あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ⑥

2018-11-26 14:24:34 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

          写真上:イルカパーク手前にある「壱岐の土台石」

                      板を重ねたような地層からは植物化石や貝殻化石が見つかる

 

  今回は壱岐島の自然や景観についてです。

 

  「断崖や奇岩が見られそう!」と最も期待していたのは、島の北部にある「辰ノ島クルーズと上陸」でした。がっ、1日目は風雨で中止、翌日に「開始します」の電話があったのは時間的にぎりぎりでやむなく断念です。この旅のお天気がいまいちだったこともあり、「また来てね」と言われている気分です。

 

  そこで近くのイルカパークへ向かいます。すると手前で珍しい地層を発見!一気に夢中になってしまいました。薄い皮が重なった地層が階段状になり水が流れています!表示には「壱岐の土台石」とあり、「頁岩(けつがん)と砂岩が交互に堆積した層で大変もろくて割れやすい。別名:勝本層と呼ばれ玄武岩の下もこの地層になっている」らしいです。「天ヶ原海岸」でも見られることを後で知りました。

 

  頁は「本の頁(ページ)」なので、大変薄い層ということだし、英語のシェールはシェールガスとも関係しているのかな? ※検索してみるとやはり、シェールガスは地下2~3kmあたりのシェール層(頁岩層)から採取される天然ガス、とのこと。シェールオイルはこの層に埋まっている石油のことです。薄くてもろい層なので技術的に困難なのですね。

 

  さて目的の「イルカパーク」は串山半島にあり、海洋とつながった入江で現在ハンドウイルカ4頭が飼育されています。とても自然に近い環境でのびのびと育っているイルカたちとは、トレーニング風景を見学し、エサやり体験を通じて触れあうことができます。それにしてもイルカさんって頭が良くて仲間同士はもちろん、人間とのコミュニケーション能力が高いし、口を開けると笑顔になって「愛されキャラ」だな~。

 

  島の周囲は玄界灘の激しい風雨や海流で侵蝕された場所が多く、最も有名な「猿岩」は、高さ45mの巨大なおさるさん。ユーモラスな横顔は壱岐のシンボルです。

 

  また近年人気の「鬼の足跡」は、断崖に開いた直径約110mの海蝕洞門で、噴き出してくる潮の流れが美しい文様を描きます。見ている場所もスリル満点で足がすくむよ!だけどいつまでも見飽きることがありません。

 

  さらに島の東側にある「左京鼻」では海蝕断崖が1kmほど続き、玄武岩の柱状節理や奇岩があります。そのなかで八幡半島先端部の海中から突き出た柱状節理は壱岐島誕生神話「8本柱」のひとつ「折柱」とされています。

 

                                   

   

  あいよっこの想像では、対馬も壱岐も日本列島改造とかバブル時代の激しくておかしな?影響を受けないで、かえって良い自然や文化が残っているという印象を受けます。島民のなかには「日本遺産ではなく世界遺産になりたかった」という声もあるようですが、できればそのままで守ってほしい、というのは旅人のエゴかな?

 *** 「対馬・壱岐  防人の島・聖地の島」を終わります ***

 

       階段状になったところに水が流れています。珍しい!

   写真上下:「イルカパーク」ではイルカさんと触れあえる

 

 

       「鬼の足跡」 周囲は断崖で足が震える~~

     写真上下:「左京鼻」玄武岩の柱状節理が見られる。

          海中には壱岐島誕生神話「折柱」が。

 

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対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ⑤

2018-11-26 13:50:25 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

        写真:2018/6/34~28 「対馬・壱岐」

        写真上:「男嶽(おんだけ)神社」に所せましと並ぶ石猿たち

 

  夕方、壱岐・郷ノ浦港(ごうのうらこう)に到着。壱岐島はコンパクトながら観光資源が多く、ルート案内、宿泊施設など、観光への配慮もいき届いている感じです。対馬と同じく大陸や朝鮮半島との交流ルートで、有名な中国の歴史書「三国志・魏志倭人伝」に「一支国(いきこく)」として登場し、王都「原の辻(はるのつじ)遺跡」が発見されたことは島の宝です。当時は渡来人と倭人が出会って交易を行う重要な拠点だったのですね。今回は主として文化的遺跡や寺社の紹介です。

