動画編集のポイントを覚えちゃうと、オペレーションが簡単なのでズボラなブログになりそうだ。MacにはiMoveが入っているので使わない手はないし、簡単に扱えるソフトだ。他方で難しいのはロケーションだろう。撮影方法もあるし、社会環境との関わり方もありそうだ。
特定できる人物を撮影し顔をぼかした画像をみかけるが、承諾がない画像はそうしないと使えないとする著作権に忠実に従ったのだろう。なんか過剰反応だと私は考えている。つまり撮影した人間と写された人間との関係が希薄で、何かの時に文句をつけられそうだから、ボカしておくと推測できるが、そんな関係性が希薄なら、WEBにアップすること自体が無意味だと私は思うけど。
それ以前に承諾がない画像は最初から撮らない。あるいは群衆として扱うのだろう。
YouTubeというこれまでのテレビ媒体以上の巨大媒体を使うと、そうした社会環境における著作権と関わることになる。
私の名前で、国会図書館の蔵書検索をすると、約140件ほど著作がヒットする。もちろんNOの後半は名前違いもあるが、私の記憶している範囲では100件以上の著作、つまり学術論文や共著での出版をおこなってきた。その全てを私は公開している。引用されるのは自由です。ただし引用するときは出典名をクレジットに加えるという文章執筆のルールに従ってくださいね、というスタンスだ。そうやって一応日本の文化に一助ではあるが貢献している。
世界の百科事典であるウィキペディア日本語版も、当初は出典を記載せず、自分の知っている知識の羅列で書かれており全く使い物にならなかった。いまでもどの部分が引用なのかがわからない書き方が多く、役に立たないサイトだと思っている。私は、ウィキに毎年寄付をしているけど、もう少し執筆のルールを守って書いて欲しいと思う。
少なくとも大学を出ていれば卒業論文で書き方を勉強してきたはずだが、私の教員経験でも、理解しないまま大学を卒業してゆく学生は多い。
それいでいて誰でもがオリジナリティを世界的に発表できるYouTubeで、過度の著作権反応を起こす。実にチグハグな社会だ。おそらく日本人固有のオポチュニズム(日和見主義)だろうと理解している。
私が自分で天井裏に入りLANケーブルを敷設していた時代、インターネットは無料だったし、著作のルールを守れば、どんな発表だって可能だった。今は高額な使用料を支払う割には、執筆原則を無視した無礼なインターネットに成り下がっている。
私のブログは引用自由だし、予め私に断る必要はない。引用するときは執筆のルールに従ってくださいね、というスタンスだ。だから私も引用するときは、オリジナル制作者の氏名を入れることを原則にしている。
それ以前に、引用するのに値する情報をアップしているかと考えればNOに近いけど((*^▽^*))・・・。そこがブログなのだろう。
Fisheye59 KERAMA BLUE
沖縄県慶良間諸島
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