Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編377. 続・地蔵盆

2018年08月20日 | Kyoto city

 昨日は、京都市の各町内毎に一斉に行われる地蔵盆だった。いつ頃から行われてきたかは定かではないが、町内の祭事用の箱に文化と記載があるので、1804〜1818年つまり江戸時代後期には行われていた可能性がある。主に近畿地方が中心だろう。朝、お地蔵様を飾り付け、お坊さんの供養とともにお参りし、午後は子供達の遊び相手となり、夕方から町内総出の宴会だった。もちろん町内によっては、お数珠回しなどという古来からのしきたりを行っている。子供のお祭りだから、まあ一日はしゃいでくれる。

 そんな歴史が色濃く集積している京都だが、私は学としての歴史に対しては冷たい。まあ大学で教えたのが工学系だし、出身が芸術系だからというのもあるが、実際文科系の学生を教えてみると、やはり表現とか具現化する方法を持っていないから論理明快でも提案力がひ弱だよなという私の経験もある。

 人間の二次元空間でのクリエイションの伝達形式には、

1)文系(文章、誌、コンピュータ言語など)

2)数式系(数式、数値、論理式、分子式など)

3)図系(地図、設計図、グラフ、表、楽譜など多数)

4)絵系(絵画、漫画、写真や映像など)

・・と大別して4系統ある。この4系統をフルに、そして相互に関連づけて駆使できるスペシャリストである、というのが今の時代が求める能力でしょう。

 提案力のなさを自覚すると歴史に走りやすい傾向がありそうだ。歴史!、それはすべてが仮説の世界だし、文章だけしかつかわない世界だ!。だからストーリー化する。つまり歴史小説だ。壮大な人間の物語としてクリエイションするわけだ。

 そもそも歴史すなわちhistoryは、hi(人間)-(の)-story(物語)という概念だから、それは当然の帰結。「人間の物語」がある程度の史実に基づいているとはいえ、検証できないからやはり仮説の域をでない。

 実際日本では、歴史小説が支持されているし、市民講座も歴史系のテーマが多い上に、自治体では地域振興の柱の1つに歴史資源が欠かせない。歴史好き人間も多数いるから歴史をあなどると京都人の過半から嫌われる。

 だから歴史の世界は、容易には検証できないので酒でも飲んで古代のロマンを語りましょうよとくる。おいおいそりゃ飲んべえの集まりだよ。というわけで、昨日は京都の伝統行事である地蔵盆で宴会に興じていた。

 

京都市内、画像は2017年撮影 

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