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太陽がいっぱい

2013年12月14日 13時29分14秒 | 洋画1951~1960年

 ◎太陽がいっぱい(1960年 フランス、イタリア 118分)

 原題 Plein Soleil

 staff 原作/パトリシア・ハイスミス『才人リプレイ君』

     監督/ルネ・クレマン 脚本/ルネ・クレマン ポール・ジェゴフ

     撮影/アンリ・ドカエ 美術/ポール・ベルトラン 音楽/ニーノ・ロータ

 cast アラン・ドロン マリー・ラフォレ モーリス・ロネ エルヴィール・ポペスコ

 カメオ出演 ロミー・シュナイダー ポール・ミュラー

 

 ◎漁村モンジベロからナポリへ

 まあ『危険がいっぱい』も観たことだし、

 ルネ・クレマンとアラン・ドロンとくれば、いっぱいシリーズの1も観ないとね。

 たぶん、生まれて初めて観たサスペンスだとおもうんだけど、

 たしかなことはわからない。

 でも、子供心に、

 ラストシーンの余韻たっぷりの怖さと悲しさはよくわかった。

 映画は省略と余韻の芸術で、

 映像で語っていない部分をどれだけ想像させられるかってところが、

 その監督の才能だとおもうんだよね。

 でも、この頃の映画を観てると、そんな奥ゆかしさやお洒落さはまるでなく、

 なんでもかんでもありったけ見せちゃえっていうより、

 小説でいえば、行間を読ませる、ていうところがないんだよな~。

 その点、この映画のラストシーンは凄すぎる。

 まあ、筋立てについてはいまさら書き留めておく必要もないし、

 マリー・ラフォレの美しさについても同様だ。

 淀川長治が「これはホモの後追い」だといったそうだけど、

 そりゃたしかにアラン・ドロンとモーリス・ロネの関係は、

 ホモを疑われても仕方のない意地悪さがあるけど、

 それをおもうと、マリー・ラフォレはどういう立場になるんだろう?

 たしかに、アラン・ドロンは彼女のことを愛してはいなかったろうし、

 彼女を間においた三角関係が生じていたとはおもいにくい。

 ただ、貧乏人の若いチンピラが、金持ちのどら息子にこき使われる内に、

 お金が欲しいというより、

 どら息子の存在そのものに嫉妬し、殺意を抱くというのは、よくわかる。

 アラン・ドロンの殺意は、自分のプライドを涙ながらに守ろうとした故のものだ。

 奥ゆかしい金持ちは好かれるが、

 傲慢で高慢で意地悪な金持ちは憎まれる。

 いつの時代も格差社会の悲劇はあるし、そこに殺意は当然生まれる。

 一寸の虫にも五分の魂ってのは、

 なんだか、この映画にもあてはまりそうな気がするんだよな~。

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