◇しゃべれども しゃべれども(2007年 日本 109分)
staff 原作/佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』
監督/平山秀幸 脚本/奥寺佐渡子 撮影/藤澤順一
美術/中山慎 衣裳/松本良二 落語監修・指導/柳家三三・古今亭菊志ん
音楽/安川午朗 主題歌/ゆず「明日天気になぁれ」
cast 国分太一 香里奈 松重豊 八千草薫 伊東四朗 占部房子 外波山文明
◇火焔太鼓、まんじゅうこわい
人生には、どうしてもぶつかってしまう壁ってのがある。その壁をぶちやぶるか攀じ登って乗り越えるか、まあ、人によっていろいろなんだろうけど、とにもかくにも、その壁をふみこえて行かなくちゃいけないときがある。
落語の世界でも、おんなじだ。
真打ちになりたいけれども実力がともなわないから二つ目になるのがやっと、という国分太一演じる主人公も、その壁にぶつかってる。真打っていう大きな壁だ。そんな国分君のところへ、同じように壁にぶつかってしまった人々がやってくる。美人なんだけど不愛想で口下手な香里奈だったり、いかつい顔ながら人前で喋れない小心者で野球解説者の松重豊だったりする。
ただ、かれらは決して人生に背を向けようとか逃げ出そうとかはおもっていない。かれらに共通しているのは、困難の壁には出くわしてしまったけれども、それをなんとか乗り越えて行きたいとおもっていることだ。そうでなければ、人前で上手に喋れないという自分を変えようとはしないだろう。つまりは、いろいろ悩みは抱えてるけど、かれらはみんな、前向きな人々ってことになる。
だから、この映画はちからが湧くんだね。
落語について、ぼくは詳しくない。だから「火焔太鼓」と「まんじゅうこわい」がどれくらいの難しさで、人様に喋って聞かせられるまでに、いったいどれくらいの練習が必要なのか、まったくわからない。ちなみに「火焔太鼓」は古典落語の演目のひとつだ。江戸時代のいつ頃に出来上がったのかはわからないけど、まあ、小噺としてはよく知られてて、明治の末頃に初代三遊亭遊三がちょっとずつ膨らませて形に成ったものらしい。「まんじゅうこわい」も、同じく古典落語なんだけど、上方と関東ではちょっと差があって、関東では若手が噺を鍛えるために演じる前座噺とされる。けど、5代目柳家小さん、3代目桂三木助らはずっと十八番にしてたみたいで、晩年まで演じてる。
あ、そうそう、原作では「火焔太鼓」じゃなくて「茶の湯」だそうな。国分くんが想いをよせている占部房子が茶道をやっていることに掛けてたのかもしれないけど、ぼくとしては「火焔太鼓」でいいんじゃないかと。というのも、たまたま旧知の落語家がいて、さらにたまたま高座に出かけたところ「火焔太鼓」を聴くことになったことがあるからだ。いや、なかなか調子もいいし、映画で使うには悪くない。とかいって、余裕こいてられるのは自分が観客だからだ。いざ自分が噺すとなったら、こいつぁ、骨が折れるぜ。てなことをおもってるぼくは、どうやら壁にぶちあたったら迂回するタイプなのかもしれない。そりゃ、あかん、とはおもってるんだけどね~。
ぼくのことはさておき、物語中では「火焔太鼓」にしても「まんこわ」にしても、ちゃんと高座が為される。これは、たいしたもんだ。いくら台詞をおぼえるのが役者とはいえ、立派に喋ることができるようになるってのは、けっこう大変だったんじゃないかしらね。
ま、ともあれ、映画としてはたしかに小品ではあるんだけど、さらりと小気味よく仕上がってる。ちょうど「まんじゅうこわい」みたいなもので、それはたぶん平山秀幸の熟練さによるものだろう。ぼくは平山秀幸の『学校の怪談4』を贔屓にしてるんだけど、ほんとにかっちりした演出をする。落語もかなり好みのようで、この作品を撮ってすぐ、やっぱり古典落語の「てれすこ」を題材にした『やじきた道中てれすこ』を撮ってる。
おやまあ、てなもんだ。