△成熟(1971年 日本 86分)
staff 監督/湯浅憲明
脚本/高橋二三 企画/斎藤米二郎 撮影/喜多崎晃
美術/矢野友久 音楽/菊池俊輔 助監督/小林正夫
cast 高橋惠子 篠田三郎 八並映子 伴淳三郎 赤座美代子 菅野直行 早川保
△山形県庄内平野
鼠ケ関のみこし祭りに鶴岡のお化け祭り、
さらには関根恵子の庄内平野に対するいくつかのナレーションと、
ほんと、観光PR映画に徹してるのはなんでかといえば、
簡単な話、地元の観光協会とのタイアップにほかならない。
この作品は大映の最後の映画で、
いろんなところで、伝説めいた話が語られてる。
完成したとき当時の社長だった永田雅一が、
すでに倒産が決まっていたため、
「そうか、できたか」
と、涙に噎んだとか、
予告編で関根恵子がヌードになっているのに本編でそれがないのは、
スポンサーになってた観光協会に遠慮したのだとか、
なるほど、そういうこともあったかもしれないんだけど、
大映の倒産は、この映画のスタッフのほとんどが知らず、
ほんとのところは新聞記事になったときに初めて知ったという人も少なくない。
ただ、永田雅一の感激についてはぼくはなにも知らないから、
へ~そういうこともあったんだ~というのが感想なんだけど、
関根恵子が海辺の岩場で下着を抜いでたカットが本編に入れられてないのは、
編集の際に監督の湯浅憲明が「うまくつながらないな」といって、
単にカットしたというのがほんとうのところらしい。
にしても、当時、製作日数は限られてて、
実働をどれだけ減らして場面を撮り切るかっていうのが正念場で、
たとえば、佳境、
先生役の早川保が先生を辞めて東京へ帰ってゆく列車の場面とかも、そうだ。
ホームの見送りに間に合わなかった関根恵子が、
なんでかわかんないんだけどお化け祭りの衣装を着て車内に現れ、
早川に惜別するんだけど、車窓から眺められるという設定の海岸道路では、
見送りにやってきた学生連中が乗ってきたオートバイを並走させてて、
まあ、車窓から早川が関根恵子とふたりで手をふり、
なんとも青春映画の定番中の定番といった別れのクライマックスになるんだけど、
この車内の撮影をするとき、湯浅憲明は「2日がかりで撮る」といった。
スタッフたちは頭を抱えた。
列車は借り切って撮影することになってたから、
それを2日間も借り切るなんてことはできるはずがない。
このとき「一発OKで決める」と宣言したのが、助監督の小林正夫だ。
大映ではチーフ助監督がスケジュールを管理しているから、
撮影の順番もすべて小林鬼軍曹が取り仕切る。
小林さんは時刻表を睨み、
トンネルの多い路線のどこでどのカットを撮るかを考え、
すべて「ぶっつけ本番で臨むように」と監督に進言、覚悟を決めさせた。
「撮影時間は、正味1時間半」
まるで黒澤明の『天国と地獄』のようなぶっつけ本番だが、
黒澤組と湯浅組には、マルチカメラとワンキャメという恐ろしく大きな差があった。
マルチならば役者たちはぶっとおしの芝居をすればいいんだけど、
ワンキャメではそうはいかない。
ワンカット撮れば、次のワンカットのためにカメラを移動し、計測し、照明を決める。
そんなめんどくさい作業をたった1時間半で済ませなければならない。
「やってください」
小林さんは仏のように愛らしい顔ながらスケジュール管理は絶対だった。
スタッフとキャストの死に物狂いの撮影が始まり、結果、奇跡的に撮り終えた。
大映が根性を見せた最後の瞬間だったともいえるんだけど、
この映画の場合、エキストラの動員も半端なものではなく、
協力してくれる市民は老若男女が次々に学生服を着、白髪の学生まで現れた。
すべてスポンサーになった観光協会の人集め資金集めの労力の賜物だが、
そうした中に、鶴岡市内の有名な和菓子屋が2軒、あった。
で、関根恵子と篠田三郎がデートに行ったとき、饅頭を食べる場面が設定された。
「これ、おいしいのよ」
と、関根恵子が饅頭を差し出すのだが、
2軒の和菓子屋はそれぞれ自慢の饅頭があり、皮の色が白と茶だった。
篠田三郎が手にして食べたのは味噌饅頭すなわち茶色で、
こちらだけを「おいしい」というわけにはいかない。
そこで、関根恵子が「白い方もおいしいのよ」といって勧めるカットが追加された。
さて、この場面だが、
本編ではどのあたりで観ることができるのか、
はたまた、伝説となった関根恵子の海辺のヌードと同じく、
つながり具合を優先させた編集のためにカットされてしまっているのか、
これは、鑑賞者だけが「ほう、そうか」といえる秘密にして、
ここでは、いわずにおこう。
ともかく、
夏のかぎられた期間内で、
庄内平野の祭りという祭りを撮影し、神社仏閣を撮影するというのは大変で、
大映最後の撮影部隊は、凄まじい勢いでそこらじゅうを駆けずり回った。
よくもまあ完成に漕ぎつけたものだが、
撮り終えたシャシンは、いうなれば王道の青春映画で、
こちらが気恥ずかしくなるくらいに純粋で、垢抜けない、
60年代の後半から70年代の前半にかけての日本の若者が、そこにいる。
ちなみに、
北海道川上郡標茶町磯分内に生まれ、東京都府中市で育った関根恵子は、
府中市の市場で大映のスチールカメラマンの目に留まってスカウトされ、
中学3年生の1年間、大映の研修所で演技を鍛えられ、卒業と同時に大映に入社、
1970年『高校生ブルース』で主演デビューを果たし、
以後『おさな妻』『新・高校生ブルース』『高校生心中 純愛』『樹氷悲歌』『遊び』と、
たった2年間で、立てつづけに主演をこなし、
大映レコードから『おさな妻』の主題歌A面『愛の出発』B面『はじめての愛』まで出し、
文字どおり、大映の看板女優になるという快挙を果たしているんだけど、
上記のどの作品も当時の世相を反映してか、陰鬱な印象の作品ばかりだった。
ところがどうだ、大映の最後の作品になったこの『成熟』だけは、
それまでの陰湿かつ性的な暗さはケシ飛び、おもいきりのびのびとし、
なんだか「ビバ!青春!」とか大声で叫んじゃいそうな、
明朗快活ところによりHといった青春巨篇になってる。
その明るさで倒産も吹き飛ばしてほしかったけど、
時代は冷徹に過ぎていったんだね。