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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
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ヴィクトリア女王 世紀の愛

2013年12月09日 17時35分36秒 | 洋画2009年

 ◇ヴィクトリア女王 世紀の愛(2009年 イギリス、アメリカ 109分)

 原題 The Young Victoria

 staff 監督/ジャン=マルク・ヴァレ 脚本/ジュリアン・フェロウズ

     製作/マーティン・スコセッシ グレアム・キング

         ティム・ヘディントン セーラ・ファーガソン

     撮影/ハーゲン・ボグダンスキ 美術/パトリス・バーメット

     衣装デザイン/サンディ・パウウェル 音楽/アイラン・エシュケリ

 cast エミリー・ブラント ルパート・フレンド ミランダ・リチャードソン ジャネット・ハイン

 

 ◇1840年6月、ヴィクトリア&アルバート狙撃事件

 子孫の呼称ってのは、なかなか知らないものだ。

 子、孫、曾孫、玄孫(やしゃご)までは、たいていの人間は知ってる。

 でも、その後も続いていくわけだから、とうぜん、呼称がある。

 来孫(きしゃご)、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(つるのこ)だ。

 8代後まで、決められてる。

 なんでそんなことをいうかといえば、

 この映画には、

 ヴィクトリア女王とアルバート公の昆孫にあたるヨーク公爵令嬢ベアトリス王女が、

 侍女役で出演してるからだ。

 へ~ってな話だけど、

 そもそも、この作品を作ったらどうかしらって発案したのが、

 エリザベス女王の次男ヨーク公爵アンドルー王子の元妻セーラ・ファーガソンらしい。

 つまり、ヨーク公爵令嬢ベアトリス王女のお母さんね。

 ちなみに元妻ってのは不倫報道の結果、離婚したからなんだけど、

 映画のプロデューサーまで務め、

 実際に王位継承権を持ってる自分の娘を出演させるのは、さすがだ。

 まあ、そのあたりのことはさておき。

 ヴィクトリア女王の治世はヴィクトリア朝とまでいわれるくらい長く、63年と7か月。

 その間、大英帝国は繁栄の一途を辿って「太陽の沈まぬ国」とまでいわれ、

 諸外国との婚姻政策も進んで、彼女は「ヨーロッパの祖母」といわれた。

 7つの海を支配したおかげで植民地は最大に広がり、初のインド女帝にもなった。

 こんな凄まじい女帝の話なんだから、えらい大作かとおもいきや、

 なんとまあ、結婚と狙撃事件の前後に焦点をしぼった恋物語でありました。

 配役を見れば、そりゃそうだよねってことになるんだけど、

 少女の殻を脱しきれず、操り人形のように扱われていた女王が、

 恋愛と結婚を背景にして、

 次第に真の女王への陛を登り始めるっていう筋立てからすれば、

 ちょうどいい感じに仕上がってたような気がするんだけど、どうなんだろ?

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必死剣鳥刺し

2013年12月08日 23時36分58秒 | 邦画2010年

 ◇必死剣鳥刺し(2010年 日本 114分)

 staff 原作/藤沢周平『必死剣 鳥刺し』

     監督/平山秀幸 脚本/伊藤秀裕 、 江良至

     撮影/石井浩一 美術/中澤克巳

     音楽/EDISON 主題歌/alan『風に向かう花』

 cast 豊川悦司 池脇千鶴 吉川晃司 戸田菜穂 村上淳 小日向文世 岸部一徳

 

 ◇謎の秘太刀

 トヨエツは、渋かった。

 吉川晃司も、渋かった。

 このふたりは、年を食うに従って、どんどん渋くなってくるような気がする。

 だけど、

 なんとなく納得できるようなできないようなことが、3つある。

 ひとつめ。

 この鳥刺しという必殺の太刀技は、

 自分が死んだと見せかけ、相手が油断した隙に刺し殺すってものなの?

 それとも、

 自分の心臓が止まってもなお、敵が正面に立ったら何かが反応して刺殺するの?

 どっちなのかわからないんだけど、

 どちらにせよ、どうやって編み出したり、練習したりしたんだろ?

 謎だ。

 いや、そもそも、こういう必殺技を、なんで藩のみんなが知ってるんだ?

 秘太刀ってのは、名称をわざと流布させるんだろうか?

