神野山鍋倉渓。
幅10m、長さ500mにわたって、角閃斑レイ岩という黒くて堅い大小の岩石が帯状に続いている。岩の下には絶えず地下水が流れており、せせらぎの音を聞くことができる。



重量600t、直径7mの球体をした大岩。
山添の地が未だアジア大陸東縁部にあったおよそ1億年前に地下深く(10~20㎞)で
マグマが固まった“花崗岩”。



同志社大学構内の南丘陵傾斜地にある、新宗谷中世館(しそがたにちゅうせいのやかた)に入りこんで行ってきました。5年前に恐る恐る探検気分で行きましたが、やはり、一人で行くのは、気味が悪く、昼間でも、太陽の光だけが頼りです。それでも、本日は、何かをはっけんする意欲が勝(まさ)っていたようで、道なき道を進み、土塁のようなものに登ったりや穴・溝に足を取られたり、少年時代に友達とチャンバラごっこなどで山を駆け巡ったことを思い出していました。ここは、15~16世紀、土地の人々の生命と財産を守るために、地侍が住んだ、そうです、応仁の乱や山城國一揆の時代にこの地を守った地侍たちの館です。しかし、当時の暮らしで使用した出土品等の調査分析は完了しており、今ではその欠けらもありませんでした。時代が進み変わり、その場所でどんなことが起こり、暮らしていた人々がどう対応したのかをいつまでも忘れてはいけないと改めて思いました。とともに、何かをはっけんしたくて、また道なき道を辿ってみようと思っています。
同志社大学に行って、用事が終わり、南門の近くを通ると、学生さんらしき連中が、何かを組み立てていました。興味深く、尋ねてみると、コウモリの発する超音波をキャッチするマイクロホンセットを組み立てているところでした。すかさず、以前、大学で、生命科学的なお話を聴き興味を持ったことを思い出しました。目を使わずに、口や鼻からの超音波を発したエコーで即座に分析、障害物等の動静をキャッチしたり、距離や飛行速度により発する音や周波数の強弱をコントロールし、エコーの音を一定にすることも可能で、人間様には到底できない真逆の発想があるようです。頭脳で柔軟に分析判断行動するよりも、緻密で超高速な情報処理能力を保有する生物の方がはるかに優れていると思いますが、新たな創造物(仕組み、決め事、製作物など)ということでは、人類のほうが断然、先を行っています。しかし、成果や成功に繋がる新たな創造が出来なくなっては、人類としての役割を果たしているとは言えないのではないでしょうか。昨今の世の中をみても、そんなことを感じることが多いものです。
なお、この実験計測地は、世界的な場所ということです。
京田辺の新たな魅力を見つけました。
京田辺にあった木津川の渡し場に行ってきました。家康の伊賀越えで逃走した木津川、草内と飯岡の渡しは、十数回行ってますが、その他は、初めてです。その渡し場で多くの人間ドラマがあったと思うと、また新たなまちの魅力となるものです。徐々に調べながら、伝承ものも含めて現在に蘇えらせたく思っています。ただ一つ、藤木の渡し場が見つけられませんでした。残念。
お隣の精華町『ふるさと案内人の会』が主催するウォーキングに参加してきました。昨年から交流を続けている方々がこの真夏に京田辺に来られるというので、ちょっと、顔出しと思って行ったのですが、知り合いの方も数人参加され、話が弾み、最後まで一緒に巡りました。
江戸前期に西国巡礼にならって、ある僧侶(相楽郡綺田村東光寺の如範)が南山城内の三十三の霊場を選び御詠歌を作って人々に勧めたというものでした。三十三所の札所は、加茂町 5、木津町 5、精華町 7、田辺町 7、井手町 3、山城町 6、一巡すると42kmとのこと。この巡礼は、少し調べたり、訪れたりするとなかなか面白いものになるかもしれません。