あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

大分県の石仏めぐり ⑥

2016-11-28 14:56:56 | 大分県の石仏めぐり

 

           写真撮影日:2016/6/26

           写真上:熊野磨崖仏の「大日如来像」

        高さ6.8m 宝冠がなく、印も結んでいないので「薬師如来」では?

        との説もあるが、「大日如来」の古い形とされる。

 

  さて「菅尾石仏も鬼が一夜で作った」という「鬼伝説」はこうです。(あいよっこまとめ)

  時代は平安時代の終わりごろ。ここ豊後宇対瀬(ぶんごうたいぜ)の鬼は作物を荒らしたり、あばれたりする乱暴な鬼でした。挙句の果てには「里の娘を嫁に欲しい」と言い出すしまつ。

 

  里人たちは鬼と相談(!?)して「堂山の崖に石仏を五体、一番鶏が鳴くまでに彫り上げたら嫁を世話しよう」と決めました。鬼は喜び、さっそく彫り始めました。(※いつの世も、また鬼にとっても、お嫁さんは嬉しいものなのね~)

 

  「一夜では絶対無理だろう」と思ったのに、鬼はすさまじい形相でノミを走らせ、ついには最後の「多聞天像」に取り掛かっていました。里人は一計を案じて、鶏の鳴きまね名人を呼び寄せ、屋根の上でバッチョロ傘をバタバタと打ち合わせて「コケコッコー」と鳴いてもらいました。

 

  鳴き声につられて本物の鶏たちも鳴きはじめ、里人たちはこの時とばかりに竹槍や鎌を打ち鳴らし、ときの声を上げて山に迫りました。鬼は驚き慌てふためいて裏山に逃げ、二度と里に現れませんでした。多聞天像が半彫りになっているのはこのためなのです。

                        

 

  こうした鬼伝説は日本各地に残りますが、その地域に合わせてリメイク?してあるのが面白いです。やはり当時も流行とかあったのでしょうか?同じように国東半島の沖にある「姫島」伝わる古事記の「国産み神話」なども各地にありますね~。

 

  国東半島の仏教文化は奈良県・吉野山に始まった山岳宗教・修験道の影響を強く受けているし、また「熊野磨崖仏」およびここの「五所大権現」も紀州熊野権現を勧請(かんじょう:分霊のこと)したといわれ、いずれも「権現様」が信仰の中心となっています。

 

  この「権現様」というのは修験道の創始者とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が吉野山における修行や祈りにおいて出現させた、神とも仏とも違う日本独自の尊格・尊像とされています。ちなみに吉野山・金峯山寺の本尊は「蔵王権現」です。

 

  現在のようにマスメディアなどない時代においても、遠い地域の信仰の形や伝説などが各地に広まっているのは、おそらく人づて・口コミの力だったのでしょう。「こんな信仰の対象が欲しい」とか「あの伝説・ストーリーがここにもあったらいいのに・・・」などの素朴な気持ちが表れているようで興味はつきません。

 

  それにしても「廃仏毀釈」の影響を受けなかった地域性とか、住民の信仰心やお守りの気持ちなどで、本家より貴重な文化が育っていることもあるようです。また一言で「石仏」と言ってもさまざまな神様、仏様、権現様、お地蔵さま、などなどいろいろってことです。石仏さまには保存性が高く古い形が残りやすい、地域で人々が大事に守っている、多種多彩で親しみがあること、など魅力がいっぱいです。

 

  なにより多く野外にあるのでいつでも拝見でき、さらに「写真撮影が可能」なのがとっても嬉しいです。国宝臼杵石仏公園では、ガイドさんにおそるおそる「撮影してもいいですか?」と聞くと「いいですよ~、思う思う存分撮ってください」との返事にウキウキしてしまいました。

「大分県の石仏めぐり」を終わります。読んでくださってありがとう。

 

    「熊野磨崖仏」の自然石の乱積石段。

   「鬼が一夜で築いた」99段の石段だけど、数えにくそう~

    「文殊仙寺」にある「役の行者像」 細面でやさしく女性っぽい雰囲気

    写真上:国東半島にある「比枝神社」で もしかしてケータイ中?

    写真下:「比枝神社」ではあじさいが満開!

