あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

天才と博士と数式と ⑪

2019-12-26 15:39:44 | 天才と博士と数式と

写真は2019/5/29~6/1

「レブンアツモリソウ咲く礼文島とゆったり楽しむ利尻島4日間」

写真上:「姫沼」から利尻山を。お天気が良いと「逆さ富士」の絶景が!

     姫沼は人造沼でヒメマスの養殖をした。

 

                     

 

  キム・ウンヨン(金雄鎔)の絵本「星に聞いてごらん」の「育児秘話」によると、1963/3/7にソウル市の病院で生まれ、体重は2.7kgで、全身黒い毛におおわれた熊のような赤ちゃんだった、と記しているそうです。

 

  著者の大橋氏が、ウンヨンの名前がギネスブックから消えたことなどに疑問を持ち、最初に訪韓したのは1983/9/20で、最後のTV出演から12年後であり、当時20才前後です。

 

  この時父親は建国大学教授でしたが不在で、これはのちに取材拒否だったと感じます。対応した同校・教育学部長は「ウンヨンが今どこで何をしているか、わかりません」と答え、「父親に彼の消息を聞いたことがありますか?」と聞くと「そんなことできません。かわいそうで・・・。ビッグミステリーです」と言い、その後口をつぐんでしまいました。大橋氏は「かわいそうでビッグなミステリーとはなんだろう?」と思います。

 

  また初めてウンヨンの記事を書き、報道した東亜日報のイ記者は、すでに退社していて「近況は知らない」と秘書を通じて回答したのみ。さらにウンヨンの絵本を出版した出版社の社長は1年前に54才の若さで病死、同社・テェ主幹は数年前に退社していました。

 

  このように韓国メディアのほとんどが取材を断念しているなか、ソウル新聞社・週刊局次長の朴安植(パクアンツキ)記者だけは追跡を続けていて、会うことができました。

 

  朴記者の話によると「父親に『ウンヨン君は今どうしていますか?』と聞くと、お父さんの顔色がサッと青ざめてうろたえるではありませんか。そしてポツリと『子どもの話は今、したくない』と狼狽したようすでした。さらにウンヨンの消息を追求すると『今アメリカで勉強している。いやイギリスだ』とはぐらかした」そうです。

 

  大橋氏は「あれほど騒がれたのに、どこも、誰も知らないのはおかしなことであった」と書いています。

 

  確かに読んでいるだけでインタビュー相手からの「緊張感を伴った取材拒否や沈黙などの反応」が伝わってくる感じです。ちょっと昔のこととはいえ、たかだか12年ほど前のことだし、一世を風靡したようなニュースだったのに、みんながみんな口を揃えて「知らぬ存ぜぬ」とはいったいなぜでしょう?

 

  ただ母親には実家で面会できました。だけどやはりウンヨンについては口を閉ざし、彼と会うことは語気強く拒絶しました。母親は自分の撮影は拒否しましたが、この時母親に部屋で撮影してもらった自分自身(大橋氏)の写真が2回目の訪韓時に役立つことになります。

  ところが後になってこの当時のウンヨンの消息が明らかになるのです。不思議です。

   *** 続く ***

 

利尻島の北端部にある「ポンモシリ島」は海鳥たちの繁殖地(コロニー)

ウミウ、オオセグロカモメ、そしてクロユリが咲くことも有名

このクロユリは園芸店で撮影

 

ペシ岬:フェリーターミナルから突き出るようにそびえる岬

ここも鳥たちの繁殖地 岩石の間におびただしい鳥と白いフン!!

「仙法志御崎(せんぽうしみさき)公園」には海鳥、そして野生のアザラシがいるよ!

写真上:オオセグロカモメ

写真下:可愛いアザラシに餌やりもできる

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天才と博士と数式と ⑩

2019-12-03 20:15:11 | 天才と博士と数式と

写真は2019/5/29~6/1

「レブンアツモリソウ咲く礼文島とゆったり楽しむ利尻島4日間」

写真上:オロロン街道沿いにある「おびらニシン番屋」

・・・・・・・・・・

 

  前回「講師の彼はもしかして工作員だった?」と書きました。「韓国天才児の授業をしただけなのに、なんてとっぴな妄想なの」と思った人は多いでしょう。

 

  北朝鮮が起こした「拉致事件」は1970~1980年代を中心に、工作員、土台人(どだいじん・トデイン)が対日工作活動を行ったとされています。土台人は在日朝鮮人が中心だったものの、中には在日韓国人が動いた事件もあったらしいです。

 

  南北両国はもちろん今なお「戦争中」なので互いに激しく非難しあっていますが、一方基底部分というのか、どこかつながっていて「暗黙の了解」とか「公然の秘密」といった側面を持ち合わせているように感じることも。素人ながらですが…。最近の韓国文大統領の考え方や行動からもなぜか見え隠れしますね~。

 

  ところで日本人を北朝鮮に連れ去った「拉致事件」は、ある意味明らかに認識できますが、日本国内での「隠れた拉致」はわかりにくく、問題にもなりにくいです。つまり「日本女性をターゲットにして結婚などさせ、日本人のDNAを含む子どもを産ませ、組織・団体構成員を増やす」といった目的があれば、時代的にも一致するし、なぜ「女子短大」だったのか、も合点・納得できます。

 

  当時県立短大は比較的真面目で優秀な女子学生が多かったです。あいよっこはというと、はやりのフォークソングのグループ活動にはまり、遅刻・代返(※すでに死語?出席確認で名前を呼ばれた時、代わりに返事してもらう)、授業中は五目並べや手紙回しで過ごす毎日で、当然ながら「狙われる」ことはなかったよ~。

 

  そして気になるのはキム・ウンヨン君に関する「…おばあさんに育てられ、貧しく、野菜やじゃこなどの川魚が中心の食事だった。かえって肉や牛乳といった西欧食でないほうが脳は発達し、天才児が育つ…」という記憶とフジTVに出演したときの家族構成などがビミョーに違っていることです。記憶違いの可能性はありますが、当時の栄養学の基本と講師の話が食い違うので「どっちが正しいの?」と思ったのは確かな印象ですが・・・。

 

  「韓国天才少年の数奇な半生」によると、父キム・スーソンはソウル大学を首席で卒業した、漢陽大学物理学副教授で、母ユウ・ミンコウも同大学で保健学を教えていました。ウンヨンが育った時代、韓国全体が貧しかったかもしれないですが、両親が大学教師であれば、貧しくて肉や牛乳が飲食できなかった、とは考えにくいです。

 

  後に著者はTVに出演時のウンヨンについて「ポーカーフェイスで感情を表さない子どもだった」と書いています。私には理想的に恵まれた家庭であり、弟や妹もいる家族なのになぜ?とも感じます。

 

  こうした疑問を持ち合わせた視線で本を読み返すと、これはちょっと不思議だなあ、と感じる部分も出てきました。以前も書きましたが、決して著者に反論するつもりはなく、個人的に「これはヘンだね、どうしてだろう?」という気持ちなのです。

 

 *** 続く ***

 

オロロン街道にある「サロベツ原生花園」 の花たち

ハクサンチドリ 

ミツガシワ

カラマツソウ

稚内港から利尻島鴛泊(おしどまり)港へ ハートランドフェリー

利尻島のマスコット「りっぷくん」と「りっぷちゃん」はじめ

多くのお出迎え!

※ツアーの詳細は後述します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする