あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

島の守り神・ティンダハナタと与那国馬

2009-04-26 20:12:31 | しましまもよう*与那国島

 

                    写真:なにをしてると思います?想像ですが、お互いカユイところ

                を噛み合っているみたいです。「カイ~ノ!」

 

「まずはあそこに登らないと!」与那国島の中心地祖納を散歩していると、どこからでも視野に入ってくる景色です。朝食後、「駐在所の横を登って行くんだよ。20分くらいかな」という返事に従ってゆっくり歩き始めました。

 

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ティンダハナタはティンダバナとも呼び、「手のひらのようにそそり立つ絶壁」という意味だそうです。高さ約100mの台形状の巨岩を下から見上げると、手のひらとか屏風というより、大きな帽子に見えます。

(写真右)<o:p></o:p>

 

 

入り口には赤い花をつけたデイゴの大樹、無数に枝分かれしたガジュマルの大樹などがそびえ、朝だというのに薄暗くだあれもいません。小道の両側にはクワズイモの大きな葉っぱ、シダやソテツが生い茂り鳥が鳴いています。あっ、黒っぽい鳥が目の前に止まりました。こんな場所に入っていくのは、いつでもドキドキします。

 

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Dr.コトー」のTVドラマの撮影場所「勇気だめしの洞窟」や、16世紀にこの地を統一した女酋長サンアイ・イソバの墓などは、つるや熱帯植物で覆われてうっそうとしています。熱帯性の植物ってすごみがありますね。なのであまり見ないように通り過ぎます。

 

 

写真:対峙するとその迫力に圧倒されます

 

 

やがて大きな岩の隙間から湧き水が流れ出て、飲むことができる場所に来ました。ここには水の神さまがお祀りしてあり、この聖なる水は村のお祭りに最初に供えられます。

 

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展望台からは祖納集落が一望できました。左手には白く美しい曲線を描いている「ナンタ浜」、その向こうに飛行機から見た「浦野墓地群」、右手には「ウブラ岳」がなだらかに続いています。村はこのティンダハナタや墓地群の祖先の霊力などに守られているのだそうです。

 

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ふもとに下りると「ゆうゆう広場」の看板があります。馬さんがたくさんいて、みんないっせいにお食事中です。ここでは乗馬もできるみたいですが、やはり人影は見当たりません。どうやらこれが日本で一番小さい馬、「与那国馬」なのでしょう。

 

 

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産まれたばかりの可愛いポニーが1頭いましたが、大人馬に寄っていくとじゃけんに拒否されていて、1人で寂しそうです。かいばをムシャムシャ食べている馬たちを見ていると、小突きあいなどもしていて、強くて大きい馬がやはり優先的みたいです。馬の世界も弱肉強食なのかなあ。(写真右)

 

 

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与那国島ではめったに人に出会わない地域が多いのですが、馬さん牛さんはあちらこちらでのんびりしています。<o:p></o:p>

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与那国島―最西端に沈む夕日が見たいー

2009-04-20 20:22:20 | しましまもよう*与那国島

 

                    写真:「海底遺跡」の近くの海岸線をジャックスドルフィンという潜水艇から。

                             地層の縞模様がきれい。こちら側は太平洋、空港側は東シナ海。

 

  与那国島に行くRAC(琉球エアコミューター)の乗り場は、沖縄那覇空港の1階となります。伊丹から到着して2階から降りると、待合室からの眺めもかなり違って見えるものです。普通の目の高さにたくさんの機種が並び、その間をさまざまな仕事をする車も忙しく走り回っていて、とてもリアルな感じです。 飛行機までバスで送ってもらい、タラップを直接昇っていくのもなんだか嬉しい。(写真右)

 

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 いよいよ離陸。ちょうど窓から見えるプロペラが、プルプルプルと音を立ててまわり始めました。動き始める寸前に機体が大きくブルッブルッと揺れて、ちょっとギョッとします。(故障などの報道も多い)ボンバルディアさん、がんばってぇ! 