 

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大分県の石仏めぐり ⑤

2016-11-27 23:21:58 | 大分県の石仏めぐり

     写真撮影日:2016/6/30

  写真上:「菅尾石仏」 高さ約1.5~2mでほとんど丸彫りに近く、

      鮮やかな朱色が特徴的

      石製とは思えないほど、柔らかくてふっくらした雰囲気

 

  最終日、小雨模様の中「菅尾石仏群」がある豊後大野市三重町に向かいます。偶然手にした冊子の「豊後大野ジオパーク」情報を読み、どうしても拝見したくなってしまいました。

 

     まずは国道の案内「犬養(いぬかい)石仏」に従って細い道に入りました。山道の先にはそそり立つ岩壁と小さな木造の「覆屋(おおいや)」があり、なぜか見ただけで心が動いてくるのを感じます。中は薄暗くて仏さまのお顔もはっきり見えないですが、この「不動明王」は天台宗系で平安時代末期から鎌倉時代初期の作とされています。いい感じです。

 

  さらに「菅尾石仏」の情報を得ようと「道の駅 みえ」で買い物をしつつ、お店の方に道を尋ねていると、「私はガイドをしているので、よかったら道案内します」と男性が声をかけてくださいました。男性は「保存会でボランティア活動をしている」とのこと。おりから雨足も強くなったので大変助かりました。

 

  ここにも約100段の石段があり、フウフウ言いながら登りつめました。すると目の前にやはり岩壁があり、朱色が美しい4体の「千手観音」「薬師如来」「阿弥陀如来」「十一面観音」が静かに座り、端っこにやや雰囲気の異なる「多聞天」、この一体だけが立ち姿です。

 

  地元では「岩権現」とか「五所大権現(ごしょだいごんげん)」と呼び、篤い信仰で大切にされています。それぞれ丸彫りに近いような柔らかくてふっくらとした身体に、穏やかながらくっきりとした目鼻立ちで、「これが石仏?」と思ってしまいます。

 

  特徴はもちろん鮮やかな赤の彩色で、平安後期の作と推定されていますが保存状態がとても良いのでしょう。犬養石仏にも赤い彩色が残っているのだそうです。

 

  また両方に共通するのは「9万年前の阿蘇山の巨大噴火の跡」です。噴火による火砕流がこの地域まで流れてきて、先端部分の火砕流とそれ以前のもともとの地層がくっきりと層になっているのです。

 

  阿蘇山までは約80km、同心円状に火砕流が広がったとすると、九州の中部地域全体ともいえます。やがて火砕流は「阿蘇溶結凝灰岩」となり、比較的加工しやすいこの岩石を利用して「石仏・岩石遺跡文化」が広まったとされているのです。この地域にはそのほかに「大迫磨崖仏」はじめ興味深い岩石文化遺跡が多く残っています。

       写真上下:「菅尾石仏:千手観音像」 

       写真下:ひとり立ち姿で微妙に腰をくねらせた「多聞天像」

  

    写真上:「犬養石仏」岩壁に覆屋。 

    写真下:平安後期の作と推定される。

       欠損もなく当時の面影を伝える貴重な石仏

    写真:9万年前の阿蘇山巨大噴火時、火砕流の先端部分

       もともとの地質にかぶさって層になっている

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大分県の石仏めぐり ④

2016-11-17 12:25:48 | 大分県の石仏めぐり

             写真撮影日 2016/6/28~29

             写真上:由布川奥詰の美しい棚田風景 由布岳が背景にあり

 

  国東半島はもちろん「くにさきはんとう」ですが、「東をサキと読む」のはかなり古い時代なのでしょう。おそらく「九州北部~中部にあった国(九州王朝?)の東方あるいは東の端、さき」の意味かと想像しましたが・・・?(伝説では聖徳太子の父にあたる天皇が「大和勢力の一番サキ(端)」と呼んだから、とも。でもちょっと位置が変?)

 

  丸い半島は両子山(ふたごやま・標高720m)を中心に峰や谷が放射線状に広がり、それに沿って多くの寺社や多彩な石仏、石造物が点在する「山岳仏教文化の聖地」です。な~んと日本の約7割の石仏がこの半島にあるのだとか!

