さて洞川の町を過ぎ、灯りが燈る赤い建物を「あっ、これが母公堂だな」と思いながら通り過ぎました。次に「必ず左折」といわれた地点も見過ごして大きい道路のほうを進んでいると「お茶屋」が見えてきました。「大峯山遥拝所」とも書かれています。小雨がふりだしていましたが、「せっかくだから、大峯山を見よう」と思い立ちました。お腹もすいていたのです。
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中に入ると雨のためか営業も終わりにしようという雰囲気です。「おでんを三つ」頼むと「小鍋で暖めます」とのこと。席に着きおもむろにあたりを見回しますが、なんとなく感じるこの「違和感」はなに?
<o:p>写真:大淀町の道の駅はたいへんな賑わい。大型観光バスからの観光客も降りてきました。</o:p>
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まあ山の茶屋はどこもそうなのでしょうが、漂う殺風景な雰囲気、お客は男の子と父親らしい何組かの団体、若い男性グループと男性のみ。「えっ?もしかしてここはすでに女人禁制ゾーン??」という恐れがよぎります。
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<o:p>写真:上北山村から下北山村にかけての道路にそってダム湖が広がります。</o:p>
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「しかたないか、知らなかったんだし。この機会に『ご遥拝』もさせていただこう」とちゃっかりと企みました。
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周囲はたくさんの山々で囲まれ、いったいどれが大峯山なのかまったくわかりません。車の近くで「修験者用の白い装束(たぶん)」を着替えている男性に聞きました。「こちらに説明図がありますよ。あの急に深く切り込んでいるところが有名な『西の覗き』です。晴れているとくっきりときれいに見えるのだけど・・・」と残念そうです。小雨のなか遠くからですが、遥拝することができてなんだか嬉しくなりました。(前回の写真を参照)<o:p></o:p>
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ところで「西の覗き」で何をするかご存知ですか?話に聞くところによると、断崖絶壁で命綱だけが頼りという状態で吊り下げられ、仏の世界を垣間見る荒行らしいです。奈良の地元では、今でも「男の子は10歳くらいになると父親と大峯山に登る」ことを慣わしとしている家があります。かなり少なくなってはいますが・・・。周囲のお母さんたちから「行かせた」と聞きました。もっと早く知っていたら家の息子たちにも行かせたかったです。
写真:池原ダムは朝もやのなかでした。その深さ、大きさ、静かさ・・・。怖いぐらいです。
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綱をにぎる山伏の人は「親孝行するかっ?」「悪いことはしないかっ?」などと戒める(いましめる)のだそう。思うに現代日本の都会生活では、子どもから大人になる儀式(イニシエーション)がほとんど無くなっています。女性は比較的周囲からの期待や、妊娠・出産などを通じて大人になる機会もありますが、一方で男性は難しくなっていると感じます。(続く)<o:p></o:p>