 

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  でもご安心、動き始めた後は音も振動もそれほど気にならなくなりますから。

 

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 那覇から1時間半、ついにあこがれの与那国島が見えてきました。なにしろ日本の最西端、石垣島より台湾島のほうが近いのです。亜熱帯で大海の真ん中にある孤島です。異国情緒もたっぷりでしょう(たぶん)。

 

 

  写真:窓から見えるプロペラが楽しい。お天気は曇りで雲が厚いです。

 

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いうまでもなく海は透き通り、多彩な色のグラデーションが美しいのですが、眼下に広がる光景が、これまでの島と少し違って見えます。黒くてゴツゴツした崖が垂直に切り立っています。東シナ海の荒波に削り取られた岸壁です。 

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次に目に入ったのは大きな石のお墓がテーマパークのように並んでいる光景です。こんなに眺めの良い、いわゆるオーシャンビューの海岸線に、こんなにたくさんのいろんな形のお墓! おっ、街中にも大きな台形の岩石があるようです。

 

これまでの島ではまず視野に入る、緑色の植物や農作物のかわりに、黒い岸壁、たくさんの石墓、巨大な岩石・・・。ここはかなり他の島々と様子が違っているのかもしれません。楽しみです。

 

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今回の旅は「伊丹―沖縄那覇」「沖縄那覇―与那国島」の2区間の往復です。4月から始まった「JALグループ国内線特典航空券キャンペーン」では、「伊丹―那覇」が12000マイル、それに+5000マイルで「那覇―与那国島」に行けちゃうのです。つまり17000マイルで、伊丹から与那国島に行きました。宿泊は与那国島に3泊、帰りのついでに沖縄本島に2泊という旅でした。

 

 

写真:さいはての空港はなにもかもこじんまりとしています。

 

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「いったい普通に行くとどのくらい費用がかかるのかなあ?」と思い、HPでざっと調べてみました。なあああんとっ、2区間の往復で10万円近くかかるみたい。調べてみてびっくり。マイルさまありがとう。これからも地道にこつこつと貯めてマイルぞ!

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 「いつもそんなによくマイルが貯まるね。いずれにしてもそれだけ飛行機を利用してるってことでしょう?」と友人から言われます。でもたぶん飛行機に乗ったマイルは全体の3分の1くらいで、あとはクレジットカードのポイント、アンケートサイトのポイント、ネットショッピングのポイントなどなどっすよ。

 

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 コツはひたすらこまめに、面倒がらないで、そしてお得なキャンペーン情報はのがさず、につきます。<o:p></o:p>

 

 

 余談ながら数年前までは先行していたANAマイルに集中していたのですが、今はJALのほうです。なぜって、JALのほうの国内路線が充実しています。特に沖縄地域の離島路線は。そしてこれはあいよっこの主観ですが、比較的JALのパイロットのほうが離着陸が上手です。なぜなのかはもちろんわかりませんが・・・。 

 写真:巨大岩石の天然展望台「ティンダハナタ」

    から中心地区「祖納(そない)」を。<o:p></o:p>

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光明皇后の御魂

2009-04-12 13:38:25 | 日記

                 写真:奈良ホテル前のしだれ桜はピンク色(2009/4/11)

 

南の島から帰ったら、奈良の街中に桜吹雪が舞っていました。4/5の出発までには満開が来るだろう、という予想が外れ、今年はゆっくり開花したみたいですね。でも桜もいろんな種類があり、個々の樹ではまだ楽しめそうですが・・・。

 なので今回は「ちょっと早めだけど・・・」「ああっ、もう遅かった~」という桜の写真です。<o:p> </o:p>

 

写真:桜に負けず、しっかりとポーズをとってくれるしかさん。(2009/4/4)

 

 

さて、この旅ログは基本的にノンフィクション、つまり「事実を客観的に伝える」ことが自分なりのポリシーです。でも今日の話はだいぶ昔のことでもあり記憶違いがあるかもしれず、やや主観的ともいえるでしょう。科学的に証明(これもどんな意味なのかなあ?)されたものだけが、人間の事実・真実ではない、というのがあいよっこのスタンスです。

 

 

前回の矢追日聖・大倭教の法主さまにお会いした時のことです。取材が終わったころ、数枚の写真を見せてくださいました。それは「インド古典舞踊」の世界的な舞踊家、シャクティさんがリハーサルに訪れた時のものです。神社の中庭みたいな奥まった処で撮影された写真には、ピンクや白の丸く輝くものが多数写り込んでいました。

 

 

当時はフィルムカメラであり、現像されたものです。「シャクティはとても霊性が強く、このピンク(どっちだったかな?)は光明皇后のもの、白はその妹の・・・」と説明されました。

 

 

「ちょっと変な話なので、あまり気にしないように」と知人のご主人が小さな声で言いましたが、不思議なことにあいよっこは、荒唐無稽な話とは全く思わなかったのです。

 

                    写真:浮見堂の桜もあと一歩。(2009/4/4)

この大倭拝殿に上がっていったとき、だれもいないはずの方向からなにかの気配を感じて、思わず見渡していました。こんな経験はそのときが初めてでした。だから「それもあるかもしれない」と感じていたのです。あるいはそんな気持ちが法主さまに伝わっていたかもしれません。

 

実は開祖である法主さまはもちろん霊感の強い人ですが、そのお母さんがもっと強い人だったそうで、光明皇后さまからのお告げ(?)により、戦後の奈良駅周辺で倒れたり、病気になっている人々を救い、保護する場所をここに造ったらしいのです。もともとはハンセン病の保護施設から始まったということです。だから光明皇后がここには宿っていらっしゃるのだそうです。

 

 

写真:奈良豆比古(ならづひこ)神社は能楽の源流である「翁舞」が有名。

 

 

また創作集団「えん」が編集・製作した絵本「倭伝承・長曽根日子命」は、記紀にしるされた「神武東征物語」を迎え撃つ側から伝えるもの。神武天皇は最初生駒山を越えて攻め入ろうとしたが倭軍に負け、その後熊野から北上してここ登美谷(とみたに)に入ります。歴史は勝てば官軍ですが、負けたほうの伝承がきちんと残ることは珍しいです。大倭にこういった形で、はるか昔のヒトの暮らしや気持ちが伝えられていることは本当に貴重なことです。

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☆お花ばたけさん、コメントをありがとうございます。戦争で身体を負傷しながら悲惨さを語りつぎ、たくさんの文化的・教育的な活動を続けていらっしゃいます。その好奇心や新しいことへの挑戦の姿勢に乾杯!

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桜が咲き始めました!

2009-04-02 19:03:49 | 日記

  昨日は新年度の始まりで、街にういういしいスーツ姿が目立ちました。年度終わり、年度初めで忙しい人も多いことでしょう。あいよっこもこの時期は冊子や機関誌の発行にかかわることが多く、締切日に追われて気ぜわしいです。

 

 

 でも桜さんのお便りは気になるので、ときおりあちらこちら様子見にまわります。<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:奈良県奈良市;" Address="奈良市">奈良市</st1:MSNCTYST>では「氷室神社のしだれ桜」がいちはやく開花宣言をする桜です。

 

 

 樹齢100年を超える大樹は、神社の正面におおいかぶさるように広がっていて、それは見事です!風が吹くと枝垂れた桜がいっせいに同じ方向にゆれるのです。横から見ると巨大ゾウにも見えることを発見しました。(写真左)

 

 

神社の説明看板によると「・・・このさくらは山の神さまからの春を告げるしるべでございます。稲作農耕を主体とする暮らしにおいては、種まきの時期を知らせる花樹をサクラ、つまり「サの神=稲魂(いなだま)」の依代(よりしろ)として大事なものでした。お花見の伝統の背景にはこうした基層文化があり、春を待ちわびる人々の心を揺り動かすものと思われます」とあります。さくらには稲や稲作の魂が入っているのですね。今日は桜だらけの写真です。

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さて前回光明皇后と「ひ々なの会」に触れ、福祉事業の創始者として敬愛されているお話をしました。法華寺での「雛会式」は4/7まで現在開催中です。光明皇后といえばどうしても思い出すことがあるのです。

 

 

阪奈道路沿いにある「国際ゴルフ場」の南にあるのが「大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)」で、ここには病院はじめ、たくさんの福祉施設が広がっています。大倭神宮を基盤として法主・矢追日聖さまが興された(この言葉が適切なのかどうか?)邑なのです。

 

 

今はすでに逝去された(「帰幽」というみたいです)法主さまに、あいよっこは一度お会いしたことがありました。施設で活動する「あじさいの箱」というボランティアの知人から「『「インド古典舞踊」と『創作舞踊・加美想望』というイベントを広報してほしい』という依頼で伺ったのです。

 

 

今から15年も前の19945月のことで、当時マスコミの仕事をしていたのです。このブログを書くために昔の資料を探し出すと、その時いただいた「倭伝承・長曽根日子命(ながそねひこのみこと)」という手作りの絵本に「矢追日聖」という自筆サインがあり、今更ながらとても嬉しい気持ちになりました。当時、法主さまはとても気さくなおひげのおじいさん風で、それほど偉い人だとはつゆほども知らなかったのです。

 

 

なぜ光明皇后なのか?この話の続きは次回になります。

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