あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ④

2018-10-29 14:10:02 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

   写真:2018/6/34~28 「対馬・壱岐」

   写真上:「鮎もどし自然公園」清流・瀬川が花崗岩を浸食した

 

  対馬固有の宗教「天道信仰」では、おてんとうさま、つまり太陽を崇拝し、太陽の光が母神の陰部に差し込んで胎児を孕んだと伝わり、これを「太陽感精神話」と呼びます。朝鮮半島「高句麗の始祖・朱蒙(ちゅもん)」の生誕は「日光感精伝説」と言われ、キリストの生誕もちょっと似ています。※一説には、そのため九州地域ではキリスト教のマリア様とイエス様を受け入れやすかった、とも。

 

  こうして母神から産まれた子神を「天道法師」と呼び、天道を山頂に、母神を山麓にお祀りする「母子神信仰」となっています。

 

  母子神が宿る龍良山全域が、かつてなんびとも入山禁止の聖地でした。龍良山南面の浅藻(あざも)地区にある「八丁角(はっちょうかく)」は、超能力を持つ「天道法師」の墓所で、また龍良山北面の山中にある「裏八丁角」は母神の墓所であり、この2か所は特に強いタブー地でした。聖地は別名「オソロシドコロ」と呼ばれ、現在でも恐ろし気で、畏れ多く、近寄り難い雰囲気と霊気に満ちているらしいです。

 

  天道信仰は7世紀ごろが起源と伝わりますが、もともとは「太陽と海神・山神」の自然崇拝に始まりました。時代の変遷により同じく「母子神信仰」の「八幡信仰」に習合して母神が神功皇后 、子神が応神天皇と重なったり、日本神話と結びついて母神が豊玉姫命(トヨタマヒメ)、子神が鵜茅草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と重なったりしました。さらに「神仏習合」では対馬固有の修験道も形成されました。

 

  対馬の「海神」に始まる信仰が、南では「天道信仰」となっていながら、しかも古代信仰の形をとどめていることは、宗教史において貴重なのでしょう。「島」の環境下では、比較的他地域からの影響を受けにくく、独自の変遷を経たこともわかりやすい形となっているようです。

                          

  聖地龍良山のふもとに広がる珍しい景観が「鮎もどし自然公園」です。目に飛び込んでくるスベスベになった硬い一枚岩の花崗岩の川床、清流がところどころ滝になり、甌穴(ポットホール)も多数見られます。とっても不思議な自然の光景に大興奮!でも確かに鮎たちは遡ることが難しそうだよ。

  午後にはフェリーで壱岐島に向かいます。

       硬い花崗岩が流れる岩石でつくられた滑らかな「甌穴」

      小雨と霧で写真が暗いね~。

   瀬川沿いの神社

   多久頭魂(たくづたま)神社の鳥居

    

    裏にまわると、拝殿裏に「やっぱりあった~!」くすのきの大木。

    下はクローズアップ。ここにあるから、聖地になった、ともいえそう。

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対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ③

2018-10-15 14:04:27 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

           写真上:多久頭魂(たくづたま)神社を守る狛犬たち 

 

 対馬の南部に向かうと雰囲気が大きく変わります。宿泊が美女塚近くだったので、翌早朝ご主人とスタッフに車で案内してもらいました。小雨と霧のなか、原生林が生い茂る山々、神様が宿る神社、古くからの篤い信仰心と歴史的な神事、ともかく尋常ではない霊的雰囲気に圧倒されそうです。

 

 まず「美女塚」へ。ここ「豆酘(つつ)」に生まれた美しい村娘「鶴王御前(つるおうごぜん)」の悲しい伝説を伝える石碑です。昔住んでいた鶴王という美しい娘は采女(うねめ)として都に召されることになりましたが、年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都に上る日に自らの命を絶ったのです。「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、今後この里に美女が生まれませんように・・・」と言い残したそうです。※采女は古代天皇の宮廷に地方豪族の娘が出仕した制度。

 

 ううむ~、今では考えられない運命ですね~。世が世なら喜々として上京するでしょうし?、亡くなってしまったらお母さまもよけい哀しむとも思えるけど・・・。(伝説にいちゃもんつけてすみません)

                                           


 近くの小さな神社が「雷(いかつち)神社」で、ここでは1500年前から続く「亀卜(きぼく)神事」が執り行われます。「亀卜」は古代中国の殷(いん)とか周(しゅう)の時代から「亀の甲羅に甲骨文字を書き、それを焼いて国政(祀りごと)を占っていた」というもので、日本には朝鮮半島を経て奈良時代に伝わったとされます。

 

 現在では伝統的神事も簡略化され、多久頭魂(たくづたま または たくずだま)神社の宮司による祝詞に始まり、火鉢の炭で焼いた附木(つけぎ)を甲羅に当て、ひび割れた状態から天啓を得て、農業や漁業などを占うそうです。かつては朝廷でも行われましたが、今では全国でこの神社だけとなっています。時代による変遷はあるものの、こうした古典的な伝統が存続していることがすばらしいです。

 

 晴れていたら美しい「豆酘崎(つつざき)」を山上からながめ、降りて港や海の神社を見た後、最後に「多久頭魂神社」に向かいます。周囲を取り囲む 龍良山(たてらさん)の原生林と、立ち上る霧雨も重なり神秘的オーラに包まれています。

 

 龍良山は古来不可侵の聖地であり、「なんびとも入山禁止」でした。スダジイ、イスノキなどの、通常は巨木になりえない樹木が巨木に育って林立する、自然度が極めて高い原始林・照葉樹林です。スタッフの説明では「山中では磁場が強く磁石が狂うために、迷う人亡くなる人も多かった」そうです。そのため神社の境内には主峰(標高558・45m)を霊山として崇める「遙拝所」が設置されています。


 それにしても地名「豆酘」はじめ、「多久頭魂神社」「龍良山」…とっても難しい漢字や読み方を見ると、この地域が古くからの伝統文化を保持していることを感じますね~。なにしろ対馬は日本一神社密度が高く、さらに独自の神信仰を守っている地域です。

   ***  続く  ***
  

        「美女塚」悲しい伝説を伝える石碑

  

   ひっそりとたたずむ「雷(いかつち)神社」。前庭で「亀卜神事」が

   行われる。

 

    港で今も使っている船留めの木杭は珍しいもの。

    学者さんが研究しているそう。

   港の近くでは走る動物に遭遇。「テン」らしい。

   豆酘埼に向かう山道では沖縄・ヤンバルクイナ風の鳥が歩いていた、だけど

   飛び去ったので違うよ~。写真撮れず残念!

 

    聖山 龍良山(たてらさん)遙拝所がある。 

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