 でも、そんなことしたら、教えてくれとか見せてくれとかいわれるの当たり前じゃない?

 謎だ。

 こんなことを書いてると、難癖つけてるようにいわれるのかな?

 そんな気はまるでないんだけど、やっぱり設定が設定だけに気になるんだよね。

 ふたつめ。

 豊川悦司はとってもまじめな侍で、

 3年前に亡くした妻戸田菜穂をいまだに愛してるはずなんだけど、ちがうのかしら?

 でも、戸田菜穂の姪の池脇千鶴が自分のことを好きだってことに気づいてて、

 自分の世話をさせて、しかも床入りしちゃうんだよね?

 いいんだろか、それ?

 ふたりがいいとおもっても、ちょっとばかり戸田菜穂が可哀想な気もしないではない。

 まあ、

 おばさんが亡くなって、出戻りの自分としてはおじさんのことが好きだったんだから、

 抱かれちゃうのは悪いことじゃないでしょ?

 とかいわれたら、う~ん、困るよね、まじで。

 みっつめ。

 岸部一徳の陰謀は、どうしようもない藩主を守るために、

 藩の道を正そうとしていた吉川晃司を殺すために、

 藩主にとっては愛妾の仇である豊川悦司に恩を売り、

 機を捉えて仕留めさせるっていうものだったんでしょ?

 ということは、藩主ぐるみの陰謀と罠だったことにはならないのかしら?

 だとしたら、最後の立ち回りの後、主人公がこの藩に残したものは何だったんだろ?

 そりゃあたしかに、いつもいいもんばかりが勝つとはおもえない。

 多くの場合、わるもんの方が頭が良いし、結局、好い目を見たりするもんだ。

 でもさ、いちばん悪いのは藩主なんだよね?

 ところが、ふしぎなことに、豊川悦司は愛妾は刺し殺すものの、

 藩主に対して諫言に及ぶまでには至っていない。

 これって、忠義心から行動とはいえ、すこしばかり不十分じゃない?

 忠義一徹の武士というのは、おのれの死をもって諫言するものじゃない?

 にもかかわらず、蟄居壱年とかいう軽い処罰を受けただけで、

 そののち出仕して、あほな藩主に忠勤を尽くすというのは合点がいかなくない?

 藩の運営が愛妾のせいでおかしくなっただけなら、豊川悦司の行動は正しい。

 でも、そうじゃなくて、藩主が愚かだから、藩が行き詰っているのだとすれば、

 吉川晃司がほんとうの忠義心なわけで、

 つまりは豊川悦司と同じ心根になってるわけだから、

 ふたりが激突しなくちゃいけなくなる前に、そもそも密会とかしてるんじゃない?

 なんだかそのあたりから中途半端な気がするのよ。

 全体を通して、渋さはよくわかったし、

 時代劇としての所作に注意が払われてるのもよくわかった。

 腰の据わらないタレントまがいの役者を使って学芸会を見せられるより、ずっといい。

 でもね~、

 なんだか溜飲の下がらない気がするんだけど、

 こんな重箱の隅をつつくようなことをいっちゃうのは、

 時代劇を見慣れてないとか、物語の中身をちゃんとこなしてないからなのかな?

 やっぱり、わかってないのかな~、

 ぼくは。

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追憶

2013年12月07日 21時48分18秒 | 洋画1971~1980年

 ◎追憶(1973年 アメリカ 118分)

 原題 The Way We Were

 staff 原作/アーサー・ローレンツ『The Way We Were』

     監督/シドニー・ポラック

     脚本/アーサー・ローレンツ デヴィッド・レイフィール

     撮影/ハリー・ストラドリング・ジュニア 美術/スティーヴン・B・グライムズ

     装飾/ウィリアム・キアーナン タイトル・デザイン/フィル・ノーマン

     衣裳/ドロシー・ジーキンズ モス・メイブリー 衣裳監修/バーニー・ポラック

     音楽/マーヴィン・ハムリッシュ

     主題歌/バーブラ・ストライサンド『The Way We Were』

     作詞/アラン・バーグマン マリリン・バーグマン 作曲/マーヴィン・ハムリッシュ

 cast ロバート・レッドフォード バーブラ・ストライサンド ジェームズ・ウッズ

 

