あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

特集===紅葉狩り そのⅠ===

2010-11-23 01:44:33 | 日記

              写真:紅葉に映えて美しい談山神社の燈籠

 

「稲刈り」「草刈り」「トラガリ」「モヒカンガリ」、最近では「イチゴ狩り」や「ブドウ狩り」などなど・・・。ガリにもいろいろありますが、「もみじがり」と聞くと、目の前にまっ赤に燃えるカエデ、黄金色に輝くイチョウなどが一瞬のうちに広がってきますね~。風流な日本語です。 

 

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 英語では「autumn-leaf viewing」が最も多く、「excursion for viewing scarlet maple leaves」とか

fall-leaf viewing」などと表現するようですが、なんともシチ面倒くさいカンジです。

 

 

<o:p>写真:十三重の塔はとても珍しい</o:p>

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 この秋はこれまでになく紅葉狩りに熱心なあいよっこです。それというのもやはり写真撮影にはまっているから。もう何十年間も見てきたはずなのに、なぜこんなに美しい景色をそれほど意識しなかったのでしょう。写真さん、ブログさんありがとう!

 

 

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 朝起きて少しでも蒼い空が見えると、「さて本日はどのあたりに行こうかな?」あらゆるようじをさて置いて、ウキウキ気分でいざしゅっぱーつ。

 

 

 ブログの更新をなまけている言い訳がわりに、本日は紅葉の写真を特集します。まだ忙しくて紅葉狩りに行っていない方、奈良地域の景色はどうなのかな?とお考えの方など、お楽しみください。ただし県下の名所の一部ですよ。 

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 「談山神社(たんざんじんじゃ)」 

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<st1:MSNCTYST Address="奈良県桜井市" AddressList="29:奈良県桜井市;" w:st="on">奈良県桜井市</st1:MSNCTYST>と<st1:MSNCTYST Address="明日香村" AddressList="29:明日香村;" w:st="on">明日香村</st1:MSNCTYST>が接するあたりの山々を「多武峰(とうのみね)」と呼び、談山神社はその中心にあります。現在は<st1:MSNCTYST Address="明日香村" AddressList="29:明日香村;" w:st="on">明日香村</st1:MSNCTYST>の石舞台を越えて登る道路が整備され、とても行きやすくなっています。

 

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 多武峰は歴史上有名な「大化の改新」にかかわりの深い地域です。西暦645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我入鹿(そがのいるか)を殺害する際に相談し合った「談合の地」から神社の名前がつけられたと言われます。

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   「吉野朝跡の夕日」

 

<o:p></o:p> 吉野朝跡は、修験道のメッカ金峯山寺(きんぶせんじ)蔵王堂の西側にあります。吉野に逃れた後醍醐天皇は、最初に「吉水院(現吉水神社」に朝廷(南朝)を置きましたが、あまりにも手狭でこの場所の「実城寺(じつじょうじ:後に金輪王寺に改名)に移しました。山がちな吉野地域では、数少ない夕日スポットです。

(続く)<o:p></o:p>

 

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天皇さまや一族と古来より深いつながりがある

2010-11-10 00:30:44 | *南朝から後南朝の舞台に思いめぐらせ*吉

                        写真:高原地区の民宿「ログキャビン高原」からの眺め

 

「平城遷都1300年祭」の主要な会場となった「平城宮跡会場」が117日に閉場しました。「平城が閉場です」(ど~でもいいですか?) 予想を大きく超える来場者数からは、あらためて奈良の持つ歴史や文化の吸引力・魅力が感じられます。そして観光関係者の間ではすでに、「ポスト遷都祭」についての議論が始まっているようです。<o:p></o:p>

 

 

 ただ県北部の宿泊数が大きく伸びた反面、県中部・南部はかえって減少するという期待はずれの現象(減少という現象:しつこい!)もあったようです。もともと県北部でも「建物規制が厳しく、ホテル等の経営が難しい」という原因で宿泊キャパが少ないそうですが、簡単に「規制緩和すべき」とも言えないのが難しいところです。<o:p></o:p>

 

 

写真:福源寺で説明する研究者の石本さん。

 

 

しかし中南部にも同じような規制があるのでしょうか? 最近あいよっこは南部を巡ることが多く、何度となく宿泊施設のネット検索をしています。そのたび「特に南部は、日本中のどこより適切でリーズナブルな施設が少ないなあ」とため息をつくのです。施設も宿泊プランも個性的・魅力的ではなく、(女性の)ひとり旅対応もあまりできていないようです。<o:p></o:p>

 

 

訪れる人が少ないのでそうなってしまうのか、あるいはそれほど観光地化を期待しないのか、新しい考え方での経営が進まないのか、参入しにくいのか、理由はわからないです。結局宿泊をあきらめて日帰りすることが多くなります。<o:p></o:p>

 

 

写真:福源寺裏にある旧いお庭

 

 

ポスト遷都祭としては、たくさんの埋蔵金(?)が埋もれている中南部に光をあてることも重要なポイントとなるでしょうが、アクセスと宿泊という基本的な整備がまず必要です。期待しています。<o:p></o:p>