 

  「原の辻一支国王都復元公園」に立つと、周囲を多数の掘で囲まれた「環濠集落」であることや、小高い丘に建つ茅葺の住居のようすがよくわかります。足元に広がる黄色い花たち、見渡すかぎりの平原を眺めていると、「弥生時代からずうっと変わっていないみたい」と錯覚しそうです。

 

  原の辻遺跡からはこれまでに、な~んと10万点以上の遺物が発見され、なかでも国内唯一の「人面石」は重要文化財であり、そのほか中国大陸・朝鮮半島製作と推測される遺物も数多いのです。 遺跡のある深江田原(ふかえたばる)は長崎県内で2番目に広い平野(!)で、また島内の鬼の窟(おにのいわや)はじめ280基の古墳群は、県の総古墳の6割にあたるそうです。 

 

  対馬と同様に寺社が多く、古い歴史と伝統を伝える神の島でもあります。住吉神社には鳥居前に「大クス」と拝殿前の「夫婦クス」があり、荘厳で珍しいです。夫婦杉はよく見かけますよね。常緑樹のクスノキは子孫繁栄の象徴なので、「長寿・縁結び」のご利益があると人気です。

 

  男岳山頂上(標高156mですが…)にある「男嶽(おんだけ)神社」はとてもユニークです。御祭神「猿田彦命」にあやかり、奉納された230体あまりの石猿たちがさまざまな姿・形、しぐさや表情で迎えてくれます。石猿たちは愛嬌たっぷりだし、拝殿裏にひっそりと鎮座!する「ご神体」も可愛いです。しかしこの御神体には磁石を狂わせる磁力があり、パワースポットともなっているのですよ。

 

  観光パンフレットなどでおなじみなのが「はらほげ地蔵」です。海中で赤い胸掛けをした6体の石地蔵は、遭難した海女をお祀りしたとも、鯨の供養のためともいわれています。「はらほげ」はお腹の部分がえぐられているところから。

 

  地蔵がある一帯の内海湾(うちめわん)は原の辻王都を訪れる古代船が往来した玄関口でした。「小島神社」は現在でも島全体が神域とされ、干潮時だけ参道が現れることで、「壱岐のモンサンミッシェル!」とも呼ばれているのです。

 

          男嶽神社の「ご神体」(左側)ちょっと可愛いけど、磁力があるよ!

     写真上下「原の辻一支国王都復元公園」

 

                            住吉神社 鳥居前の「大クス」

                                拝殿前の「夫婦クス」

    内海湾に浮かぶ神域の「小島神社」 手前の海が割れて参道ができる

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対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ④

2018-10-29 14:10:02 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

   写真:2018/6/34~28 「対馬・壱岐」

   写真上:「鮎もどし自然公園」清流・瀬川が花崗岩を浸食した

 

  対馬固有の宗教「天道信仰」では、おてんとうさま、つまり太陽を崇拝し、太陽の光が母神の陰部に差し込んで胎児を孕んだと伝わり、これを「太陽感精神話」と呼びます。朝鮮半島「高句麗の始祖・朱蒙(ちゅもん)」の生誕は「日光感精伝説」と言われ、キリストの生誕もちょっと似ています。※一説には、そのため九州地域ではキリスト教のマリア様とイエス様を受け入れやすかった、とも。

 

  こうして母神から産まれた子神を「天道法師」と呼び、天道を山頂に、母神を山麓にお祀りする「母子神信仰」となっています。

 

  母子神が宿る龍良山全域が、かつてなんびとも入山禁止の聖地でした。龍良山南面の浅藻(あざも)地区にある「八丁角(はっちょうかく)」は、超能力を持つ「天道法師」の墓所で、また龍良山北面の山中にある「裏八丁角」は母神の墓所であり、この2か所は特に強いタブー地でした。聖地は別名「オソロシドコロ」と呼ばれ、現在でも恐ろし気で、畏れ多く、近寄り難い雰囲気と霊気に満ちているらしいです。

 

  天道信仰は7世紀ごろが起源と伝わりますが、もともとは「太陽と海神・山神」の自然崇拝に始まりました。時代の変遷により同じく「母子神信仰」の「八幡信仰」に習合して母神が神功皇后 、子神が応神天皇と重なったり、日本神話と結びついて母神が豊玉姫命(トヨタマヒメ)、子神が鵜茅草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と重なったりしました。さらに「神仏習合」では対馬固有の修験道も形成されました。

 

  対馬の「海神」に始まる信仰が、南では「天道信仰」となっていながら、しかも古代信仰の形をとどめていることは、宗教史において貴重なのでしょう。「島」の環境下では、比較的他地域からの影響を受けにくく、独自の変遷を経たこともわかりやすい形となっているようです。

                          

  聖地龍良山のふもとに広がる珍しい景観が「鮎もどし自然公園」です。目に飛び込んでくるスベスベになった硬い一枚岩の花崗岩の川床、清流がところどころ滝になり、甌穴(ポットホール)も多数見られます。とっても不思議な自然の光景に大興奮!でも確かに鮎たちは遡ることが難しそうだよ。

  午後にはフェリーで壱岐島に向かいます。

       硬い花崗岩が流れる岩石でつくられた滑らかな「甌穴」

      小雨と霧で写真が暗いね~。

   瀬川沿いの神社

   多久頭魂(たくづたま)神社の鳥居

    

    裏にまわると、拝殿裏に「やっぱりあった~!」くすのきの大木。

    下はクローズアップ。ここにあるから、聖地になった、ともいえそう。

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対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ③

2018-10-15 14:04:27 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

           写真上:多久頭魂(たくづたま)神社を守る狛犬たち 

 

 対馬の南部に向かうと雰囲気が大きく変わります。宿泊が美女塚近くだったので、翌早朝ご主人とスタッフに車で案内してもらいました。小雨と霧のなか、原生林が生い茂る山々、神様が宿る神社、古くからの篤い信仰心と歴史的な神事、ともかく尋常ではない霊的雰囲気に圧倒されそうです。

 

 まず「美女塚」へ。ここ「豆酘(つつ)」に生まれた美しい村娘「鶴王御前(つるおうごぜん)」の悲しい伝説を伝える石碑です。昔住んでいた鶴王という美しい娘は采女(うねめ)として都に召されることになりましたが、年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都に上る日に自らの命を絶ったのです。「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、今後この里に美女が生まれませんように・・・」と言い残したそうです。※采女は古代天皇の宮廷に地方豪族の娘が出仕した制度。

 

 ううむ~、今では考えられない運命ですね~。世が世なら喜々として上京するでしょうし?、亡くなってしまったらお母さまもよけい哀しむとも思えるけど・・・。(伝説にいちゃもんつけてすみません)

                                           


 近くの小さな神社が「雷(いかつち)神社」で、ここでは1500年前から続く「亀卜(きぼく)神事」が執り行われます。「亀卜」は古代中国の殷(いん)とか周(しゅう)の時代から「亀の甲羅に甲骨文字を書き、それを焼いて国政(祀りごと)を占っていた」というもので、日本には朝鮮半島を経て奈良時代に伝わったとされます。

 

 現在では伝統的神事も簡略化され、多久頭魂(たくづたま または たくずだま)神社の宮司による祝詞に始まり、火鉢の炭で焼いた附木(つけぎ)を甲羅に当て、ひび割れた状態から天啓を得て、農業や漁業などを占うそうです。かつては朝廷でも行われましたが、今では全国でこの神社だけとなっています。時代による変遷はあるものの、こうした古典的な伝統が存続していることがすばらしいです。

 

 晴れていたら美しい「豆酘崎(つつざき)」を山上からながめ、降りて港や海の神社を見た後、最後に「多久頭魂神社」に向かいます。周囲を取り囲む 龍良山(たてらさん)の原生林と、立ち上る霧雨も重なり神秘的オーラに包まれています。

 

 龍良山は古来不可侵の聖地であり、「なんびとも入山禁止」でした。スダジイ、イスノキなどの、通常は巨木になりえない樹木が巨木に育って林立する、自然度が極めて高い原始林・照葉樹林です。スタッフの説明では「山中では磁場が強く磁石が狂うために、迷う人亡くなる人も多かった」そうです。そのため神社の境内には主峰(標高558・45m)を霊山として崇める「遙拝所」が設置されています。


