NHK朝の連続ドラマ「舞い上がれ」が徐々に盛り上がってきました。幼馴染の舞ちゃんが短歌が作れない貴司君と2階の窓を通して、優しく語り合う場面は、なぜかきゅんときました。ドラマが終わった後すぐに、俵万智さんが、「七夕の夜に言葉を交わせども織姫よりも君は遠くて」「それ以上近づけないはと傷つかない「ありがとう」とは便利な言葉」いやなことばかりの今日この頃、心優しく他人と接することでお互いの幸せがやってくることをまた教えていただきました。
東大阪の町工場が舞台のNHK朝の連続ドラマ「舞い上がれ」がやっと盛り上がってきた。父親が急死し、母娘で残された工場を立て直したところ、投資家で成功していた兄が、インサイダー取引で、ボロボロになって、家に帰ってきた。なんとか、立ち直るのではないかと予想するが、この家族には、周りにあたたかく協力応援してくれる従業員、近所の方々、昔からの友人、遠くに親戚がいる。人は、自分一人では生きていけない。心が通じた人々が必要であり、人生において築きあげる重要なものかもしれない。
NHK連ドラ「舞いあがれ」を毎日見ているが、脚本ストーリーと若者出演者の演技の貧弱さに唖然としてしまう。話の展開における雑さには、ついていけず、「これはおかしい」と発してしまう。社会や人の心について、もっときめ細かく表現してもらいたいものだ。それに反して、BSで過去の連ドラ「本日も晴天なり」を見ているが、昭和時代の日本の良さがよく表れて、大小の争いごとに日々明け暮れる今日の暮らしが人間としてお粗末に見える。その心は、接触するお相手のことをよ~く考えて行動しているからだと思う。それは、家のお年寄り・夫婦・兄弟・子供たち、そして近所の方々から学ぶものがたくさんあり、それがおのずと身についていっているから。ということである。出演者の皆さんの礼儀作法、言葉使い、マナー、…、これこそ、後世に伝えていかねばならない。
NHK連ドラ「舞いあがれ」を毎日見ているが、脚本ストーリーと若者出演者の演技の貧弱さに唖然としてしまう。話の展開における雑さには、ついていけず、「これはおかしい」と発してしまう。社会や人の心について、もっときめ細かく表現してもらいたいものだ。それに反して、BSで過去の連ドラ「本日も晴天なり」を見ているが、昭和時代の日本の良さがよく表れて、大小の争いごとに日々明け暮れる今日の暮らしが人間としてお粗末に見える。その心は、接触するお相手のことをよ~く考えて行動しているからだと思う。それは、家のお年寄り・夫婦・兄弟・子供たち、そして近所の方々から学ぶものがたくさんあり、それがおのずと身についていっているから。ということである。出演者の皆さんの礼儀作法、言葉使い、マナー、…、これこそ、後世に伝えていかねばならない。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のストーリーの不連続性、義時の人間性に嫌気がさす。暗いこの時代に殺人が安易に行われ、さも正常のようにふるまわれる光景が頻繁に出てくる。もう見ないでおこうかと思う。
NHK朝の連ドラ「カムカムエブリバディ」が終わった。最後まで、ハラハラドキドキの連続で、多少イライラもしたが、すべてうまくいってくれて良かったという感想。三世代100年に渡れば、ドラマ脚色もあるが、色々と人のつながりが濃く出てくるというもの。安子とるいが抱き合うシーンは、自分の事以上に大変嬉しく思った。人の判断はそれぞれの性格や感情が入るから、情報量や質が異なるから、中々本当のことが伝わらない。そういう時に、友や肉親などの信頼できる人が中に入るとうまくいくことも往々にしてある。るいの友きぬちゃん、一子さん、ジョーの友達トミー北沢、苦難、挫折気味の主人公らを救ってくれた沢山の人々、思い起こすと、またまた、素晴らしい周囲の人たちが本当に盛り立てたドラマであった。今日は、朝から3回も見てしまった。
NHK朝ドラ『カムカムエブリバディ』の竹村クリーニング店のご夫婦が予想通り大人気である。こわもて役が多い村田雄浩さんが優しい浪花のおとうちゃんで、近所の知り合いとよく似ていて、登場するごとに、笑ってしまう。そして、関西で有名なおかあちゃん役の濱田マリさんは顔つき表情が何とも言えない妖怪さん。二人の日常会話が漫才に聞こえるから、関西人は得するようだ。映画のポスターを持っていた笑瓶さんが「邪魔するで」「邪魔せんといて」と答えた濱田さん、「はよ帰って」という村田さんの演技が脳裡に刻み込まれてしまっている。こんなんで、関西人は家庭円満、助け合いのご近所付き合いだったのになあ。世の中こんな風景もなくなってしまった。
NHK朝の連続ドラマ『カムカムエブリバディ』も、安子編からるい編となり暗黒から光が見えだし、昭和三十年代の日本全体が日本人が成長していくさまや今では使われなくなった言葉、方言が登場してきて、中々興味深い。現代と比べると、衣食住をはじめとするすべてに足らずだが、そのことがその時代の日本人の心をつくり、成長させたと思える。何かが不足していたら、それを補うこころの大切さにあらためて気づく。お互いに助け合うことが当たり前の昭和時代は、多少なりとも不足を感じることから出発しているのだと思う。そして、不足分や不都合さをお金で対処しようというお金至上主義が今の世の中をおかしくさせているとも言えるのではないか。
NHK連続テレビ小説「Come come everybody」は、主人公が夫を亡くし、嫁ぎ先を出され、幼子を連れて、生きる姿にほろりとくる。そういう中、飴売りの仕事を終え、各家庭から流れる「Come come everybody」が勇気を与える。当方にとっても、この曲は、小学生時代の給食時間に流れていたように思う。早速、歌詞を調べて歌おうとするが、英語の発音や区切りがわからず、曲についていけない。苦笑の連続でした。
NHK朝の連続ドラマ「カムカムエヴリバディ」とともに、「マー姉ちゃん」(再放送)も見てすっかり、連ドラファンになりつつある。どちらもセリフの言葉がきれいで、丁寧。そして、日本本来の礼儀作法やマナーが実に見事にドラマの中で現れる。今やほとんど使われなくなった、敬語、ことわざ、お辞儀、正座、等々。そういうところから、他人に対する優しさやいたわり・慈しみなどが形成されるのではないかと思って、毎日楽しみにしている。現代の人々こそ学ばなければならないことの一つである。