 ◎ハリウッド、レッドパージ

 調布市仙川で、とある演劇を観た。

 一世紀前の大英帝国で婦人参政権運動が盛り上がりを示した頃、その過激な運動に参加していた弁護士の妻にして女流作家が職工の娘と牢獄で知り合い、やがてレズビアンな関係になり、まあ、紆余曲折あった後に、年若い相手は普通の男と結婚し、自分は夫と別れて、自分の進むべき銀色の狼の道を進んでゆくという筋立てだ。翻訳物のようだったけど、場面展開があまりにも多く、ちょっと戸惑った。

 ウーマンリブの走りの姿を描こうとしたというより、レズの話が核になっているような印象だったもんだから、肩透かしを食らった観もないではなかったけど、それについてはいい。政治に興味を持ち、自分の正しさを猛烈に主張して行動する女性は、いつの時代にもいる。

 たとえば、この作品がそうだ。

 1937年から20年間、共産主義を標榜し、赤狩りに抵抗し、さらには原水爆の反対運動に身を投じてゆくバーブラ・ストライサンドと、脚本家や小説家になることを夢見、政治運動を客観的に見、やがてみずから決めた脚本家への道をたどってゆくロバート・レッドフォードとの恋愛、結婚、出産、離婚、再会、そして追憶によって辿る話だ。

 貧乏な家に生まれたバーブラ・ストライサンドは理想に燃え、裕福な家に育ったロバート・レッドフォードは現実を見極めている。ふたりは生まれも育ちも思想も主義も行動も生き方も違うんだけど、そのふたりの結晶は世に生まれ、あらたな時代のひとりとなる。戦前から戦後のある一時期まで、こうした男女は少なからずいただろう。

 ふたりの辿った道は、やがて破局になっても、心の中でやはりどこかで求め合ってしまっているのが人間っていうものだ。だからこそ、ふたりの相容れない愛は美しい思い出として追憶される。

 そんな映画で、ぼくたちが大学生の頃、かならず春になると早稲田松竹ではこれが掛けられ、毎年、観に行った。大学生にとって、学生運動を経験していてもいなくても、女性の立場に立つか、男性の立場を理解しようとするか、たいがい議論になった。そういうとき、すこし過激な女の子は、バーブラ・ストライサンドみたいに生きたいといい、ロバート・レッドフォードはつまらない男だといいきった。

 まあ、それはよくわかるんだけど、いまだにぼくの知り合いの女の子には、そういう火の玉娘がいる。人間にはさまざまな生き方があって、ぼくはどうしてもこの国やこの国の人々のために戦うんだとかいう強い気持ちになることができないもんだから、いまだに、だらだらと怠けたまま、日々、ノンポリ暮らしを続けてる。

 そういう意味では、レッドフォードみたいなもんだけど、ことわるまでもなく、生まれも育ちも容姿もレッドフォードには敵わない。当たり前か。ま、それはともかく、この作品を観るたびに、まだ頑張ってるんだろかと思い出すんだよね。あ、恋愛感情はないので、念の為。

(以下、2022年6月3日)

 それにしても、ジェイムズ・ウッズ若いな~。こんなに堂々とした青春映画だったんだ~って、いまさらながらびっくりする。でも、なんべん観てもすぐに忘れちゃうのは、それだけぼくが歳を取ってしまったからなんだろう。仙川の劇場で観たロンドンの女性運動家は、投獄されるたびにハンガー・ストライキをして鼻から流動食をいれられて強制摂取っていう拷問を喰らい、仲間の女性たちから鉄格子の勲章を授けられたりしてたんだけど、競馬場で国王の馬の首に婦人参政権をもとめて垂れ幕をかけようとして失敗して死んじゃったらしい。hんとうだとしたら、なんだか身につまされるね。

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ストロベリーナイト

2013年12月06日 00時43分51秒 | 邦画2013年

 ▽ストロベリーナイト(2013年 日本 127分)

 英題 Strawberry Night The Movie

 staff 原作/誉田哲也『インビジブルレイン』

     監督/佐藤祐市 脚本/龍居由佳里 林誠人

     撮影/川村明弘 高梨剣 美術/塩入隆史 藤野栄治 音楽/林ゆうき

 cast 竹内結子 西島秀俊 小出恵介 宇梶剛士 丸山隆平 津川雅彦 生瀬勝久

 

 ▽見えない雨

 好きでたまらない異性がいるとしよう。

 その異性がいいよられているのを知っており、

 かつまた、自分の眼の前の車の中で、

 どうしようもない相手とセックスしているとしたら、どんな気分になるだろう?

