西郷さんの遺訓は本当に凄い。こんな人は今の日本には殆ど居ないでしょう。ゼロとは思いたくないがどうでしょう。
今回もねずさんが取り上げてくれています。ねずさんが選択してすいせんしてくれています。
どれ一つを取っ手も今の政治家を実践できている者はいないでしょう。と言うか、明治以後にそんな政治家がいたのでしょうか。
基本は最初の言葉でしょう。この心意気を持った政治家が何人いることやら。
ねずさんの学ぼう日本 2023/02/23
西郷隆盛の遺訓
・・・略
全部で41項目ありますので、全文ではなく抜粋でご紹介します。
全文は下のURLから青空文庫で読むことができます。
↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/001320/files/47885_31033.html
原文を表示し、なぜこの一文が大事なのか、簡単な解説をつけてみたいと思います。
原文の左の番号は、本文の番号と一致させています。
41項目のうち12項目をご紹介しますので、番号が一部飛んでいます。・・・中略
廟堂(びょうどう)に立ちて大政(おほひなるまつりごと)を為(な)すは天道(あめのみち)を行(をこな)ふものなれば、些(いささか)とも私(わたくし)を挾(はさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。
国政県政市政、行政、裁判、企業、団体など、様々な組織で権限権力を持つということは、
「天道(あめのみち)を行(おこな)う」ということです。
そこにいささかも私情を交えてはなりません。
ところが明治以降の洋風化は、私権を重視し、私欲のために権力があるという大きな履き違いを招きました。
だから組織も団体も、はたまた政治においてもそこが利権の奪い合いの場となります。
そんなことでこの天然の災害が多発する日本で、生き延びることができるのでしょうか。
あまりにも世の中を甘く見すぎてはいないでしょうか。・・・中略
「栲(たく)」というのは偏を変えれば拷問の拷になりますが、要するに叩くという意味の漢字です。
「衾(ふすま)」は、和室の間仕切りのフスマ(襖)のことです。
フスマは、開け閉めするものであって、叩くものではありません。
しかも静かな室内で、フスマをバンバン叩けば、うるさくてかなわない。
ようするに「栲衾」というのは、「意味のないことで大騒ぎして人を困らせる」という意味です。
ひるがえって現代を見るに、国会の論戦は「栲衾」ばかり。
テレビをつけても「栲衾」ばかり。
いまいちど西郷隆盛の遺訓を噛みしめることで、日本の正気を取り戻していかなければなりません。
それにしても、これを実践することが出来る人が存在するとは思えないが、少しでも近づく人が出て貰いたいものです。
これを西郷さんは実践できていたのでしょうか。考えるだけでも凄いことです。昔はこんな人が多かったのかも。その日本をもう一度作りあげましょう。
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