地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

安寿塚と韃靼(だったん)塚

2006年05月25日 05時45分17秒 | 佐渡歴史

【写真で紹介・安寿塚と韃靼(だったん)塚・鹿ノ浦から】

 平根崎を後にして、次なる南片辺という集落へ向かう途中。鹿ノ浦トンネルがある。これを過ぎてすぐのところに安寿と厨子王の碑がある(写真①)。

 

写真①

 

 

写真②(安寿と厨子王の碑・解説)

 

 


 この安寿と厨子王丸の物語には心打つものがあり、子供向けに語られるものとはべつに、大人達にもある種の郷愁を呼び起こすもの有りだ。

 親子の情をモチーフにしたこの悲しい物語の舞台の一つとして、外海府はうってつけであった。ここ鹿ノ浦はいまものどかで人気もない静かなところ。今や誰も目もくれないのか、ひっそりと塚が残っている(写真③~⑥)。

 

写真③

 

写真④

 

写真⑤

 

 

写真⑥

 

 近くに韃靼塚がある(写真⑦)。地元の方に教えてもらったものだ。ダッタンはタタール。モンゴル系遊牧民の仲間であると解説を読んだ。かつてこの近く(藻浦崎)にそのダッタン人の船が漂着したという言い伝えがあると聞く。その塚は少し離れているが鹿ノ浦にあった。

 

写真⑦

 

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写真撮影:2006:05.03 佐渡市相川
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2006年 地理の部屋と佐渡島 sadorekisi
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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6 コメント

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この話は知っています (tkhs)
2006-05-25 09:45:57
塚を見るのも、このようなものの存在すら知りませんでした。改めて読んでみたいです、としょかんへ行ってきます。
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こんにちは (mico)
2006-05-25 12:51:15
子供の頃に絵本で読んだ記憶が・・・

子供心に悲しいお話と感じた事を想い出しました。

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tkhsさんへ。 (かんりにん)
2006-05-25 19:50:32
こんばんは。



是非、物語をお読みいただいて、

この風景と重ね合わせていただ

ければと思います。



付近は実にのどかで良いところ

です。すでに、紹介している、

達者という所も舞台となったと

ころです。
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micoさんへ。 (かんりにん)
2006-05-25 19:52:49
こんばんは。



お読みになった経験有りでしたか。

この風景などを見ていますと、悲

しい舞台にある意味似合った雰囲

気を感じてしまいます。



佐渡にはこれ以外にもたくさんの

(民)話があります。
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そうダッタンですか!。 (CafeOnda)
2006-05-25 20:34:13
管理人さま、お晩です。

久々に晴れた鎌倉界隈です。



韃靼って「タタール」の事なんですね。

今まで何だろって、ず~っと思ってました。

これの名前の謎も解けました。

http://www.maruchan.co.jp/order/soba/soba.html



...勉強になりました。





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Re.そうダッタンですか!。 (かんりにん)
2006-05-25 23:03:27
こんばんは。 CafeOndaさん。



>韃靼

>タタール



良い響きですよね。

ロマンを感じます。



そのロマン。

BCLに通ずるもの無いですか?



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