あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

見ようとする意識で違う景色が見える

2008-05-10 00:30:13 | あいよっこの島々模様

 

池間島をレンタカーで回りながら田口ランディさんのいう「オハルズ(張水御嶽)」はどこにあるのだろうと、ある程度注意していました。もし見つけたら「入りたくても入れない」ことになるのでビミョーです。結局地図にも載っていないし、標識も見つかりませんでした。

 

写真;風が強かったので池間港には船がたくさんお休みしていました。

 

ネット情報によると、場所は池間大橋を渡ってすぐ右側の「ミニ公園」の左側だそう。「オハルズ」「ウハルズ」「大主神社」など呼び方がさまざまあってちょっと混同しそうです。一般人が入れるのはツカサマンマ(後述)と一緒に入るか、年に一度10月にある「ミャークヅツの日」のみです。

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写真:宮古島北端の西平安名崎(にしへんなざき)あたりはめっぽう風が強いところです。高く打ち上げられる白波、アダンの実もちぎれそうに揺れています。

 

宿泊したホテルには日刊紙「宮古新報」(無料)が置いてあり、2008/2/12付けに掲載された興味深い記事に目が留まりました。「池間島 神事の継続危ぶまれる 新ツカサ5人辞退 選出方法に改善の声も」という見出し。今年は島の祭祀を司るツカサマンマの、3年に一度の引継ぎの年にあたるのですが、「神くじ」(!)で選ばれた人が辞退しているというのです。神事の祈願(クイチャー)はもちろん大主神社(オハルズ)で行い、多種類の祈願は年に50回を超えるそうです。<o:p></o:p>

 

          写真:でも反対側から池間島を望むと全く平穏な海に見えますね。<o:p></o:p>

ツマサマンマの該当者20人(55-58歳※これに関するネット情報ではツカサマンマ(司母)は51-55歳の女性という説もあるようです)のうち選ばれた5人のなかで「家庭や仕事の事情で辞退したい」と申し出ている人がいるのです。近年はツカサマンマが5人揃うのも難しくなっているようで、伝統的な祭祀を重んじる島でも、現代的な悩みはあるのですね。御嶽信仰が強く残り、民俗学の宝庫ともいわれる島だけに、関係者には気をもむ事態でしょう。 <o:p></o:p>

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もうひとつ新聞記事を。その池間島の記事の下には「幸福願い空高く放蝶 オオゴマダラ舞う ○○さんと○○さん結婚式」とあります。ホウチョウといってもハトを飛ばす「放鳥」ではありません。うーむ宮古島では結婚式に蝶を放すのだなあ、そしてそれがニュース(新聞記事)になるのだなあ!やや驚き!<o:p></o:p>

このバタフライリリースは中国の伝説が基になっていて、数字の8が縁起が良いので「28頭を大空に放った」そう。なんで28なのかの説明はありません。そして蝶々は「頭」なのね?いろいろな疑問や新事実満載の記事なのでした。新郎新婦も「貴重な体験で皆の祝福を実感・・・」とコメントしているので、やはり珍しいことのようです。こんな面白い発見も旅の楽しみなのです。<o:p></o:p>

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写真:うえのドイツ文化村のホテルではオリックスがキャンプをはっていました。その関係者などをあてこんで(?)新装した「ヴィレッジ琉球の風 屋台村&マーケット」

 

島に着いて最初に入った宮古そばのお店で「おすすめ観光地」を聞くと、若い女性は「ドイツ村なんかいいですよ」と薦めてくれました。若い人にはそんな美しく異国情緒あふれる場所が観光客にもきっと気に入る、と思ったのでしょう。でもあいよっこはその島独自のなにか、に心惹かれます。そんな好みや関心はそれぞれ違っていてあたりまえですが・・・。<o:p></o:p>

実は宮古島に来るのは2度目です。7-8年も前に団体ツアーで来て、ドイツ村にあるホテルに泊まり、観光バスにガイドさんの案内で周辺の5島を巡りました。それも良い旅で、美しい海と砂浜、そして「地下ダム」とか「サンゴ礁の砂は魚が作った」などたくさんの話が印象に残りました。だから「また行って見たい」気持ちになったのでしょう。<o:p></o:p>

 

今回の旅では初めて宮古島の古い歴史や史跡や文化にふれることができ、さらに親しみや興味を抱きました。勝手気ままな一人旅の醍醐味を感じることができました。旅を有意義にするにはやはり関心あるテーマを持つこと、ある程度の知識や情報を得ておくことなどが大切です。自分が見たい、知りたい、感じたいという意識や気持ちがあると自然に違う景色が見えてくるし、ときにはあちらの方から飛び込んで来てびっくりすることもあるのです。人間の脳ってつくづく不思議です。<o:p></o:p>

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写真:大橋の手前にいたしっかりした体躯の馬が「宮古馬」です。サラブレッドに比べ背はやや低いですが性格は温順。さとうきびを一心不乱に食べていました。

 

(結果的に)長くなってしまった「宮古島の旅」におつきあいくださってありがとう。

 さあて次はどんな旅かな?<o:p></o:p>

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漲水御嶽と張水御嶽(オハルズ)。水が大切

2008-05-08 12:04:08 | あいよっこの島々模様

 

宮古島で有名なお菓子といえば、そう「バナナケーキ」。平良港の近くにあるモンテドール製菓の周辺には、お菓子を焼くあまーーい香りが漂っています。そして島で最高位の由緒あるウタキ「漲水御嶽(はりみずうたき)」はその隣にあります。洋菓子とウタキ、なんとなくミスマッチ?でもそんなのまったく関係ないのです。

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写真:漲水御嶽は宮古島の人たちの篤い信仰心を集め「ツカサヤー」とも呼ばれ、古代宮古人の源流をさぐる上からも注目されています。

 

<o:p></o:p><o:p></o:p>反対側にまわって正面から見ると、こちらには威厳が漂っています。宮古島の創生神話によると古意角・姑意玉の2神が天下りした聖地であり、「人蛇婚説話」も残されているといいます。

そういえば「天下り」とは決して官僚が(お上の)公務の仕事から、民間企業などの格下の仕事に就くことではないですよね。本来は「神さまが下界に降臨されること」だったと忘れていました。神様のことばもすっかりイメージダウンしてしまいました。

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ウタキの前にはかつて政庁であった「蔵元」の跡、その横には以前に紹介した「漲水石畳道」があります。周辺はいわば政治と宗教の中心だったのでしょう。周りを取り囲む古い石垣にも名残があります。

写真:石垣は仲宗根豊見親が八重山のオヤケ赤八の乱に凱旋した記念に築いたと伝えられている。

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訪れたのがちょうど旧正月のお祭りだったので、人々がひっきりなしに訪れていました。仕事の途中でちょっと寄ってお祈りしている人もあります。狭い拝所の中にはたくさんのお供えが飾られ、線香の煙と匂いが立ちこめていました。お参りにはたいてい底が四角くなった(たぶん用具一式を箱に入れているみたい)風呂敷包みを手に携えています。新聞紙を一枚敷いただけの上に座って、長い間静かにお祈りしている中年女性の姿もありました。

 

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<o:p>写</o:p><o:p>真:綾道にある拝所(後方)の周辺では、発掘調査がされているところも。</o:p>

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以前田口ランディさんの『旅人の心得』(神さまの息遣いが聞こえる場所)で紹介しましたが、池間島の最高位の御嶽は「オハルズ(張水)」で名前が似ています。「漲(みなぎ)る水」と「(田や畑に)張る水」、雨水が即流れ出てしまう宮古島周辺では「水」がいかに大切であったかが想像できますね。

 

写真:「平良綾道マップ」は防水加工もしてあり、美しくしっかりしたつくりです。

 

宮古島は次回で終わります。

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伝説や言い伝え、たくさんの物語が息づく道

2008-05-04 12:16:12 | あいよっこの島々模様

「平良綾道」---ぴさらあやんつ。なんとなく異国情緒を感じる良い響きですね。この「美しい道」は、宮古島の旧市街地にある、ウタキ、寺跡、古い井戸、豪族のお墓など約30ヶ所を巡る散策コースとなっています。島は平良(ひらら)港を中心に栄え、地名は平良市(ひららし)なのですが、同じ地名の漢字でも読み方が違うのですね。

スタート地点<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="47:沖縄県平良市;" Address="平良市">平良市</st1:MSNCTYST>役所から歩いてまわると、なにしろ30ヶ所もあるので、すべて訪ねるには半日~1日は必要です。主なところを巡っていきましょう。ここからは、2008/3/8「古い井戸が怖いのは映画『リング』のせい?」の続きですよ。蛇足ですがそのうちのひとつ「尻間御嶽」はどう読むでしょう?ーーー答えは「っしまうたき」声に出して見てね。

 

写真:仲宗根豊見親の墓、石の階段をねこがゆっくりと横切っています。右がお祈りの中心場所、手前は深く掘ってある(井戸?)

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実際に歩くことでその場所の雰囲気を全身で、また五感で感じることができます。あるいは精気とか霊気とかも迫ってきます。大きくて濃い緑色を背景に、カラフルな花たちが咲き誇っていて、周囲には蝶や虫などの昆虫や小動物もあちらこちらにいます。ああ亜熱帯だ!本土ではショップで販売している熱帯植物も普通にそのへんで生き生きと茂っているのです。

 

写真:ンー(芋)ヌ主御嶽はなじみのある形。中国に漂着後、帰国時に芋かずらを持ち帰った長真氏旨屋を「イモの神さま」として祭っています

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育ちすぎて手入れの方が大変なのか、人家の庭に植木は少なく、樹木が茂っている場所はたいてい「うたき」「拝所」のことが多いです。遺跡ポイントでは目立つ標識もほとんどないので見逃してしまいそうですが、こんもりした植物群を目標にするのも1方法です。それほど広くないエリア内に、これほどたくさんの遺跡や御嶽があることに驚きます。

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写真:「知利真良豊見親の墓」は保存状態もよく、墓の形の変遷や石工技術を知る上でも重要。

 

隣りあわせで拝所やうたきがあるのは、なにか宗派みたいなものもあるのでしょうか?五穀豊穣とかお家安泰とか子孫繁栄といった目的が違うのでしょうか?また調べてみたいことです。そして形も本土の神社や祠に良く似たものもあれば、シンプルにブロックの囲いだけのものもあります。

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もっとも大きくて代表的な史跡が「仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓」と「知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみゃ)の墓」で、石の階段が特徴的です。本土の古墳と違うのはやはり台風銀座といわれる気候のためなのでしょうか。反対にそうした史跡しか現存していない、とも言えるのでしょう。

 

写真: アトンマ墓(右)はやはりお世継ぎ、を大事にした表れなのでしょうか?

 

  大きな墓の後ろ横に続いているのが「アトンマ墓」です。アトンマは「継室」つまり後妻のことで、仲宗根豊見親を元祖とする忠導氏ゆかりの継室だけを葬っています。周辺はひっそりと植物が茂り、また違う雰囲気が漂っています。

 

 

宮古島の史跡で有名なのが高さ143cmの石柱「人頭税石(ぶばかり石)」(写真)です。平良港近くの臨界道路沿いにあります。

王府時代に宮古・八重山地方にはこの高さになると税を課せられたとのこと。世界中で最悪の税制、と言われるのは「人の成長を阻害する方向に働いた」からということなのでしょう。

 

 

次回に続く。<o:p></o:p>

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島には美しい自然と独特の文化が詰まってる

2008-04-28 10:23:50 | あいよっこの島々模様

 

伊良部島・下地島周辺はさらさらの白い砂と、エメラルドグリーンの透明な海水ビーチが続きますが、ここ渡口(たぐち)の浜は、それらを代表する遠浅の海水浴場です(写真)。人影の少ない浜辺で、車の中から美しいカーブを眺めていると、それほど若くもない男女のカップルが写真を撮り始めました。<o:p></o:p>

 

と、突然女性が横になって(うふふ、この次なにが始まるのでしょう?あらぬ想像をしてはいけません)洋服を着たまま(当たり前か)海に向かって、緩やかな斜面を転がり始めました。 ばんざいのかっこうでごろごろごろ・・・!な、なんだ、こんなところで体操? でも砂が・・・、洋服は大丈夫? ときおり止ってポーズ。どうもその動作を写真にとって欲しいようです。 <o:p></o:p>

まるで映画の中でヒロインがふざけて行うような、そんな動作を普通の人が抵抗なくするようになったのですね? 確かに映画のような背景ではありますし、誰も見ていないとも言えますが・・・。おばさんはただ「日本も変わったなあ」と思うのみです。<o:p></o:p>

