『中世における自由・平等・平和』についてという自分にとっては、難問でした。
■ヘーゲルは「人間の自由は、生命・身体・財産を自由な意志によって処分する権利を持つことであると規定し、この所有という自由の具現化された姿が、家族であり、さらに成長して、市民社会、国家などを形成する」と説いた。
しかし、中世には現代の私たちの社会にあるような自由はなく、強い人のものであり、弱い人にとっては、自由はなく不要なものであった。視点を変えれば、中世は自由が成長し進展していく過程である。
■人間にとって、必要なのは、自由よりも平和である。
●例えば、人口の増加について考えてみると、関ヶ原の戦い(中世終了)以前の1000年間は、平均100年で60万人の人口増加に対して、その後の江戸開府後100年間では、平和な世の中となり、約2倍の1300万人の人口が増えている。人口からみた場合、平和の重みの方が歴史を動かすことである。そういう点から、中世の自由については、あまり考えなくても良いかもしれない。
■鎌倉時代は、荘園制で、土地の所有権が未成熟であやふやである。豊臣秀吉時代になって自分の土地やものを支配する形ができ、公権力が強力になると、所有概念はより成熟していく。その過程こそが中世の時代の推移といえる。
■法然が現れ、南無阿弥陀仏を唱えれば、誰しも極楽に行けると聞き信じた熊谷直実は、九条兼実に呼ばれた法然との会談の内容が聞けないことを悔しく思い、人は本来は平等であるのだと叫ぶのだが、このことは実際には平等でない中世の時代を象徴していることである。
■まとめると、『中世における自由・平等』というものは、未成熟で不安定な時代であり、それ以降成長進展していく過程の時代であったといえる。その中世を経て江戸初期の平和がやってくるのである。
■ヘーゲルは「人間の自由は、生命・身体・財産を自由な意志によって処分する権利を持つことであると規定し、この所有という自由の具現化された姿が、家族であり、さらに成長して、市民社会、国家などを形成する」と説いた。
しかし、中世には現代の私たちの社会にあるような自由はなく、強い人のものであり、弱い人にとっては、自由はなく不要なものであった。視点を変えれば、中世は自由が成長し進展していく過程である。
■人間にとって、必要なのは、自由よりも平和である。
●例えば、人口の増加について考えてみると、関ヶ原の戦い(中世終了)以前の1000年間は、平均100年で60万人の人口増加に対して、その後の江戸開府後100年間では、平和な世の中となり、約2倍の1300万人の人口が増えている。人口からみた場合、平和の重みの方が歴史を動かすことである。そういう点から、中世の自由については、あまり考えなくても良いかもしれない。
■鎌倉時代は、荘園制で、土地の所有権が未成熟であやふやである。豊臣秀吉時代になって自分の土地やものを支配する形ができ、公権力が強力になると、所有概念はより成熟していく。その過程こそが中世の時代の推移といえる。
■法然が現れ、南無阿弥陀仏を唱えれば、誰しも極楽に行けると聞き信じた熊谷直実は、九条兼実に呼ばれた法然との会談の内容が聞けないことを悔しく思い、人は本来は平等であるのだと叫ぶのだが、このことは実際には平等でない中世の時代を象徴していることである。
■まとめると、『中世における自由・平等』というものは、未成熟で不安定な時代であり、それ以降成長進展していく過程の時代であったといえる。その中世を経て江戸初期の平和がやってくるのである。
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