 

  海岸線に近いにもかかわらず、意外なことに森林はうっそうとして山道は険しく、未開発で古いものが保存されている印象を持ちました。なるほど「日本の秘境100選」なんですね。 10年に一度実施される山岳修行の「峰入り」難行なども、今なお行われているのです。

 

  また沖に浮かぶ「姫島」には古事記の「国産み」神話、さらに日本書紀の「比売語曽(ひめこそ・美女として名高い神様)伝説など神秘的な伝説・遺跡が残ります。この美女神さまゆかりの「姫島の七不思議」はぜひ次回巡ってみたいです。

 

  磨崖仏のなかでも圧倒的な迫力を持つ「熊野磨崖仏」には興味深い鬼伝説があります。案内所の方が「つえをお持ちくださいね。下りが大変ですので」と言われたので従うと、登りはともかく、下るときに杖があるとほんと大助かりでしたよ。ぜひつえを使ってね。

 

  このゴロゴロとした大石つくりの階段は「鬼が一晩で築いた石段」と言われ、99段あります。実はここの権現さまは紀州熊野から移られているので「熊野磨崖仏」だそうです。権現様の霊験のおかげで人々は健康で良く肥えていたのですが、ある時一匹の鬼が住み着き、太った人間の肉が食べたくてたまりません。(!)

 

  ですが力のある権現さまは「日が暮れて、翌朝の鶏が鳴くまでの間に100段の階段を造ったら、人間を食べることを許してやる」と告げます。

 

  ところが絶対に無理だろうと思っていたのに、鬼は99段造り終えて、最後100段目の石を担いでいたので、権現さまは「これは大変!」と「コケコッコウ~~!」と鶏の鳴き真似をします。

 

  鬼は「ああ~もう一個なのに時間切れだ~、できなかったら自分が食べられる。それはいやだ!(すみません、あいよっこの想像です)」とあわてて最後の一個の石を捨てて逃げたので、村人たちは食べられずに済んだ、という。

  面白いことに最終日に行った「菅尾石仏群」(豊後大野市三重町・約80kmの距離)にも似てるけどちょっと違う鬼伝説があるのですよ。

         由布川渓谷から別府市に向かう両側に広がる棚田 

    高千穂渓谷にそそぐ「玉垂の滝(たまだれのたき)」

      高さは5mだけど幅は15mもあり、細い水流が幾筋も流れる

           天岩戸(あまのいわと)神社:上下     雨模様の朝なので荘厳さと静かさ

           ひときわ。「心が凪ぐ(なぐ)」ということばを初めて実感。

   神楽女湖(かぐらめこ)   古池特有のひつじ草やしょうぶが群生し、

   野鳥の宝庫でもある。 名の由来は、平安時代に鶴見岳社の歌舞女が住んで

   いたからという

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大分県の石仏めぐり ③

2016-11-13 15:58:21 | 大分県の石仏めぐり

             写真撮影日は2016/6/27

     国宝「臼杵石仏群」平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫像されたといわれる。

     規模の大きさ、数量の多さ、彫刻の質の高さにおいて日本を代表する石仏群。

     途中で雨が降ってきて、どうやら肝心な仏さま拝見できず心残り・・・

 

 今回アップしている「大分県の石仏めぐり」旅の概要です。かなり時間経過してすみません。

 2016/6/26(日)

  伊丹空港~大分空港~レンタカーで国東半島の石仏めぐり:文殊仙寺・岩戸寺・両子寺・

  熊野磨崖仏・・・・宿泊:別府市内

 6/27(月)

  深田の里のハス田~満月寺~「臼杵石仏公園」の石仏群~風連鍾乳洞~原尻の滝~高千穂地域へ

  ・・・宿泊:(宮崎県)高千穂国民宿舎~夜神楽見学

  石仏群拝観途中よりいきなり驟雨が襲いやむなく中止、その後地雨となりました~。

 6/28(火) 

  高千穂「玉垂(たまだれ)の滝」~「天岩戸神社」~九重~長者原自然探査路

  ~(一日中長雨のため「高千穂峡」の水も濁っているし、自然景観を諦めて、早々と温泉へ)

  ・・・ 宿泊:九重リゾート

 6/29(水)

  本日の予定は「九重夢吊り橋」「耶馬渓」でしたが、な~~んと吊り橋から北上は通行禁止! 

