産経の【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】は、日本の朝鮮併合時の信実を教えてくれる貴重な記事で、そんな勉強を全くしてこなかった無知を思い知らさせてくれます。
如何に、戦後教育によって自虐史観に犯されていたかを思い知らせてくれます。こういう記事は日本人全てに読んで貰いたいものです。
今回のは、特に、戦後の日本を劣化させた反日売国左翼・在日の有名人が出て来て、こうした奴等に日本人は騙されてきたことに怒りを覚えます。
それにしても、自分の産まれた国をそれ程までに貶めて何が嬉しいのでしょうか。それてとも、やはり「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」だったのでしょうか。
産経ニュースより 2018.11.17
【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(45) 朝鮮人強制連行載せた「広辞苑」 「発行者」は朝大認可の仕掛人
朴慶植も吉田証言引用
朝鮮人強制連行という言葉を拡散させた『朝鮮人強制連行の記録』(昭和40年)の著者、朴慶植(パク・キョンシク) (1922~98年)は、「作り話」と知ってか知らずか、講演などで吉田清治の話をたびたび引用している。
《暴力的な連行の例をあげます…吉田清治という人が…『朝鮮人慰安婦と日本人』という本を出した。(略)朝鮮人慰安婦とい うのは、日本の陸軍が戦線の兵隊に遊ばせる為(ため)にだまして連行した女性を言ったんですけれども、兵隊が女性を連れてゆ くのは例がないと言(い)われています。中国の各地でそれからビルマまで朝鮮の女性を何万と連行しています。(略)日本人に は吉田清治のような、強制連行をやった人が相当数いるはずです》(朴著『在日朝鮮人・強制連行・民族問題 古稀(こき)を記 念して』収録の平成2年の講演から)
「朝鮮人強制連行」という言葉を使って非難する人たちの主張には「タコ部屋」「奴隷労働」「小便汁」というおぞましい表現 が並ぶ。まるで日本人が悪事の限りをし尽くしたかのような印象だ。何でもかんでも「強制連行」と言いくるめるケースも目立 つ。
朴慶植の追悼号として出された「在日朝鮮人史研究」10年10月号に掲載された『戦時下の日本人が報じた朝鮮人強制連行の 視察記』を見てみたい。昭和19(1944)年に京城帝大教授が書いた「近畿の工場に敢闘する半島産業戦士達(たち)を訪ね て」という文をそこに引用しているのだが、原文の内容は『強制連行』のタイトルとは程遠い。
原文の要旨は(1)労務動員計画(昭和14年~)によって集団で朝鮮から渡ってきた若者は総じて熱心で評判がいい(2)月 給は最高180円、送金は同800円と好成績(3)移動率が高いのはブローカーらに欺かれて自由労務市場に誘惑される者が多 いため(4)半面、自由契約の労務者は食うに困って渡ってきた、いわゆる失業移民で評判もよくない-。
「労務者にとって半強制的徴発の如(ごと)く感ぜられる場合が無(な)いでもない」というくだりがあるが、これは、国家の 非常時(戦時)に国民の責務として動員に加わるという、この計画の理念が十分に理解されていないという文脈の中で語られてい るもので、前述した「タコ部屋」「奴隷労働」といったような過酷な状況はどこにも書かれていない。
むしろ、純朴で、故郷の家族に多額の送金を行い、職場からも重宝されている若者たちの姿は、日本の高度経済成長期の「集団 就職者」に似ている。
“日本叩(たた)き”のツールとして利用された「朝鮮人強制連行」や「従軍慰安婦」などの言葉は、政治・外交問題化が顕著 になった1980年代から90年代にかけて教科書や辞典にも順次、掲載されてゆく。
日本を代表する辞典『広辞苑(こうじえん)』(岩波書店)に「朝鮮人強制連行」の項目が登場したのは、平成 3(1991)年発行の第4版から。 《日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し、労務者や軍夫と して強制就労させたこと。女性の一 部は日本軍の従軍慰安婦とされた》とある。
この内容は、朴らの主張に近い。「従軍慰安婦」と関連づけているのは、朝日新聞報道などによって政治・外交問題化し たことに“乗った”のだろう。
同社辞典編集部では、4版から掲載した理由について、「当時の日本近現代史や朝鮮史の校閲者による選定と推測する が、詳しい資料は残っていない」 などとコメントしているが、4版の発行者として、「植民地支配の清算」を求め、日本政府の姿勢を厳しく非難してきた、安江良介(やすえ・りょうすけ) (1935~98年)の名前があるのは偶然だろうか。
同社の総合雑誌『世界』の編集長を16年にわたって務めた安江は、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)(首相、国家主 席)や韓国の金大中(キム・デ ジュン)(後に大統領)らと近く、進歩的文化人とよばれた「左派人士」を代表するジャーナリスト・編集者。この前年(平 成2年)には、岩波書店社長に就任 している。
まるで北の代弁者
安江の主張や行動は、相当「北」に偏っていたと言わざるを得ない。
昭和42年、美濃部亮吉(りょうきち)(1904~84年、東京都知事通算3期)による初の革新都政が誕生した際、 安江は、ブレーンとして知事特 別秘書に就任。美濃部が就任早々に手がけた「朝鮮大学校(東京都小平市)の各種学校認可問題」も、安江の“耳打ち”が きっかけだったことを美濃部自身が書 き残している。
《朝鮮大学校を各種学校として認可するかどうかの問題が、(前任の)東(龍太郎)知事の時からタナざらしになったま まであることを、特別秘書の安 江良介君から知らされた。安江君は、岩波書店にいた時(とき)から朝鮮問題に詳しい。話を聞いて、初耳だった私も、その 重要性を知った…》(美濃部著『都 知事12年』から)
美濃部は、政府・自民党の反対を押し切って翌昭和43年、朝大の認可に踏み切る。朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会) 幹部や朝鮮学校教員などを養成する朝大は、これによって固定資産税の免除などの恩恵にあずかることができた。
46年に、都知事として初めて訪朝した美濃部は、金日成(当時・北朝鮮首相)と2度も面会。資本主義に対する「社会主 義の勝利」をブチ上げるとともに、朝大認可に対して、金日成から、ねぎらいの言葉を掛けられている。安江自身も度々訪 朝。60年、4度目に訪れたときは、金日成(当時・国家主席)との「解放四十年を迎えて」と題した会見記録を『世界』 (同年8月号)に掲載。安江による「まえがき」にこうあった。《…日本政府は、四十年経ながらなお植民地支配の清算をせ ず、そのことを具体的課題として掲げていない。それのみか、韓国の軍事政権との一体化を進め、北朝鮮に対する敵対的関係 を強めているのが現状である》。まるで、北朝鮮の代弁者かのようではないか。
『広辞苑』は今年1月、10年ぶりの改訂となる、第7版が発行された。
「朝鮮人強制連行」の記述はわずかに、人数が「労務者だけで約七〇万人」に、慰安婦から従軍の2文字を外した程度で、 ほぼ変わっていない。一方で「従軍慰安婦」の項目は7版でも残されたままだ。
韓国・北朝鮮などに政治利用されかねない記述は、そろそろ削除されたらどうか。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)
こうして見ると、広辞苑などで勉強する優秀な人が感化されるのでしょうね。広辞苑など見たことも無い私でも、自虐史観に犯されていたのですから、優秀な人達が反日売国左翼・在日に染められるはずです。
やはり、日本の再生は教育改革と反日売国左翼・在日マスメディアの一掃しかなさそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます