昨年11月末、冬一番の寒さの日曜日、各人の日程が符号し名古屋・金山で少し早い忘年会だった。
いつもの新幹線各駅停車にのり、秋の気配が濃厚な車窓を久しぶりに撮影していた。ビデオモードに設定していた機材を静止画に戻して・・・。ところが動画用のピクチャープロファイルで静止画を撮影していた。もちろん気づいて設定し直したが。そうしたら明らかに露出不足の画像を量産し、photoshopで修正した途端、黒が締まった綺麗な画像になった。それは静止画のピクチャープロファイル(standard,vivid,・・・といった設定)より綺麗かもしれない。この機材は、動画が支配的なシステムのようだ。
もはやZEISSの空気とカテゴライズする意味もないが、一応ZEISS風の画像処理をしている。
車窓撮影をしていたのは5年以上前だったが、今改めて撮影してみると、どこか空気が違う。それは私だけの感じ方かもしれないが、パンデミック化社会の気だるい空気だろう。
別の言い方をすると論拠なき空気といったらよいか。科学的論拠を自ら検証することなく、社会全体が政府やメディアの報道を妄信的に信じ込んでいるといったらよいか。文科系社会固有の空気や現象だろう。言われるままに感染対策と称して様々な規制をかけてくる。「お前、自分達で検証したのかよ!!」と口を滑らせたくなる気分だ。
例えば車でいえば、精々チューナップして性能を引き上げたり・・、といった行為は文科系社会的現象。というのも、その程度の改造なら工学知識は不要だから。工学系だったら、治具を駆使し車そのものを作り替えてしまうだろう。
そんな風に考えてゆくと、少しは確率統計ぐらい自分達で算出して、安心度指数でも表示すればよい。そうした科学的根拠がなく、料理メニューは限られている、マスクしろ、喫煙コーナーは取りやめた・・・、なにかとうるさいだけでサービスが悪く、当然料理の味もまずくなる。工学系人間の立場としては、妄信的集団にとやかく言われることは、うざったいのだ。
やがて新幹線は遠方に御嶽山が見えてきた。噴火していた頃は白煙が空に真っ直ぐ上がっていた事を思いだしていた。
東海道新幹線 京都-名古屋
SONYα6600、E18-135mm/F3.5-5.6
1)ISO1600, 焦点距離200mm,露出補正-0.3,f/5.6,1/1250
2)ISO640, 焦点距離88mm,露出補正-0.3,f/5.6,1/1250
3)ISO400, 焦点距離200mm,露出補正-0.3,f/5.6,1/1250