 しかも、その異性は、自分の気持ちを知っているだけでなく、

 自分に対しては毛ほどの申し訳なさも抱いていないとしたら、どうだろう?

 絶望、憎悪、虚無、殺意、あるいは自殺願望、どれが去来してもおかしくない。

 こういう設定はあまりにも残酷だし、ぼくは生理的な嫌悪感すら覚える。

 菊田こと西島秀俊の演じたのは、そういう役回りだ。

 この映画は、テレビシリーズが拡大されて本編となったもので、

 どうやら原作では菊田の役はもっと小さいらしいんだけど、

 原作を読んでいないぼくのような人間にはどっちでもいい情報だから置いといて、

 テレビでは竹内結子演ずる姫川という主任のひきいる捜査班が、

 まるで疑似家族のようになっていて、そこにあるのは心地よい調和だった。

 西島秀俊が竹内結子にほのかな恋心を持ち、

 それをおしつけずに堪えているのはそれなりに美しいし、

 竹内結子がそれに甘えながらも上司としての立場と、

 過去のトラウマによる弱さから受け止められずにいるのも理解でき、

 視聴者としては、そういう不完全なんだけど調和した世界を見つつ、

 このふたりを臍にした世界の将来に幸せが待っているかもしれないという、

 かすかな期待感を得ることで、幸せさに浸ることができていたはずだ。

 ところが映画では、この調和がたちどころに崩され、

 竹内結子をほんとうは可愛がりたいのに、

 小憎らしい役回りを演じなければならない遠藤憲一や武田鉄矢は骨抜きにされ、

 竹内結子だけが空回りして暴走し、自滅していくのを、

 疑似家族が自分たちの怒りを押し堪えて、なんとか助けるという構図になってる。

 テレビシリーズを好きだった視聴者は、

 このいきなり突きつけられた新たな世界観をどう受け止めたんだろうか?

 水戸黄門にしても、鬼平犯科帳にしても、世界観は絶対的なもので、

 それを崩されたときの違和感は、なんともいいがたいのと似てないかしら?

 姫川は菊田の気持ちを裏切り、土砂降りの道端に投げ捨てた。

 そういうふうにいわれても仕方ないんじゃないかってなことを、

 観てておもった。

 ストーカーにならない強さを菊田が持っているのが、まだしも幸いだわ。

 男だな、菊田は。

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ウルヴァリン:SAMURAI

2013年12月05日 00時29分44秒 | 洋画2013年

 ◇ウルヴァリン:SAMURAI (2013年 アメリカ、オーストラリア 126分)

 原題 The Wolverine

 staff 監督/ジェームズ・マンゴールド

     脚本/マーク・ボンバック スコット・フランク クリストファー・マックァリー

     製作/ヒュー・ジャックマン ジョン・パレルモ

         ハッチ・パーカー ローレン・シュラー・ドナー

     撮影/ロス・エメリー 美術/フランソワ・オデュイ 衣装/イシス・ムセンデン

     音楽/マルコ・ベルトラミ 挿入歌/由紀さおり『生きがい』

 cast ヒュー・ジャックマン 福島リラ TAO 真田広之 スベトラーナ・コドチェンコワ

 

 ◇日本刀は両手で持つのだ

 日本びいきの外国人は、

 どうしても日本刀が神秘的なちからを持っていると信じたいんだろうか?

 忍者についてもそうで、

 いまだに日本がこういう国だとおもわれてるのかとおもうと、

 ちょっとだけ残念になる。

 とはいえ、まあ、いろいろ意見はあるだろうけど、

 エンターテイメントはどれだけ愉しめるかが問題で、

 そういう点からいえば、苦笑するところは多々あるにせよ、愉しめたかも。

 JR東日本が全面的に支援協力したらしく、

 対決の場になったのは東北新幹線の東京~郡山間を走る「なすの」で、

 ここでとんでもない身体能力をもった日本人どもが登場する。

 新幹線の上で決闘できるような日本人はそうそうざらにいるもんじゃない。

 さらに、郡山へ向かったはずが最終的に到着した先は長崎なんだから、

 こういうところはほんとにアメリカ人は拘らない。

 さすがだ。

 途中、どこの駅かわからないんだけど、繁華街の中にラブホがある。

 しかも、このラブホは受付がいまどき珍しい開けっぴろげの対面式だ。

 まじかよ、とおもった。

 で、開いてる部屋が、

『地下牢の部屋』『ナースの部屋』『火星探検の部屋』

 ってんだから、なかなか凄い。

 でもさ~普通、火星探検の部屋とかは選ばなくない?