 それにしても地名「豆酘」はじめ、「多久頭魂神社」「龍良山」…とっても難しい漢字や読み方を見ると、この地域が古くからの伝統文化を保持していることを感じますね~。なにしろ対馬は日本一神社密度が高く、さらに独自の神信仰を守っている地域です。

   ***  続く  ***
  

        「美女塚」悲しい伝説を伝える石碑

  

   ひっそりとたたずむ「雷(いかつち)神社」。前庭で「亀卜神事」が

   行われる。

 

    港で今も使っている船留めの木杭は珍しいもの。

    学者さんが研究しているそう。

   港の近くでは走る動物に遭遇。「テン」らしい。

   豆酘埼に向かう山道では沖縄・ヤンバルクイナ風の鳥が歩いていた、だけど

   飛び去ったので違うよ~。写真撮れず残念!

 

    聖山 龍良山(たてらさん)遙拝所がある。 

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対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ②

2018-09-29 19:25:02 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

            写真:2018/6/34~28 「対馬・壱岐」

            写真上:「万松院」対馬藩主宗家の墓所 樹木に囲まれ眠る

 

  「対馬には韓国観光客が大勢押し寄せる」といった報道は多いです。実際対馬は福岡県博多港までは132kmなのに韓国までは約50kmとかなり近く、「国境の島」とも呼ばれます。島の大きさは南北82km、東西18km、面積約708㎢は佐渡島・奄美大島に次ぐ広さで、なんと淡路島より広いのですね! 平成15年に島内全域が合併し長崎県対馬市となりました。

 

 こうした地勢から古来、対馬・壱岐は大陸・朝鮮半島との外交の拠点となり賑わいました。最も栄えた黄金期は、江戸元禄期に歴代藩主である宗氏の宗義真(そうよしざね)の時代で、彼は朝鮮貿易によって莫大な利益を得て、大規模公共事業を行うなど「西の長者」と称されました。

 

 江戸徳川幕府は秀吉の朝鮮侵略による両国の関係修復のために「朝鮮通信使」による交流を始めましたが、江戸までの往復は困難だったので、対馬において宗氏に対朝鮮外交を一任しました。対馬藩は朝鮮半島に10万坪の外交通商施設「倭館」(わかん)を設置し、対馬藩士400~500人が滞在していたそうです。現在の釜山市は対馬の人々がつくった草梁(チョリャン)の町から発展したといいます。やはり強い結びつきがあったのですね~。

 

 厳原港に近い「万松院(ばんしょういん)」は宗家の菩提寺で、歴代藩主のお墓が整然と並び、「日本三大墓所」のひとつです。山門は1615年(源和元年)に建造された対馬最古の建造物で、樹齢1000年の大杉(長崎県指定天然記念物)が宗家のお墓を見守っています。

 

 こうした「朝鮮通信使」による外交をはじめ、大陸・朝鮮半島との交流歴史や成果が、「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋」として平成27年、第1号の「日本遺産」に認定されました。


 しかし人々の行き来、文化や伝統をつなぐ重要な道筋であることは反面、大陸・朝鮮半島の国々とのなわばり争いの最先端、つまり「戦いの島」であり、国を守る「防人の島」という面も持ちます。両島には戦いのための城跡や砲台の跡といった遺跡も数多く残ります。

 

 この砲台遺跡を「対馬要塞(つしまようさい)」と称し、ウォーキングルートとして整備しています。砲台跡は明治時代の18基、昭和時代の13基など全島に31基が残っています。当時の建造技術や豊かな知識に思いをはせながら砲台巡りをするのも興味深いですね。

      *** 続く ***

 

  「万松院」の別名ともなっている「百雁木(ひゃくがんぎ)」

  幽玄な雰囲気の石段が美しい

    樹齢1000年ともいわれる大杉。塀のためか?幹が角ばっている

 

  「韓国展望所」韓国の古代建築様式で作られている。

  やはり北部のこのあたりには韓国からの観光客が多いようです

  「三宇田浜(みうたはま)海水浴場」対島では珍しい白砂の美しい浜。

   韓国語が多く聞こえます

    上下:侵蝕された面白い小島もあり興味しんしん

    写真下:「烏帽子岳(えぼしだけ)展望台」「浅茅(あそう)湾」

        リアス式海岸とまるっぽい島々が美しい。

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