▽ストロベリーナイト(2013年 日本 127分)
英題 Strawberry Night The Movie
staff 原作/誉田哲也『インビジブルレイン』
監督/佐藤祐市 脚本/龍居由佳里 林誠人
撮影/川村明弘 高梨剣 美術/塩入隆史 藤野栄治 音楽/林ゆうき
cast 竹内結子 西島秀俊 小出恵介 宇梶剛士 丸山隆平 津川雅彦 生瀬勝久
▽見えない雨
好きでたまらない異性がいるとしよう。
その異性がいいよられているのを知っており、
かつまた、自分の眼の前の車の中で、
どうしようもない相手とセックスしているとしたら、どんな気分になるだろう?
しかも、その異性は、自分の気持ちを知っているだけでなく、
自分に対しては毛ほどの申し訳なさも抱いていないとしたら、どうだろう?
絶望、憎悪、虚無、殺意、あるいは自殺願望、どれが去来してもおかしくない。
こういう設定はあまりにも残酷だし、ぼくは生理的な嫌悪感すら覚える。
菊田こと西島秀俊の演じたのは、そういう役回りだ。
この映画は、テレビシリーズが拡大されて本編となったもので、
どうやら原作では菊田の役はもっと小さいらしいんだけど、
原作を読んでいないぼくのような人間にはどっちでもいい情報だから置いといて、
テレビでは竹内結子演ずる姫川という主任のひきいる捜査班が、
まるで疑似家族のようになっていて、そこにあるのは心地よい調和だった。
西島秀俊が竹内結子にほのかな恋心を持ち、
それをおしつけずに堪えているのはそれなりに美しいし、
竹内結子がそれに甘えながらも上司としての立場と、
過去のトラウマによる弱さから受け止められずにいるのも理解でき、
視聴者としては、そういう不完全なんだけど調和した世界を見つつ、
このふたりを臍にした世界の将来に幸せが待っているかもしれないという、
かすかな期待感を得ることで、幸せさに浸ることができていたはずだ。
ところが映画では、この調和がたちどころに崩され、
竹内結子をほんとうは可愛がりたいのに、
小憎らしい役回りを演じなければならない遠藤憲一や武田鉄矢は骨抜きにされ、
竹内結子だけが空回りして暴走し、自滅していくのを、
疑似家族が自分たちの怒りを押し堪えて、なんとか助けるという構図になってる。
テレビシリーズを好きだった視聴者は、
このいきなり突きつけられた新たな世界観をどう受け止めたんだろうか?
水戸黄門にしても、鬼平犯科帳にしても、世界観は絶対的なもので、
それを崩されたときの違和感は、なんともいいがたいのと似てないかしら?
姫川は菊田の気持ちを裏切り、土砂降りの道端に投げ捨てた。
そういうふうにいわれても仕方ないんじゃないかってなことを、
観てておもった。
ストーカーにならない強さを菊田が持っているのが、まだしも幸いだわ。
男だな、菊田は。