 外人さんにしてみれば、日本のラブホは世界でも稀な文化で、

「おー、いったいなんで、日本人は、

 あんなに興味ぶかい性のワンダーランドを創れるんだ?」

 という仰天と尊敬があるんだろうけど、

 もうそういう時代じゃないし、いまどき、そんなラブホはなかなかないよね。

 ちょっと脱線しすぎたけど、

 それにしても、

 ウルヴァリンことローガンが長崎で被爆したとは知らなんだ。

 そういうことを考えると、

「よくもこれだけ破天荒な物語を作ったもんだ」

 とおもわないでもないけど、

 増上寺、秋葉原、高田馬場、新宿、鞆の浦、今治など、

 次から次へと、ふんだんにロケできているのは、

 なんとも羨ましいよね。

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ソフィー・マルソーの三銃士

2013年12月04日 19時05分59秒 | 洋画1994年

 ◇ソフィー・マルソーの三銃士(1994年 フランス 129分)

 原題 La fille de d'Artagnan

 staff 原作/アレクサンドル・デュマ『三銃士』『二十年後』

     監督/ベルトラン・タヴェルニエ

     脚本/ミシェル・レヴィアン ベルトラン・タヴェルニエ ジャン・コスモ

     撮影/パトリック・ブロシェ 美術/ジュフロワ・ラルシェル

     衣装デザイン/ジャクリーヌ・モロー 音楽/フィリップ・サルド

 cast ソフィー・マルソー フィリップ・ノワレ クロード・リッシュ サミー・フレー

 

 ◇1844年『三銃士』刊行

 最初につまらないことをいおう。

「ソフィー・マルソーと南野陽子を繋ぐものがあるとすれば、それはダルタニャンだ」

 なんでそうなるのか。

 一般に『ダルタニャン物語』と呼ばれる銃士ダルタニャンの人生を描いた物語は、3部に分けられている。その第1部がいわゆる『三銃士』で、第2部が『二十年後』となり、第3部が『ブランジュロンヌ子爵』だ。黒岩涙香が翻訳小説として出版した『鐡仮面』はその第3部に登場するんだけど、これは『ダルタニャン物語』から二次派生した鉄仮面の囚人を中心にした小説で、書いたのはフォルチュネ・デュ・ボアゴベイで、もともとの題名は『サンマール氏の二羽のつぐみ』だった。ただし、涙香が翻訳したのは原書じゃなくて、英訳本だったんで結末がちがう。この『鐡仮面』を、のちに江戸川乱歩が書き改めて『鉄仮面』として出版、さらに少年向きに書き直して『仮面の恐怖王』になった。今では長島良三が原書を翻訳した『鉄仮面』が読めるんだけど、活字嫌いのぼくは、小学校の頃に『仮面の恐怖王』を読んだだけだ。

 なんとも恥じ入るばかりだけど、この『鉄仮面』物はまだ別に派生した。小栗虫太郎の『二十世紀鉄仮面』ももちろんそうだが、少女活劇の代名詞のような『スケバン刑事Ⅱ少女鉄仮面伝説』も、その系列に入る。おお、やっと「ソフィー・マルソーと南野陽子を繋ぐものがあるとすれば、それはダルタニャンだ」というところに辿り着いた。

 で、なんでこんなことをたらたらと書いてきたかといえば、本作もとどのつまり、フランスのアイドル映画なんだよな~っていう結論からだ。画面も明るく、しかも囚われの身となったソフィー・マルソーは、映画『スケバン刑事』で南野陽子が囚われたときとまったく同じポーズをとるし、そういうあたりも、ファン心を刺激するのはどうしたらいいのかを、日仏の制作者たちはなんとなく嗅ぎ取ってたってことになるんだろね。

