あるいは講演で話していただくことがどれほどつらいことなのかを想います。

 

<o:p></o:p> 

でも今の今まで知らなかったこともたくさんあり、こうして表現して伝えてくださることで、被害者への理解がすすみ、さらにはマス・メディアの自粛や国のシステムまで変えていく力につながることでしょう。メディア・スクラムということば自体も、このときから問題となりました。 

<o:p></o:p> 

あいよっこはパネリストのひとりだったので、打ち合わせで土師さんとお話することができて、大変嬉しかったです。

写真:nojioさんのリクエストにお応えして、藤原氏の写真を。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤原新也さん 天理の石上(いそのかみ)神社で「書行奉納」

2010-12-05 18:01:55 | 日記

                                      写真:「うさぎさんにも見えるよね~?

 

 122日午後に<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:奈良県天理市;" Address="奈良県天理市">奈良県天理市</st1:MSNCTYST>にある石上神社で、藤原新也さん(写真家・作家)が「書行(しょぎょう)」をされました。「書行」ってなに? そう思われる方も多いでしょう。辞書には(まだ?)載っていないと思います。<o:p></o:p>

  

 

  「書行」のようすは藤原さんのブログ「Shinya talk」をご覧ください。

 

   当日は晩秋にしては暖かく、とてもさわやかなお天気でしたが、迫り来る低気圧の影響か、時折一陣の風が吹きぬけ、椎の巨木からは「パラパラカラカラ」とどんぐりがいっせいに落ち、見事に黄金色になったイチョウからはイチョウの葉吹雪が舞っていました。

  

 写真:力がこもっています

 

 

   神社の境内は秋景色満載でしたが、2m四方の本麻紙を前にして精神統一されている藤原さんには、やりにくいところもあったことでしょう。

 

<o:p></o:p> 

 さて今年の一字はなにかな? 真っ白な神主さんの衣装に身を包み、大きな筆をおもむろに紙に載せていきます。「洩」と読めました。う~む、ネット社会・IT社会において、いろんな機密や秘密が洩れ出て社会や世間が混乱する現象は、今後さらに問題となってくるのでしょうね~。

 

 

<o:p></o:p> 

 ところが次の字が判読困難です。{??え~なになに? あっ、ウサギさんだあ!上手だなあ!}と変に感心。ところがこれは「漏」を一文字書きにしたものだそう。来年の干支と勘違いするなんて・・・。

 

 

写真右:一陣の風にイチョウの葉吹雪が舞う(見える?)

<o:p></o:p> 

 

 ブログにもあるように書行のお知らせは2日前でしたが、20人もの見学者が藤原さんの一挙一動を見守りました。さらにサプライズ! 最後にひとりひとりに一筆書きの書を書いていただきました。「ナマ新也」を見ることができたうえに、「ナマ一筆書き」までいただき、あいよっこは大感激!大満足!

 

<o:p></o:p> 

 藤原さんを知ったのは今をさかのぼることおよそ15年、19943月発行の「クレア」という女性誌でした。

 

 

  

 当時女性誌としては報道・人生・経済などなど割と硬派な雑誌(現在は普通の女性誌みたいです)で、その号の特集「死」のなか「メメント・モリ 死体を殺せ」という物騒なタイトルの記事に彼の写真が掲載されました。(このブログのために本棚を探して見つけました。なお記事の書き手は医師?の布施英利氏)

 

 

<o:p>写真:「一筆書きは命を永らえる意味がある」と藤原さん</o:p>

 

 

 そのときの衝撃は言葉では表現できません。「メメント・モリ」という氏の写真集のなかでも異彩を放つその写真、インドにおいて死体が野犬に食べられている、には「犬に食われるほど人間は自由だ」といったキャプションが添えてありました。なお「メメント・モリ」は「死を想え」と訳されています。

 

<o:p></o:p> 

 以後「僕のいた場所」というエッセイ&写真の連載が始まり、「まゆげ犬」もインパクトが強かった写真ですが、なぜかこの号が見当たりません。何度も見て笑っていたので、違う場所に置いたかな? 

 

 

 インドネシアの白いその犬は、なぜかくっきりとした眉毛をマジックで書かれて、たしかに少しはりりしくなっていましたが・・・。そういえば眉毛といえば、最近では「いってQ」のイモトさんですね~。関係ない?でも元祖かも?

 

 

写真右:いただいた一筆書き。奥で祭壇に向う藤原さん、これは見えないでしょうねえ。

<o:p></o:p> 

 

 

 あいよっこが写真を意識的に撮り始めたのはこのブログを書き始めたころ、つまり2-3年前です。でも今思うに、藤原さんの写真を見たこと、衝撃を受けた事、写真の力を感じたこと、と決して無関係ではないと感じます。「日本とは違う世界がある」「日本の常識やタブーは唯一のものではない」「人間ってどれほどのものなんだろう?」「自然と文明について」などなど、たくさんのことを考えるきっかけとなりました。 

 

  

ブログによると藤原さんは何度も四国88ヶ所巡りをされているようですが、決してまあるく、好々爺にならないで、どこかとがって硬い骨を持ち続けていらっしゃるところが好きです。(生意気ですね~)そしてご自分もメディアを通じて表現活動されているからこそ、マス・メディアのありかたには特に厳しい見方をされている点も共感しています。

 

 

写真:石上神社の紅葉はほぼ終わり<o:p></o:p>

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特集===紅葉狩り そのⅡ===

2010-12-01 18:32:30 | 日記

                       写真:その大きさに感動する大野寺の弥勒麿崖仏。

  

 奈良県内を旅して写真を撮ってみると、海がないこともあるのか、全体に同じ色調になりがちです。寺社の建物、山や木々の緑と茶色、岩石の灰色、曇り空(これがまた多いのです)の白色が基調で、それに寺社の緑色・丹色や花たちが彩りを添える形が多いです。

 

 

<o:p></o:p> 

 そこで他の地域の写真と比べてみると、どうしても「華やかさや鮮やかさが足りんなあ~」と感じてしまうのです。でもこの紅葉の時期、山々は驚くほどあでやかにへんし~~ん! まるでダンスを踊っているみたいにいっせいに自己主張を始めます。

 

 

<o:p></o:p> 

 できるだけいろいろな場所に行きたくて、心は浮き足立ってしまいますが、残念ながらそうそうあちこち行くのもままなりません。そのなか、いわゆる主流の紅葉狩り地域というより、どちらかというとマイナーな場所を選んでみました。なぜなら人がいっぱいだと、どうしても撮影がしにくいですものね~。

 

<o:p></o:p> 

<o:p>写真左:大野寺山門</o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p>写真右:満開のほととぎすと石仏</o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p></o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p> </o:p>

 

 「大野寺(おおのでら)と弥勒麿崖仏(みろくまがいぶつ)」

<o:p></o:p> 

室生寺は超人気で周辺は人や大型バスでいっぱいでした。そこで近くの大野寺に行き、初めての大きな麿崖仏と歴史を感じる古寺に大満足。

 

 

県道164の道路から、宇陀川の中州にある大きな断崖とまっ赤なもみじが目に飛び込んで来ます。線刻仏像なので形ははっきりしませんが、当時こんな高いところにどのようにして彫ったのでしょう。 

<o:p></o:p> 

 

 大野寺も修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)により創建されたと伝わり、境内は素朴で質素な良い雰囲気をたたえています。なにしろ県下の寺社は役小角、空海、修験道などとたいてい関係があるようですから。そして春のしだれ桜も有名だそう。

 

<o:p></o:p> 

<o:p> </o:p>

「龍穴神社(りゅうけつじんじゃ)と吉祥龍穴(きっしょうりゅうけつ)」

<o:p></o:p> 

 神社は室生寺より古い、といわれるように神木の大杉はじめ大木が立ち並び、おごそかな雰囲気に満ちています。龍穴という名称からわかるように、「雨(水)の神さま」をお祀りしていて、今でも雨乞いの儀式が行われています。

 

 

<o:p>写真左:龍穴神社の夫婦スギ</o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p>写真右:天の岩戸 も夫婦です</o:p>

<o:p></o:p>  

<o:p></o:p> 

 

 龍欠神社を少し過ぎたところに「吉祥龍穴」という標識があり、山に登ると、やがてふたつの岩石が向き合っている「天の岩戸」があります。奥の院「吉祥龍穴」はさらにその先です。 

 

 

  

 龍穴は岩盤の間に口を開けていますが、現在は湧き水は途絶えています。穴の前には小さな祈祷場があり、ここで「雨乞い儀式」が行われるのでしょう。小さな板葺きの場所は土足厳禁なのですが、あいよっこは写真撮影に気を取られてうっかり入ってしまいました。(汗!!!)スリッパなども用意してありますし、地域の人たちにはとても神聖な場所なので気をつけましょう。

 

 

(続く)

 

 

 

写真:奥の院には「龍穴」と小さな滝があります。

   とても暗い山中なのでなかなかうまく撮れません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする