遊びせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子供の声聞けば わが身さえこそ動がるれ
平安末期,後白河法皇の編んだ梁塵秘抄の歌の一つ。
この歌にある知恵は民族を超えた人間の知恵であり、教育以前の教えであり、法律以前の自然法、草花に水や太陽が必要なのと同じ自然の法則のようなものだろう。
だから軽んずるとバチが当たるような性質のもの。皆やっているから、目の前がどうしても気になるからと言って、法を無視していいはずがない。しかし今の時代はすでにそのような時代に変わってしまった。因果応報的な天罰らしきものもあふれているが、因果には目が行かない。みんながやっているから、気がつかないのだろう。上から下まで、巷でも、その心を当然とした教育や子育ての声を聞かなくなって久しい。科学を旨とするなら、他の生物を見るといい。これ(遊びに該当するもの)が無視された生物を見つけることができるだろうか。私は人間以外に見つけることがきない。そんなにはっきりしていることなのに。我々は、バチがどこに落ちても不思議でない危険な状態の中で、生活している。(「暮らしてる」の言葉は似合わない)
追記   私が子供のころは親も先生も〈よく学びよく遊べ)は常識のようだった。私は教師として子供との付き合いからこの諺は(よく遊びよく学べ)ではないかと迷った。
ある年寄りに聞いたらそのおばーさん「あの時代(多分明治以降を指すのだろう)
だから(よく学びよく遊べ)です。「自信があります」とまで念を押された。
多分その老人の言うとおりだろう。明治の学制で以前のいわれが変わったのかもしれない。それでもしっかり遊びは保障されていた。今は、「遊び」は残っていない。お金が水や太陽の代わりができないことは子供だって分ることなのに。勿論ここで「遊び」がテレビやゲーム・スポーツクラブやお稽古事を指していないことは当然です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

早く報道したほうがいい経済の変調

アメリカを中心に世界の市場が変調をきたしてる。インフレ懸念と対策の金利上昇を懸念してのことだ。調整とか思惑ならばさほど心配はないが、はっきりした原因がある。日本は今なお、政府も経済の専門家も日本経済は底堅い成長下にあり心配要らないと伝えている。
市場は経済の先行きの現れであり、日本が「景気がいい」の材料に企業の設備投資や資本の海外投資にあったことは事実だ。企業の資金が逃げていくのだから、設備投資どころか企業の新たな不良債権が発生し投資したお金はマイナスになるはず。結局は、資本的に弱いところ(大半の個人や中小企業)は好景気には全く浴さず、次の「不景気」が正式にやってくることになるが、市場の変調は経済の変調へ進むのは必然だから早めに報道しないと、犠牲者が増えるばかりだ。確かに市場経済は不安が不安を呼ぶから「不景気」は禁句かもしれない。(自殺や子供のゆがみの実態がきちんと報道されないのもそういうことだろう。)
しかし、津波やはやりの病気は一刻も早い正確な情報が、被害の決め手になる。経済の社会や人々への影響を考えると、今のように放って置いていいのかと心配になる。〈鍋蛙)や(ユデ蛸)等と言っては済まされメー。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

やっぱり加熱・偏重報道

昨夜は家族とワールドカップを観戦した。結果は残念だったけど、よくやったと思う。あまり良くは分らないが、釜本選手が活躍した時代はよくテレビを見たが、今は全体にずいぶん技術が向上していると思った。昔はやっぱり足で操作するんだからボールがどっちに転がるか分らんよ見たいなところがあったが、パスや連係プレーのが格段に正確だ。ところで、メディアにさわやかな報道をと願っていたら、テレビは今までの国際試合より落ち着いて見られ良かった。残念だったのは(朝日新聞だけど)翌日の朝刊や夕刊で、ジーコ監督の采配を非難してる。(しかもオーストラリアの監督と比較して)私は不愉快だった。一生懸命戦った翌日だ。しかも、外人に4年間もお世話になり、ドイツに行けたのに。これが日本の礼儀か。日本人として恥ずかしい気分だ。契約のお金を払っていても、応援してもらったことには違いない。
こんなバランスを欠いた過熱報道のせいだろう、山梨県のある飲み屋では、まけたのに、笑っていると言って若いお客がそのお客をぶん殴ったそうだ。
いまどきスポーツ精神なんてどうでもいいのだろうか.節度あるフエァな報道と応援がスポーツには似合うのではないか。
経済変調のシグナルは政治もメディアもとりあげなくていいのか。既にかなりの人や企業は大きな影響を受けているはず。必要な情報が提供されないとはこういう事。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ワールドカップ情報

テレビも新聞もワールドカップ一色。私も今日のオーストラリア戦を楽しみにしている。世界的なお祭りでそれはそれでいいのだが、世の中にはこれに乗り切れない人々も結構いるのではないか。今日も,100人近くが自ら命を断ち、120人が不慮の死を遂げている。病に伏しているいる人やその家族。スポーツに限っても、それどころじゃないない人たちも多いだろう。要するにお祭り騒ぎはいいのだけど、情報の全体的なバランスは維持してほしい。そうしないと、安心してワールドカップも楽しめない。この1ヶ月も人々は生活し、社会は政治も経済も生きていて休んではいない。この間に何が起きているか。ワールドカップのない平時でも、必要な情報が提供されていないと痛感しいるので、今の(出来上がり具合)は極まっている感じだ。出る選手も応援する人たちも情報機関も
「まず、落ち着け!」と言いたい。そうしないと勝てるものも勝てない。勝負事は

燃えるのと熱くなるのは紙一重だが決して熱くなってはならない。報道にも爽やかさを求めたい。この機会に各国の日本への高感度もみられたらいい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アクセス数が変!?

このブログをはじめて1年を越える。アクセス数を楽しみにしてみているが、気持ちの悪いことがある。初めて以来、1日、平均30件は閲覧されてきた。この2~3ヶ月は60を越えていた。特に土・日は多い。ところが
昨日・一昨日は続けて5・6件です。急に10分の1以下でした。
実は今までも2~3回変なことがあっって、それは逆に、ブログを更新してもいないのに、突如100を越えたり時には200近くになったのです。思い過ごしかもしれませんが、例のように社会批判が多いブログなのでつい変なことをかんぐってしまいます。家族や友達も「注意したほうがいい」と心配してくれます。調べてみたいと思ってはいますが、何か思い当たることがあったら教えてください。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

何が起きてるか分らない社会

自分の経験から個人や社会のリスク管理の難しさを前のブログで書いた。
さらに考えると、個人でも社会でもリスク管理ができなければ、先の予測が難しい。
それは個人では株も生活も健康も同じだ。社会に広げると、どこで何が起きているかが分らない社会になることを意味する。確かに通信やマスメディアは発達し情報社会と言われるが、意外な出来事は昔(パソコンどころかテレビや電話もろくさっぱない子供のころ)より増えていないか。
この社会で起きてることが以前より見えにくく先の予測しがたい。思いと事実が一致せず意外な出来事に遭遇しやすい社会になってしまった。教育や子供にとって一番困る環境だ。(念のため記しておくが、私は宵越しの株は原則持たないことにしている。)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「景気は底堅い回復基調」の実際

昨年8月、政府は景気の踊り場脱出宣言をし総選挙に入り大勝した。地方も中小企業もサラリーマンも次第に良くなるとの談話を政府も経済の専門家と言われる人たちも口をそろえて言った。わたしは昨年末にも下方修正されるだろうとこのブログで述べた。株の世界では東証平均18000円説もあちこちで聞かれたが、「景気がいい」とは多くの庶民の立場で言う言葉だと考えているから、かなり確信を持ってその欺瞞を突いた。(誰かが儲けたのと世の中の景気がいいでは日本語の意味が違う)政府や経済の専門家は今日の時点でも「景気は底堅い回復基調、次第に末端まで行き渡る」と公然と述べ
下降線に入ったとは誰も述べない。しかし意外に早い時期に唐突に、政府や専門家と言われる人も、経済の変調を述べざるをえないだろう。既にアメリカを中心に世界は不景気に転じたと私は考えている。デフレ脱出を願いインフレへ誘導してきた政府は、インフレ対策に、再びバタバタする日が来るだろう。
きょうは6月7日(水曜日)おそらく「景気」のターニングポイントになる日だと思う。マネーゲームのおかげで分った。注意深く責任者や専門家の言葉に耳をを傾けるが、しばらくはその言い訳がましい言葉を聞くことになるだろう。その言い訳が見ものだ。すでに自明であったこと(原油・金利・アメリカ経済)
を新しい変化であるがごときに言うだろう。
追記(責任者や学者の実態把握の資料になると考えて)
①これを書いている頃、小泉首相は「日本の実体経済の動きは底堅く、回復軌道に乗っていると言うことは変わらない」と言う報告を受けたと談話。(報告者が責任担当の大臣ならば、学者大臣の竹中氏になる。)
②翌日(6月8日)の新聞で、政府の経済政策に批判的だった早大教授の榊原英資氏は
 「既に日本の経済は構造的に回復している」と銀行の資産運用の広告に言葉を寄せている。(この人もかつては、財務省の役人、「ミスター円」の異名を取っていた。)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

リスク管理の難しい人間

2月から株で約10万円損した。原因は自分のリスク管理が甘かったの一語につきる。(リスク管理:リスクの規模や原因を把握し、コントロールするの意)
自分なりにリスク管理の方法は決めているが、実際にやるのは難しい。なぜなら欲が絡む。
目を周りに転じると、世の中、政治も経済も教育も文化も上から下まで総じて私同様、リスク管理に無関心あるいは甘くリスク管理が機能していないように見える。
地球の環境破壊は、誰でも知っていることだが、身の回りの出来事にも甘さ以上の無関心さを感じる。専門家の経済や少子化予測の外れはもとより、耐震偽装、粉飾決算、盗作、教育分野では学力低下、不登校、発達障害、それどころでなく連日報道されている村上ファンドや秋田の事件も、一言で言えばリスク管理の発想を欠いた結果の話だ。さらにそれに輪をかけたリスク管理の発想のない報道の洪水。だから後を断たないのは当たり前。例えば秋田の事件だが、誰が考えてもあの主婦の心(行動を起こした心)は壊れている。
それは確かだが、どこでどのように壊れたのか壊されたのか、全くと言っていいほど報道されないし専門家と言われる人たちもその視点を持たない。(いじめ ぐらいの概括的な把握ではとても原因把握とは言えない。)あのような事件をなくそうとすれば、
彼女の心を壊したものや背景を具体的に明らかにしそこから教訓を得るほかにない。
今までも驚くような事件の報道も今回と同じようにうわべばかりが目立つ安い週刊誌並みの扱いだった。専門家も報道機関も全くリスク管理の発想がない。
話は跳ぶが、私の父は小学校もろくに出ていない田舎の所謂(昔の人)だ。
戦後の大変なとき6人の子供を育てた。ひどく貧乏だったが、正直だが頑固者の
親父は決して(つけ)で物を買わなかった。山師も大嫌いで軽蔑していた。つけるとつけが回ってくることをよく知っていたのだろう。息子が金貸しや、私のように株に手を出してるのを死んだ親父はどう見てるか分らないが、今考えると、親父のリスク管理の感覚と実行力はたいしたものだ。
大げさだがあの感覚を持った大統領や総理大臣・新聞社の編集長でもいれば世の中、今より良くなっているだろうと思う。政治家でも子供でもボケ老人でもいい、つけ(リスク)を心配する人と話をしたい。
ハイリスク・ハイリターンというように、遊びでない現実問題は、リスクを前提にハイリターンを考えるべきだ。
世界はワールドカップで賑わっている。それはそれでいいのだが、リスクがあるのかないのか、一度は考えてみたい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

いい先生の見分け方

(自分のことは棚に上げ)長い教員生活の中でいい先生の見分け方は簡単で、(子供が先生を追う)かどうかをみればいい。
休み時間やちょっとした立ち話の様子を見て、子供が先生を追っかけている素振りがある場合はほとんど例外ないぐらいいい先生で裏切られることはなかった。むしろ管理職や同僚や父母の評価のほうが事実と異なり期待を裏切られることが多かった。子供は教師を追って、勉強外の話題やのこちらの過去や現在の個人的なことに関心を向け、場合によっては、自宅を訪ねてくる。教育の大切なものがその行動の中にあるのだろう。大人より子供のほうが厳しい。校長先生や教頭先生はかつての担任時代でも、子供に追われる先生はほとんど見た事がない。(管理職になって人気取りで自分を逃げ場にしている人も見かけるが子供が追っかけているのとは違う。見れば分る。)多くの学校長の教育者としての個人的な資質は教師の平均値を下回わっていたと思う。いい教師はほとんど本能的に、大人の論理より子供の論理を望み優先する。それを変えるのは宗旨替えや転向より難しいだろう。価値観が皮膚感覚になっているから。学校長の最高責任者論の形式と実際の区別をつけないから、今学校は偉いことになっている。子どもが大人を見るような厳しい目を大人も持つことが求められている。
要するに、教えるよりまず学べ、しゃべるよりまずより聞けだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アメリカの懐の深さ

アメリカに長く行っていた日本が人「アメリカは懐が深い」と言うのを何人かの人に聞いたことがある。
今日向こうのテレビ製作の番組紹介でクリントン時代のゴア元副大統領を取り上げて1時間近く放映していた。
彼は、温暖化による地球の危機をまじめに訴えていた。「ここ10年以内にアメリカが、このことを真正面から取り上げないと、地球は取り返しのつかないことになるだろう」とその一点を資料をもとに訴えていた。「大統領になっては?」と記者が水を向けると
その気は全くないらしく「政治は懐かしいが自分には合わない。人類最大の課題になるための仕事が必要。自分は地球環境について映画や著述に励むことだ。」
ゴア氏は前々回の大統領選挙で票数は現大統領を上回ったそうだ。
京都議定書(京都の環境サミットにはゴア氏は周囲の反対を押し切った参加したそうだ。アメリカは批准しなかったが彼は議定書を高く評価していた)を批准せず、イラク戦争を開始した時点でブッシュの支持率は確か80パーセントを超えていた。一方(大統領選挙当時はどうかわ分らないが)今は実績とともに「地球の危機を救え」と言うゴア氏に民主党内でもかなり期待が寄せられているようだった。これがアメリカの懐の深さかと、改めて感心した。ゴア氏でなくてもいいから、選挙戦略でなく本気で地球の危機を考える人がアメリカ大統領になってくれればいいいと思う。アメリカには期待される人がいるだけでも羨ましい。
日本では構造改革や格差や靖国等国内のことが云々されても、地球の危機を口にする人はいないし、時に言葉の端に出す人がいても政策の飾りにしかなっていない。2周遅れの感じがする。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »