ま たまた、目からうろこです。どこまで真実かは分かりませんが、長い間信じてきた歴史を又考え直す必要がありそうなブ ログを読んでしまいました。昨日書いた鎖国にも繋がるものです。
一部だけを引用していますので、全部はリンク先で読んでください。きっと驚きま すよ。というか私だけが知らなかったのかも。
草莽崛起ー PRIDE OF JAPANより 2013/05/24
1592 年(文禄元年/万暦20年4月13日) - 豊臣秀吉による朝鮮出兵第一陣の小西行長らが釜山に上陸し、文禄の役が始まる
・・・略
どういうことかというと、スペインが日本に攻めて来たとしても、彼らは海を渡ってやってきます。
ス ペインとの直接対決ならば、海を渡ってやって来るスペイン人は、数のうえからいえば少数であり、火力、武力とも に日本の方が圧倒的に上位です。
従っ て、日本がスペインに攻略される心配はまるでない。
と ころが、スペインが明国を植民地として支配下におさめると、様子が違ってきます。
い かに数多くの鉄砲を日本が持っているとはいえ、スペインに支配された明国兵が、数の力にモノを言わせて日本に攻 め込んできたら、これはたいへんなことになる。
元 寇の再来です。
こ れは驚異です。
と なれば、その驚異を取り除くには、スペインよりも先に明国を日本の支配下に置くしかない。
火 力、武力に優れた日本には、それは十分可能なことだし、万一明国まで攻め込むことができなかったとしても、地政 学的に朝鮮半島を日本と明の緩衝地帯としておくことで、日本への侵入、侵略を防ぐことができる。
こ のことは、ロシアの南下政策を防ぐために、明治日本が行なった政策と、当時の状況が酷似していることをあらわし ます。
さ らにいえば、秀吉は、すでにこの時点でスペインの誇る無敵艦隊が、英国との戦争に破れスペイン自体が海軍力を大 幅に低下させていることを知っています。
で すから、スペインが海軍力で日本と戦端を交える可能性は、まずありません。
一 方、長く続く戦乱の世を終わらせようとする秀吉は、全国で刀狩りを実施し、日本の庶民から武力を奪っています。
こ れはつまり、日本に太平の世を築くために必要なことであったわけですが、同時にこのことは、もし日本が他国侵逼 の難にあったときは、日本の戦力を大きく削ぐことにもつながってしまうのです。
な らば、武力がまだ豊富なうちに、余剰戦力を用いて、朝鮮出兵を行ない、朝鮮から明国までを日本の支配下に置いて しまうこと。
こ れは我が国の安全保障上、必要なこと、であったわけです。
こ うして秀吉は、文禄の役(1592〜1593)、慶長の役(1597〜 1598)と二度にわたる朝鮮出兵を行なうのですが、同時に秀吉は、スペインとも果敢な政治的交渉を行なっ ています。…以下略
途中で、これは確かねずさんの ひとりごとで 読んだなぁと思ってましたが、面白いので最後まで読みました。そしたら最後に参照元のリンクがありどうも見 たことあるようなアドレスだなと思いながらクリックしたら秀 吉の朝鮮出兵に飛びました。やっぱりねずさんところです。
それにしても、ねずさんはどこで勉強したのでしょうか。私も結構歴史小説が好きな時があり、中国もので は水滸伝や三国志、日本は当然戦国時代の信長・秀吉・家康ものも読みました。とは言いながらほとんどが吉川 英治さんの娯楽的なものでしたが、夢中で読んだものです。特に山岡宗八さんの徳川家康全26巻などは一日一 巻のスピードで読んだことを思い出します。あの頃、仕事してたはずですが夜中に読んで寝不足だったような気 がします。
歴史好きといってもこんな風にちょっとかじった程度なので大きなことは言えませんが、この秀吉の朝鮮攻 めにこんな意味があったとは全く知りませんでした。これなら秀吉の評価は全く違ってきます。山岡さんの家康 を読んで世間の評価と全く違っていることに衝撃を覚えたのと同じです。
この説は私も信じたいですね。今までは秀頼かわいさの耄碌晩年のイメージでしたが、考え直す必要があり そうです。しかし、こうなると、なんでキリスト教を禁止したのかも納得できます。
こうなると、ますます日本の先祖の素晴らしさを思わざるを得ません。戦後にそうした人材を得なかったこ とが日本の今の現状なのでしょうか。願わくば安倍さんがそうであってほしいものです。
今が最後のチャ ンスかも!