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さて一ヶ月前のことになります。1010日に<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:川上村;" Address="川上村">川上村</st1:MSNCTYST>の「森と水の源流館」が主催する「もりみず探検隊:後南朝と木地屋の里を歩く」というイベントがあり、前回(6/10)に続いていそいそと参加しました。そのようすを報告します。(参考資料:森と水の源流館が作成したレジメ)<o:p></o:p>

ところで<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:川上村;" Address="川上村">川上村</st1:MSNCTYST>はもちろん南部ですが、村営の「匠の聚(たくみのむら)コテージ」はネット予約が簡単で、1人宿泊もリーズナブル。木を活かしたコテージは清潔で気持ちが良くときおり利用しています。ただし部屋数はわずかです。

 

 

写真:福源寺に下がる「岡室御所」のちょうちん

 

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 今回は木地屋(きじや:木地師とも呼ぶ)が多く生活をしていた高原地区に残る後南朝の史跡や伝承を訪ねました。木地屋というのは雑木をお椀や杓子などの日用品に加工していた職人さんたちのことです。プラスティック製品が出回る今に比べ、古来よりとても必要で大事な仕事とされていました。

 

 

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 高原地区には後南朝時代よりはるか以前の9世紀後半に、木地屋の祖「惟喬親王(これたかしんのう)」が隠棲したという伝説も残っています。親王は平安時代前期の文徳天皇(もんとくてんのう)の第一皇子でしたが天皇に即位することはかなわず、出家・隠棲したと伝わります。

 

 

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 親王は「岡室御所(おかむろごしょ)」を営み、家来たちが木地屋として生活した場所が「木地が森(きじがもり)」です。親王はこの地で亡くなり「氏神神社」に葬られたと伝わります。

 

 

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 伝承と文書が残る「惟喬伝説」は、地域の人々により幾世代も大切に守られています。かつて親王さまが住んでいたということは、家来・側近も多数存在し、つまり住民たちは子孫・系統の可能性が高いといえるのでしょう。

 

 

写真:福源寺の内部は色鮮やかで、たくさんの16弁の菊のご紋が。

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常に「吉野・南部地域の人々は、どうして多くの犠牲を払ってまで逃れた天皇一族を守るのだろう」という疑問を抱きながら南朝・後南朝を巡っていますが、これは理由のひとつかもしれません。子孫・系統意識があれば、尊王につながるのは自然なことですから。(続く)<o:p></o:p>

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四国88ヶ所巡りは交流と癒しの装置

2010-11-02 02:06:21 | 日記

 

 

 

           写真:「ものみな土に戻る」ということばを思います

 

赤ちゃんが産まれて忙しくしていました。といってもあいよっこが産んだわけではなく、それは(ちょっとだけ)昔の話。

 

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そんなあいよっこなのに、そしてブログも「おばさんの・・・」と銘うっているのに、なんだか嬉しくなるお話を書いていただきました。それは2010/9/1に書いている「さすが結界の島、四国には独特の雰囲気が・・・」の後日談(お相手談?)ともいえるようなお話です。 

 

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 ブログには「男性の二人連れに『写真を撮ってもいいですか?』とお願いしました。お二人はこの旅で知り合ったそうで、3日間で前半45ヶ所を巡り、ここが最後なのだそうです。」と書いていますが、そのうちの1人が「ストレンジ・N」さんでした。内容の濃いホームページ「遊星測候所」とブログ「遊星日誌」を管理されています。

 

 

 

 実は「お二人はこの旅で知り合った・・・・」のではなく、HPを通じて友人になられたそうなので、ここで訂正いたします。後日談の部分は「聖地巡礼 最終日~四国遍路覚書10」の「最後の奇跡」というものものしいタイトルです。 

 

 

<o:p></o:p> <o:p>写真:巨岩に抱かれる岩屋寺</o:p>

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さらに最も照れてしまったのは「・・・お若い女性の方が・・・」という一言。ストレンジさんはとっても感性の鋭い、感情の豊かな方で、しかも女性を喜ばすこともお上手ですね。

 

 

写真右:山門

 

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ストレンジさんも聖地巡りは初めて、とのことですが、あいよっこも同様で、最初にちょうど真ん中をお参りするという、かなり変則的なことをしてしまいました。実は岩屋寺に興味があったためですが、たった一ヶ所だけなのに感動を覚え「本当に来て良かった~!」と思いました。 

 

 

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お参りしている人々も、受け入れる人々も、そして地域の自然や独特の雰囲気も、すべて人懐っこく温かいのです。四国88ヶ所巡りというのは、神さま・仏さまたちと人たちと、また人々どうしの「交流の装置」「癒しの方法」となっているのだと感じました。

 

 

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「どうして私たち二人を撮る気になったのか?」と疑問を感じていらっしゃいますが、自分でもなぜなのか、はわからないです。もしかすると書かれているようにストレンジさんの「写真を撮っておきたい」という念が通じたのかもしれません。一歩歩き始めてすぐに、上から降りて来る人々との挨拶や装束などに、なぜだか心が動いたことは確かです。

 

 

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そしてストレンジさんはじめ、多くの方々がそうしたい、と感じられるように、私もこれから聖地巡りに出かけることでしょう。写真やブログを通じてこうした交流が生まれることも、あるいは四国聖地巡りの背景が影響しているのかもしれません。 

 

写真:たくさんの石仏さんが並ぶ

コメント (2)
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