  やはり険しい山道はまだ回復していないのでしょう。やむなく東方の由布院に向かいます。

  だけど「由布川渓谷」は生い茂った草で見えず~棚田風景がグッド~宿泊:別府市内

 6/30(木)

  「別府地獄めぐり」にしようかと思案しましたが、やはりどうしても気になっている「菅尾石仏群

  (すがおせきぶつぐん)」を見ることに。大正解!

   ~大分空港~伊丹空港

                      

  この旅の1日目は快晴だったものの、2日め午後から雨が降り始め、途中ではかなり激しく降る日もあり、いつになく撮影しにくい日が多かったです。予定も変更せざるを得ず残念でしたが、「また行きた~い!」と思ったことも確かです。日本の石仏文化、仏教信仰ってすごいな~素晴らしいな~!

 

       石仏公園の入り口近くの「不動明王像」はくっきりとした「憤怒形相」

      満月時の前にある「阿吽の仁王像」は二体とも膝から下が土に埋もれている。

      鼻が削られているのは宗教儀式によるものだそうですが、ぎょろりとした目玉

      にもかかわらずどこかユーモラス。(自然に埋もれてきた、と書いてあるので

      掘ればでてくるのかな?) 

       上下:豊後大野市にある「原尻の滝」雨が降る夕暮れなのではっきり撮れなかった

       のですが、とっても特徴ある個性的な滝です。

      

        高千穂への移動中に発見した「露天喫茶:ポトン」

          

     アジサイの花に囲まれたこれも「ポトン?」と思ったらフツーに「ごみ箱」

     でもいいなあ、この感覚!

 

     高千穂神社で「夜神楽」を見学。小さいころ近所の神社で延々と行われていた「神楽」

     当時はとってもたいくつでしたが、こんな物語だったのね。

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大分県の石仏めぐり ②

2016-11-06 17:55:13 | 大分県の石仏めぐり

    写真撮影日は 2016/6/27 2日目は「臼杵石仏公園」入口にある

    「深田の里のハス田」「満月寺」~「臼杵石仏公園」

    写真上:「深田の里」の大賀ハスの子孫 原産種らしく素朴な雰囲気が好きです

      

  この秋には個人的にも迷うこと、気ぜわしいことがいつになく多かったです。夫は5月に自転車で転倒、鎖骨骨折のために接合術で金具を入れました。9月に金具の「抜釘術(ばっていじゅつ)」をした際、全身麻酔による医療ミスが起きてしまいました!

 

  気道確保の「挿管チューブ」の芯に入れる「スタイレット」という細い金具の先端約7cmが折れて気管支内に残ってしまったのです。明日退院という夕方にレントゲンで発見され、そこからナースステーションは大騒動となりました。

 

  翌朝救急車で専門医のいる病院に転院し、その日の局部麻酔では取れず、翌日さらに全身麻酔による「気管支鏡による異物除去術」でやっと取れました。

 

  医療ミスをした病院では当然ながら謝罪をして、ミスを認めましたが、「こんなことはめったにない、ごくごくレアな事例」と説明しました。しかし現実に起きたことだし、まったく言い訳にしか聞こえません。

 

  たとえ「スタイレットという器具が折れて、残る事例」がありえないとしても、「手術中の器具やガーゼなどを体内に置き忘れた事故」はときおり報道されています。そんなときは「ええっ、まさか~~、うそでしょ?」と感じていましたが、まさか現実に起こるなんて!

 

  いずれにしても「体内に入れたものと、出したものはきちんと確認する」のは手術の基本でしょうし、そこんとこ医療関係の方々はきちんとして欲しいと実感したのでした。

  おかげさまで現在やっと落ち着いたところです。

  「大分県の石仏めぐり」旅のあらましは次回に。

 

     上下:つぼみと満開、どっちがお好き?

   満月寺 「真名長者夫婦像」臼杵石仏を造らせた人物と言われる 室町期作

      満月寺 「蓮城法師像」真名長者のもとで石仏を彫ったといわれる人物

      おだやかで落ち着いた風貌です

         満月寺の横にある風格ある「深田のアオ杉」

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