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渡口の浜の手前には<st1:MSNCTYST Address="伊良部町" AddressList="47:伊良部町;" w:st="on">伊良部町</st1:MSNCTYST>指定史跡文化財「乗瀬(ヌーシ)御嶽」がありました(写真)。ここは大きな御嶽ですが、気をつけていると小さな拝所はあちらこちらに見られます。入り口にある(りっぱな)石碑には「・・・1400年ごろの発祥。女神『玉メガ』を祭り、後悔の守護神として崇められている。旧暦11月・12月には『カンウリ』と称する神願いを行うが、この神願いは、琉球の交易、宮古の密貿易や八重山などとの交流があったことを裏付ける祭りである」と書いています。古来より島同士の交流がさかんに行われていたということですね。<o:p></o:p>

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さあ伊良部島・下地島を一周して港に近くなってきました。道路のすぐ横に「豊見氏親(とよむぅずのしゅ)墓碑」があります(写真)。これは1450年ごろの首長だったその人が、フカ退治をしたお話らしいです。その時の太刀が、末裔の下地家に保管されているのだそう。墓碑の背後にある鍾乳岩の巨岩は美しい背景でもあり、またお守りしているようにも見えます。<o:p></o:p>

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港を下に望む場所で不思議な光景です。道の両側には小さな、カラフルな建物がまるで分譲住宅のように並んでいます。それが島の墓地、と気づくまでに時間がかかります。こんなに港に近い、高台の良い場所を墓地にする、ということは、島の人たちがいかに祖先を敬い弔う場所を大切にしているか、を感じます。(写真)でも周遊コースの最後になっているのは、やはり旅人の印象を考えているのでしょう。

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次回は再び宮古島に戻ります。<o:p></o:p>

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サンゴ礁の島々は海の色がブラボー!

2008-04-19 00:00:01 | あいよっこの島々模様

 

通り池の水面は穏やかで、深い青色の水を静かにたたえていますが、覗き込むと吸い込まれるような感じです。上から見るだけでも水の色が太陽光により変化するのがわかるほどです。ここが有数なダイビングポイントなのは、鍾乳岩からなる複雑な地形と海の色にあります。

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表層は淡水で底は海水が混在するので、境界には「ケモクライン」ができ、また水温の違う水が接してできる境界線「サーモクライン」もできるという不思議な環境です。海中から上を見上げると太陽光の角度や見る人の角度で、黄色、緑色、青色、ピンク色、さらには白く光る・・などとさまざまな色の変化が楽しめるのです。<o:p></o:p>

 

でもここでのダイビングは中級以上でボートが必要。水中から池の水面に出ると観光客がいっぱい見ていた、写真を撮られたなんてこともあるのです。こんなところで潜るのは、閉所恐怖症気味のあいよっこはちょっと怖い感じです。ひろーい海の中で潜ったり、シュノーケリングしたりするのは平気なのに、なぜでしょう? <o:p></o:p>

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通り池からは木製の散歩道が、さらに先へと続いています(写真)。あたり一面ごつごつした石灰岩に覆われていますが、岩の合間に花や植物が咲いているのが彩りとなっています(写真)

 

散歩道の終点には小さい鍾乳洞があり、見下ろす場所に展望台があります。これが「ミニ通り池」かな? 洞窟を覗くと底に水が見え、深く暗く、やはり吸い込まれそうな恐怖感を覚えます。こうした地形を目の当たりにすると、宮古島や周囲の島々がサンゴ礁の隆起でできたことが実感できるのです。

 

 

 

 

 

 

 

宮古島・池間島の北に、年に一度大引き潮の時に出現する幻の大陸「八重干瀬(やびじ、やえびし)」。南北約10Km、東西約6.5Kmの大陸に今年は4月初旬に上陸観光が行われ、珊瑚の生態や熱帯魚の観察などをしたようです。もう少し隆起すると陸地になったのでしょうが、反対に温暖化で海水面が上昇すると、幻はほんとうにまぼろしになって水没してしまう可能性もありますね。<o:p></o:p>

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<o:p>写真:垂れ下がっているごつごつした岩と暗く深く引き込まれそうな水面。たった一人だと、覗いているだけで恐怖感があるのですよ。</o:p>

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