Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング527. 小説:小樽の翆455. 一寸意識高い奴らの気分に

2021年10月28日 | Sensual novel

 

 札幌の歩く下半身のベーヤンから、昼飯食べようとスマホにメールがきた。

いつものホテルのレストランに出かけた。

・・・

ベーヤン「色気って意味的だよね。だってさあ、京都の舞妓がヌードになりましたといったら一応メディアの話題になるかもしれんけど、同じ女がビキニ姿で海水浴の指導員ですぅー、といっても誰も話題にしないよね」

「色気は、意味づけたい人間達が頭の中で組み立てた妄想だよ。ここでいう妄想というのは感性では表現できない、数値でも説明できない、そういうのをいうんだけどさ」

ベーヤン「妄想を啓発してメディアが成りたっている!」

「これ以上の妄想は公序良俗違反ですぅーとかぁーー((*^▽^*))」

ベーヤン「なんだろうね、あの無意味な自己規制は?」

「意味があるとは思えないな。文科系の視聴者が判断して、これはモラルに反するとか、ここまでならいいだろうとか、そんな数量化できない判断で、個人や企業のご都合も加味されて判断されるのかなぁー、広告なんか特にそうだよね・・・」

ベーヤン「人文系の世界の話か・・・」

「アチキは、セックスは生物概念だからヒエラルキーは社会概念よりは上位だと考えている。下位の社会概念のなかにエロとか意味的な要素があるんじゃないかい。それって民俗学の世界かなぁー」

ベーヤン「人文系というのは、ややこしいのだよ。裸婦をみるとモラルだの公序良俗だけが話題になるからね」

「でもねえ、女の大臀筋を抱えたときのボリューム感が心地よいとかさ。それって色気とかエロとも違っていて、ボリュームが与える感覚というかなあー。そういうことを言い表す言葉が日本語にはないね」

ベーヤン「日本には、女の体をボリュームで感じる感性がなかったのだろう。赤い肌襦袢だの月明かりでほのかに見えるだの、といった具合に美意識の持ち方が演出的だな。つまり色気というのが形式化しているんだよ。だからこんな演出をすれば男には色っぽく感じるといったステレオタイプ化した官能意識が社会的にはびこっているんだろう」

「ステレオタイプ化だね。おっと!、一寸意識高い奴らの気分になっちまったか」

ベーヤン「色気の話に意識の高いも低いもないよ」

そんなたわいない話で、午後の時間をつぶしていた。

(*^▽^*)

・・・

窓外をみると山の木々が色づき始めている小樽だ。

コメント
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