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写真:宮滝では飛び込みで命を落とす人が多い
「近日中に・・・」と言いながら一週間以上経過してしまいました。だがこうなるとどうしても、宮内省が自天王の墓、つまり「北山宮墓」と治定した<st1:MSNCTYST Address="上北山村" AddressList="29:上北山村;" w:st="on">上北山村</st1:MSNCTYST>の瀧川寺(りゅうせんじ)と自天王をお祀りする「北山神社」に行ってみなくては。
<o:p></o:p> また<st1:MSNCTYST Address="川上村" AddressList="20:川上村;" w:st="on">川上村</st1:MSNCTYST>で長く「弟・忠義王の墓」とされてきながら、現在は「南帝王の森」と呼ばれ、宮内庁が「川上陵墓参考地」としている高原地区のお墓もこの目で確かめてみたいです。なぜ村民を困惑させるような事態になってしまったのでしょう?
<o:p></o:p> <o:p>写真:桜木神社のシマヘビは、緊張感がなくぐったりしているみたいだし、顔はどっちに?</o:p>
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夏の暑さにはどうしようもなく弱くて、例年ならば通り過ぎるのを静か~に待つのですが、「目的を持つこと」ってすごい力を発揮するものです。連日続くこの暑さとカンカン照りの太陽にめまいを覚えながらこの週末、<st1:MSNCTYST Address="川上村" AddressList="20:川上村;" w:st="on">川上村</st1:MSNCTYST>と南隣にある<st1:MSNCTYST Address="上北山村" AddressList="29:上北山村;" w:st="on">上北山村</st1:MSNCTYST>に行ってきました。(汗)
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さて国道169号線を南下する途中に<st1:MSNCTYST Address="吉野町" AddressList="29:吉野町;" w:st="on">吉野町</st1:MSNCTYST>宮滝という、南朝史でも名前が出てくる有名な場所があります。ところが今では「飛び込みで命を落とす人が増えている」というニュースで有名になってしまいました。ちょっと寄り道してみます。
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なるほど本日も、若者たちが大声をあげて楽しそうに川遊びに興じています。何度も「飛び込み禁止」を訴えるメッセージがスピーカーから流れるためか、さすがに飛び込んでいる人は見当たりません。
<o:p></o:p> 写真右:大滝の「鎧崖(よろいがけ)」には義経伝説が。
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それは良いのですが、周囲の白く美しい岩の上にはゴミが散乱しています。そういえば駐車場ではおびただしい量のゴミ・ゴミ袋を、地域の方々が整理していました。最近思うのですが、年代に関係なく「自分の欲望・快楽の後始末が苦手な人」が増えていると感じてしまいます。「自分自身の始末をきちんとする」ことにはかなりの気概も必要ですね~。
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その奥にある「桜木神社」は古いいわれのある、雰囲気の良い神社ですが、撮影していて固まってしまいました。ギョッ! 黒いしましまヘビがっ!(またまた、こんどは冷たい汗) 神社にヘビはつきものとはいえ、50cmほど横にいたのです。しかしヘビはピクリとも動かず、あるいはこの暑さに参っているのでしょうか?
<o:p></o:p> 写真:柿の葉寿司名人「梅野ばあちゃん」の娘さん(右)
さらに国道169号線を南に<st1:MSNCTYST Address="川上村" AddressList="20:川上村;" w:st="on">川上村</st1:MSNCTYST>大滝地区に入ると、川向こうに「土倉翁造林頌徳」と大きな文字(1字が畳2畳分あるらしい)で彫られている大岩が目に飛び込んできます。地域の林業に貢献した土倉翁を称えるこの巨岩は「鎧崖(よろいがけ)」と呼ばれ「源義経が鎧を脱ぎ捨てた場所」とされているのです。「重すぎて脱いだのですか?」と聞くと、「不明だけど、もう逃げられないと観念したのでは?」
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こんな伝説を話してくださったのは大滝茶屋のおかみさん。ここは知る人ぞ知る「柿の葉寿司」の老舗で、亡くなった先代の辻井梅野さんが「吉野のお土産に」と最初に売り出したのです。
なんと柿の葉寿司は、後南朝と深いつながりもあることが判明しました。1444年に後亀山天皇の皇孫、萬寿寺宮空因親王(尊義王)が三之公に御所を構えられたとき、里人が親王をお慰めするために遥か熊野から運ばれた塩鯖を用いて寿司を作り奉じたのです。ところが臣下に分け与えるにも器がなく、山柿の葉に盛ったのが「柿の葉寿司」の始まりと伝わっているのです。
写真:蜻蛉(せいれい)の滝に一瞬、虹がかかりました。
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「そのため母は、三之公に石碑を建立しました」と梅野さんの娘であるおかみさんは話しました。そして今も機械に頼らないで手作りの「昔ながらの味」を守っています。甘辛く煮たしいたけやふきなどを、とろろ昆布で巻いた山菜巻きもおすすめですよ。(写真上の右)
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宮滝といい、大滝といい「滝がないのになぜ?」と思っていたら、友人の国語教師のY先生が「『滝』には、川の流れが瀬や淵になり、流れが急になったり曲がったりしている意味もある」と教えてくれました。「古代韓国語の影響もあるのでは?」とも。「ふ~ん、そうなんだ~」 こんなに山深いところなのに、歴史的には古く、古事記に載っているいわれもあるのです。<o:p></o:p>