スズキの中国撤退は、マスメディアは敗退のように書いていますが、その実態はどうなのかは書くところは無いようです。
と言うことで、何時もの宮崎さんが詳しく書いてくれています。何と言っても「スズキ」の英断というタイトルが良いですね。これだけで、機嫌良く読みたくなります。
宮崎正弘の 国際ニュース・ 早読みより 平成30年(2018年)9月5日(水曜日)弐 通巻第5817号
「スズキ」の英断、中国から撤退
小型車は中国勢「吉利」(ジーリー)などの廉価競争に叶わず
スズキは小型車「アルト」を中国市場に投入し、ふたつの中国自動車メーカーと合弁を組み、製造・販売してきたが、営業不振のため6月に江西昌河汽車との合弁を解消した。
そして、こんどは重慶の拠点だった「重慶長安汽車」とも解消、株式を同社に譲渡し、完全に中国から撤退する(中国語で「汽車」は「自動車」の意味)。
決断が遅れたとはいえ、英断だろう。
江西昌河鈴木汽車は1996年に合弁したが、その後、北京の自動車メーカーに昌河が買収されたため、解消は時間の問題だった。6月15日に正式にスズキは昌河汽車に全株を譲渡するとした。
重慶長安汽車の場合、この会社はそもそも1862年に李鴻章がジープを生産するために設立したほど古い歴史があり、中国の自動車業界では、第一、上海、東風、奇瑞と並んで五大メーカーに入る。
しかし、最近は仏プジョー・シェトロンと提携するなどして、スズキの立場は稀薄になっていた。
すでにスズキはインドで百七十万台を突破する小型車で市場を開拓しており、今後もインド市場での拡大は続く。
表向きの理由は中国の嗜好が大型車に移行していたこと、またNEV導入により、EV比率が規制されるためEV開発に遅れているスズキは不利との判断があったと業界筋は原因を並べる。だが、日本や成功したインドとの商習慣のあまりの差違、マネジメントの齟齬などで嫌気がさしていたのではないのか。
嫌気がさしていたというのが良いですね。とは言え、これだけではスズキが売れなかった原因が掴み切れません。
ところが、高山正之さんが、【Front Japan 桜】の最初のニュースのところで、その真相を語ってくれています。
何でも、800CCで進出したところ、高速道路は1000CC以上しか走れ無いという法律を後から作られ、中国では全く売れないので輸出に切り替えたがやはり苦戦は免れなかったというのが真相だそうです。
何で、スズキがこんな目にあったのかの裏はわかりませんが、何かありそうですね。
スズキやマツダが世界を制する時が来て欲しいものです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます