日本をあの大戦に引き摺り込んだあのルーズベルトの狂人振りはネットのお陰もあって多くの人に知られるようになった。
しかし、当時のアメリカ人にはそんなルーズベルトの正体を見極める力はなかったようです。
それでも、当時もわかっている人はいたようです。田中秀雄さんが、『日本を一番愛した外交官(ウィリアム・キャッスルと日米関係)』を書いてくれたようです。
宮崎さんが書評で取り上げてくれています。
「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和五年(2023)3月18日(土曜日)弐
通巻第7673号
書評
FDRは狂人と言った『フーバー回想録』をみごとに補完
ルーズベルトの陰謀の闇を親日大使の伝記が照射
田中秀雄『日本を一番愛した外交官
(ウィリアム・キャッスルと日米関係)』〔芙蓉書房出版〕
「日本とアメリカは戦ってはならない」と開戦前から主張していた勇気ある米国の外交官がいた。
国務次官、そして日本大使を経験し、戦後日本政府は、この外交官に勲一等を叙勲している。
知っていますか? その人の名前を?
フーバー大統領は国務次官補だったキャッスルと突如呼び出して日本大使に任命した。フーバーは死後半世紀を経て回想記がでたが、ルーズベルトを狂人扱いしており、またハルノートの存在を知らされていなかったと後知恵ながらも詰問した。
後日、フーバーと会ったマッカーサーはFDR評価に同意した。
ウィリアム・キャッスルは1924年に排日移民法をつくった切っ掛けとなる植原駐米大使の失言はじつはヒューズ国務長官の示唆によると証言した。
状況は酷似していないか?
バイデンはロシアを疲弊させるためにウクライナ戦争にひきづり込んだ。ルーズベルトが日本に戦争を仕掛ける陰謀をめぐらし、まわりがソ連のスパイばか り。現在のバイデン政権でウクライナ戦争支援政策を推進しているブリンケン、ヌーランド、サリバンは反露感情のつよいユダヤ人ばかりである。ノルドスト リーム爆破もドイツをひきづりこむ謀略だったとすれば平仄はあう。
主要敵が中国だとバイデン政権がいうのなら、裏側から中国を締め上げる地政学的ポジションに位置するロシアを味方にし、また北朝鮮を手なづけて反中陣営に取り込むのが大戦略だろうに、トランプが途中までやっていたことをバイデンはすべてひっくりかえした
パリ不戦条約(1928)の実質的作成者はキャッスルだった。
スティムソン国務長官の「満州国不承認宣言」(1932)に対してキャッスルは「満州は日本が統治したほうが一番良い」と主張した。
そしてルーズベルト政権の対日批判の動きキャッスルは「中国をたすけるべきではない。それは中国をソ連に明け渡すことだ」と主張した。
ルーズベルト大統領を囲んだソ連のスパイたちは日本を戦争に巻き込む陰謀を展開していたから、キャッスルの正論は黙殺された。
そして戦後、歴史家たちはグルーやマッカーサーらの研究をしても、キャッスルのことは無視、あるいは軽視した。吉田茂がもっとも高く評価し、また岸信介や中曽根が訪米すると キャッスルと面会した事実も歴史家は話題にしなかった。
現代史の裏側にうもれていた外交官を田中氏は見つけ出し、歳月かけて資料を読み込み、はじめての伝記を書いた。
本書は労作であるうえ、現代史研究家にとっては必読文献になるだろう。
FDRは狂人と言ったフーバー大統領は、戦争がおわってから『回想録』を顕し、世界の現代史家たちは驚いた。それを田中氏はみごとに補完し、世紀の陰謀を展開し対日戦争を仕掛けたルーズベルトの闇を、この親日大使だったキャッスル伝記が照射する。
それにしても、どうして世界のリーダーはまともなのが殆どいないのでしょうか。それも、選ぶ国民のレベルでしかないのでしょう。
やはり、国民が成長するしか解決策はないのでしょう。
そんな時代は来るのか!
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