 てな感じの感想でした。

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花のあと

2013年12月03日 00時43分38秒 | 邦画2010年

 △花のあと(2010年 日本 107分)

 staff 原作/藤沢周平『花のあと 以登女お物語』

     監督/中西健二 脚本/長谷川康夫 飯田健三郎

     撮影/喜久村徳章 美術/金田克美 装飾/中山まこと

     音楽/武部聡志 主題歌/一青窈『花のあと』

 cast 北川景子 甲本雅裕 市川猿之助 伊藤歩 柄本明 國村隼 相築あきこ

 

 △甲本雅裕の味

 いつもいってることなんだけど、原作は読んでないから、いい加減なことしか書けない。

 藤沢周平の世界はどうやら静謐に包まれているらしい。

 で、丹念に構築された海坂藩の長い歴史の中に、

 美貌の女人剣士がいたというような短編があったんだろう。

 それをそのまま映画化したわけではないだろうから、

 映画に関してのみ、簡単なメモを取っておくっていう程度だ。

 味わい深いのは冴えない夫役を演じた甲本雅裕で、

 ぼくはこういう風采の上がらない雰囲気をもった男がいちばんいいとおもってる。

 一般的に、世の中というのは不公平に出来ていて、

 イケメンという言葉は好きじゃないから使いたくないんだけど、

 世にいうそういう部類の人間は多かれ少なかれ自分の容姿に自信があるものだ。

 そりゃまあ、たいがいの女性は見てくれのいい男が好きだろうし、

 ぶさいくな男は、多くの場合、相手にされない。

 でも、美男子よりも風采の上がらない男の方が実直で、優しいことってない?

 ないか~。

 劣等感とか、嫉妬とか、ひがみとか、そういうものが渦巻くからな~。

 ま、そんな雑談はおいといて、映画について書かないといけないね。

 さて。

 う~む、なんていったらいいんだろうか。

 不細工な夫としては、

 恋い焦がれていた男の仇を討とうしている美貌の嫁のやりたいようにさせ、

 やがて本懐を遂げたときに、おもいきりの優しさを見せて、

 その嫁の心を自分のものにするべく、

 まずは我慢を決め込み、ひたすら笑顔で励まし続けるという、

 なんとも忍耐づよさだけが武器になるわけだけど、

 そういう一見するだけではつまらない男の役を、

 甲本雅裕は役者の中ではいちばん素直に演じたような気がするよ。

 ああ、それと、

 北川景子は現代劇に出てる方が似合ってるとおもんだけど、

 そんなことないかしら?

 あ、それから、

 北川景子のポスター、なんでくちびるに桜の花びらが引っ掛かってるんだろう?

 謎だ。

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ジンジャーの朝 さよなら、わたしが愛した世界

2013年12月02日 13時42分13秒 | 洋画2012年

 ☆ジンジャーの朝 さよなら、わたしが愛した世界

  (2012年 イギリス、デンマーク、カナダ、クロアチア 90分)

 原題 Ginger & Rosa

 staff 監督・脚本/サリー・ポッター

     撮影/ロビー・ライアン 衣裳デザイン/ホリー・ワディントン

     美術/アンドレア・マシスン カルロス・コンティ

     音楽/ザ・シャドウズ『アパッチ』 デイヴ・ブルーベック『テイクファイブ』など

 cast エル・ファニング アリス・イングラート クリスティーナ・ヘンドリックス

 

 ☆1962年、ロンドン

 核の恐怖と不安が世界中をおおっていた時代の話だ。

 強迫観念というのは、ときにその人間の心を透明化させてしまう。

 心臓の鼓動を高鳴らせ、不安感が取り除かれるまでその動悸は熄まない。

 主人公のジンジャー(本名アフリカ)の動悸を早めさせたのは、

 廃絶をめざした反対運動に自由主義者の大人達に混じって参加していた核と、

 広島と長崎に原爆が投下された年に共に生まれた双子のような親友と、

 その親友と不倫してしまう実存主義者にして三文作家の尊敬すべき父親と、

 父親が浮気してしまったことで狂乱する唖然とするくらい豊満な胸の美しい母親、

 そして、

 父親の影響でT・S・エリオットの詩を愛し、日々不安に苛まれている自分自身だ。

 強迫観念におしつぶされそうになるのは誰にでもあることで、

 自分ではどうすることもできない事態を突きつけられたとき、

 わが身を可愛いとおもえばおもうほど、

 どうしようもできない自分に神経回路が乱れ、

 胸の動悸が極端に高まり、全身が恐慌状態となって身動きできなくなる。

 なんでこんなことになるかといえば、

 ここではエル・ファニングだけれども、

 彼女の心がガラスのように繊細かつ純粋で、

 同時に世間と現実の醜さを知っているようでいてまるで知らず、

 ことに男の、ここではアレッサンドロ・ニヴォラ演じる父親の、

 自由で知的という好い面ばかりを観て、同時に抱えている性欲に無知で、

 社会も親友も決して自分を裏切らないという子供じみた心が抜けずにいるからだ。

 もちろん、少女であることの素晴らしさは謳歌すべきものなんだけど、

 同じ日に生まれ、共に育ってきたはずの親友アリス・イングラートは、

 そのびっくりするほどの美貌のためか、ひと足はやく大人になってる。

 もっとも、身体は大人でも冷静かつ理性的な考えができるほど成長したかといえば、

 行動はどうにも奔放かつ衝動的であることをおもえば、

 冷静かつ理性的なおとなになっているとはややおもいにくい。

 つまりは、

 依然として少女でありつづける主人公と、

 少女から大人へと脱皮してゆきつつあるその親友との物語で、

 それを、さまざまに成長してしまった大人たちが取巻いているという構成だ。

 話としては単純だけど、

 使用されている音源といい、透明感のある美しい映像といい、

 いや、ほんと、

 60年代前半の青春物語として、しっかりした出来栄えだったわ。

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成熟

2013年12月01日 02時55分05秒 | 邦画1971~1980年

 △成熟(1971年 日本 86分)

 staff 監督/湯浅憲明

     脚本/高橋二三 企画/斎藤米二郎 撮影/喜多崎晃

     美術/矢野友久 音楽/菊池俊輔 助監督/小林正夫

 cast 高橋惠子 篠田三郎 八並映子 伴淳三郎 赤座美代子 菅野直行 早川保

 

 △山形県庄内平野

 鼠ケ関のみこし祭りに鶴岡のお化け祭り、

 さらには関根恵子の庄内平野に対するいくつかのナレーションと、

 ほんと、観光PR映画に徹してるのはなんでかといえば、

 簡単な話、地元の観光協会とのタイアップにほかならない。

 この作品は大映の最後の映画で、

 いろんなところで、伝説めいた話が語られてる。

 完成したとき当時の社長だった永田雅一が、

 すでに倒産が決まっていたため、

「そうか、できたか」

 と、涙に噎んだとか、

 予告編で関根恵子がヌードになっているのに本編でそれがないのは、

 スポンサーになってた観光協会に遠慮したのだとか、

 なるほど、そういうこともあったかもしれないんだけど、

 大映の倒産は、この映画のスタッフのほとんどが知らず、

 ほんとのところは新聞記事になったときに初めて知ったという人も少なくない。

 ただ、永田雅一の感激についてはぼくはなにも知らないから、

 へ~そういうこともあったんだ~というのが感想なんだけど、

 関根恵子が海辺の岩場で下着を抜いでたカットが本編に入れられてないのは、

 編集の際に監督の湯浅憲明が「うまくつながらないな」といって、

 単にカットしたというのがほんとうのところらしい。

 にしても、当時、製作日数は限られてて、

 実働をどれだけ減らして場面を撮り切るかっていうのが正念場で、

 たとえば、佳境、

 先生役の早川保が先生を辞めて東京へ帰ってゆく列車の場面とかも、そうだ。

 ホームの見送りに間に合わなかった関根恵子が、

 なんでかわかんないんだけどお化け祭りの衣装を着て車内に現れ、

 早川に惜別するんだけど、車窓から眺められるという設定の海岸道路では、

 見送りにやってきた学生連中が乗ってきたオートバイを並走させてて、

 まあ、車窓から早川が関根恵子とふたりで手をふり、

 なんとも青春映画の定番中の定番といった別れのクライマックスになるんだけど、

 この車内の撮影をするとき、湯浅憲明は「2日がかりで撮る」といった。

 スタッフたちは頭を抱えた。

 列車は借り切って撮影することになってたから、

 それを2日間も借り切るなんてことはできるはずがない。

 このとき「一発OKで決める」と宣言したのが、助監督の小林正夫だ。

 大映ではチーフ助監督がスケジュールを管理しているから、

 撮影の順番もすべて小林鬼軍曹が取り仕切る。

 小林さんは時刻表を睨み、

 トンネルの多い路線のどこでどのカットを撮るかを考え、

 すべて「ぶっつけ本番で臨むように」と監督に進言、覚悟を決めさせた。

「撮影時間は、正味1時間半」

 まるで黒澤明の『天国と地獄』のようなぶっつけ本番だが、

 黒澤組と湯浅組には、マルチカメラとワンキャメという恐ろしく大きな差があった。

 マルチならば役者たちはぶっとおしの芝居をすればいいんだけど、

 ワンキャメではそうはいかない。

 ワンカット撮れば、次のワンカットのためにカメラを移動し、計測し、照明を決める。

 そんなめんどくさい作業をたった1時間半で済ませなければならない。

「やってください」

 小林さんは仏のように愛らしい顔ながらスケジュール管理は絶対だった。

 スタッフとキャストの死に物狂いの撮影が始まり、結果、奇跡的に撮り終えた。

 大映が根性を見せた最後の瞬間だったともいえるんだけど、

 この映画の場合、エキストラの動員も半端なものではなく、

 協力してくれる市民は老若男女が次々に学生服を着、白髪の学生まで現れた。

 すべてスポンサーになった観光協会の人集め資金集めの労力の賜物だが、

 そうした中に、鶴岡市内の有名な和菓子屋が2軒、あった。

 で、関根恵子と篠田三郎がデートに行ったとき、饅頭を食べる場面が設定された。

「これ、おいしいのよ」

 と、関根恵子が饅頭を差し出すのだが、

 2軒の和菓子屋はそれぞれ自慢の饅頭があり、皮の色が白と茶だった。

 篠田三郎が手にして食べたのは味噌饅頭すなわち茶色で、

 こちらだけを「おいしい」というわけにはいかない。

 そこで、関根恵子が「白い方もおいしいのよ」といって勧めるカットが追加された。

 さて、この場面だが、

 本編ではどのあたりで観ることができるのか、

 はたまた、伝説となった関根恵子の海辺のヌードと同じく、

 つながり具合を優先させた編集のためにカットされてしまっているのか、

 これは、鑑賞者だけが「ほう、そうか」といえる秘密にして、

 ここでは、いわずにおこう。

 ともかく、

 夏のかぎられた期間内で、

 庄内平野の祭りという祭りを撮影し、神社仏閣を撮影するというのは大変で、

 大映最後の撮影部隊は、凄まじい勢いでそこらじゅうを駆けずり回った。

 よくもまあ完成に漕ぎつけたものだが、

 撮り終えたシャシンは、いうなれば王道の青春映画で、

 こちらが気恥ずかしくなるくらいに純粋で、垢抜けない、

 60年代の後半から70年代の前半にかけての日本の若者が、そこにいる。

 ちなみに、

 北海道川上郡標茶町磯分内に生まれ、東京都府中市で育った関根恵子は、

 府中市の市場で大映のスチールカメラマンの目に留まってスカウトされ、

 中学3年生の1年間、大映の研修所で演技を鍛えられ、卒業と同時に大映に入社、

 1970年『高校生ブルース』で主演デビューを果たし、

 以後『おさな妻』『新・高校生ブルース』『高校生心中 純愛』『樹氷悲歌』『遊び』と、

 たった2年間で、立てつづけに主演をこなし、

 大映レコードから『おさな妻』の主題歌A面『愛の出発』B面『はじめての愛』まで出し、

 文字どおり、大映の看板女優になるという快挙を果たしているんだけど、

 上記のどの作品も当時の世相を反映してか、陰鬱な印象の作品ばかりだった。

 ところがどうだ、大映の最後の作品になったこの『成熟』だけは、

 それまでの陰湿かつ性的な暗さはケシ飛び、おもいきりのびのびとし、

 なんだか「ビバ!青春!」とか大声で叫んじゃいそうな、

 明朗快活ところによりHといった青春巨篇になってる。

 その明るさで倒産も吹き飛ばしてほしかったけど、

 時代は冷徹に過ぎていったんだね。

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