(現在)を俯瞰する

今自分のいる場所から視点を離して
 1、地球からはなれ地球全体を見る。 
 2、時間を未来へずらして現在を見る。
 3、時間を過去へ戻して現在を見る。
   1,2,3.を総合して位置を決める。
 これを応用して、分野・価値・物・人など視点を変えて対象物を見る。
  定式化してみたが、先ずはあれこれを練習して見よう。一日、一枚は書いていると死ぬ頃は結構面白いのができるのではないか、と(思ってる奴がいる。)
 
   
 
 
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理念のチェンジ

今の世界の国々は資本主義であろうと社会主義であろうと、社会民主主義であろう
 地球と人間の関係上は人間優先の理念であり、地球環境について行けず、環境不適応状態にあるから、何とかしなくてはならない。
 平和、民主主義、人権、自由、などのこれまで使われてきた理念を地球をベースにしたものに発展させなくては解決しない。
 そのトライがまだまだ少ない。
 (共生・共同・循環)は理念を拡大する試みだが、まだ人間を中心にして使われてる。はっきり、(地球あっての人間)でありその逆ではないことを認識した方が良い。
理念のチェンジが求められているが、その兆しを追ってみたい。
人の意識と体も同様で体のベース抜いた意識だけでは行き詰まる。
ここでは【体と相談】と言うことになる。
 
 
 
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(今は昔)の逆

(昔は今)の反対に(未来は今)の形にして、戦後、1945年頃から2009年頃を見てみたい。
 家族と防空壕に逃げ込んだり、ランプで火事を引き起こしそうになったり、近所の人とラジオのある家へ玉音放送を聞ききに走ったり、3度の飯《お米》は食べられなかったが、家族や近状の人も同じようだっから、何にも心配していない。
 親父は出勤前、ゲートルを巻き、きざみタバコを巻きタバコに作り変え革靴を磨いて出勤する。皆が戦後の混乱とか食糧不足とか言うが、「国敗れて山河あり」で未来の平和と豊かな生活を疑うものはいなかった。将来は不安どころか、大人も子供も夢と希望に溢れ、平和で豊かな時代が「2009年頃」とは誰一人想像できなかった。
 勉強して、安定した収入を得て2階建ての家に住み、部屋にめぐらした棚に色んなお菓子と楽器を並べた白昼夢。
 世の中が【いつか来た道】を感じるようになっても、進学する人が増え知的な人が増えるから「もっと良くなる」と疑わない。
東洋へ東京へと人は移動し、大家族は核家族化していったが、「これが自立」で、1人前になることだと考えた。
 そんな夢の中で、旅行とアマゾンの探検、刑事、、スクーター、ラーメン屋、学者、あの人に会いたい、結婚したいと次々夢をふくらませた。
 教員になってからは(目の前の子供達とその将来を保障する日本の教育を良くしたい。)と思わぬ日はなかった。
 気が付いてみるとどこから出てきたのか2009年頃の将来図が目の前にぶらさがっていた。
 【そんなバカな】誰も望んでいない、誰一人望んでいない夢や希望と反対の絵
 になるはずがない。そんな絵になることを信じる人はだれ一人いない。
確かに、1960年代オリンピック、ベトナム戦争、月面着陸1970年代のオイルショックなどひしひしと夢が崩れ、夢とは反対方向に歩き出しているのは感じていたから、必死で止めようとした。
 2009年頃の将来図はより近くに迫る。
 戦後のように国敗れてまでは似ているが今度は山河も見えない。
 見間違えるほど、傷痍した子供や大人が溢れてる。
 学校や食べるものはあるが、夢や希望が人の目から消え、気張った声ばかりが聞こえる。でもこれは昼夢で見た悪い夢。
 そんな悪い未来にならないように考え直さなくちゃ。これでは考えが甘いかもしれない。
 そういえば、あの悪い夢は人間を中心に考えてきたからかもしれない。月へ行った時見たけれど、人間は地球の上で生きている。地球無にはには生きられない。
 なのに、人間中心だから変な夢を見てしまった。今度は地球中心に考えてみよう。
そう思っただけで、2009年の未来図は変わり、前にはなかった明るく光がさして生き生きしてきた。変なもんだ。
そうすると。 
市民革命からリンーカーンの【人民の‥】に至る民主主義や基本的人権は対人間のの関係であって、地球全体をカバーせず人中心の部分的なルールでしかない。
 だから失敗図が浮かんだんだろう。
 アポロで地球上の人間を確認したのだから、手遅れならないように、世界憲法の第1条に【人間は地球と共にある(地球と共生でもいい)】と書いて実行しなくてはいけない。
 そうしなと、世界は2009年頃。間違いが重なり、大変な事になる。
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雑踏


人混みを(雑踏)と言うが分った気がした。
 踵(かかと)は人間の身体感覚の中心、コマの軸の下の先端のような所だと感じる事がある。
 何時もとは行かないが心身の状態のいい時にそう感じるから、本来的な感覚ではないかと思う。
 体感として脳や神経以上の働きをしているのではないだろうか。
 仏教の中に≪真人、踵を以って思惟す》の考え方があるが、本来的には人間の普遍的なものかもしれない。
 昔の人が一人一人で出来た群れの目を向けた所に大事な意味があるのではないかと、鳥の声を聞きながら頭に浮かんだ。
 授業中、≪足!≫≪かかと!≫と唯一の注意のように言い続けたが、あれで良かったのカもしれない。

 
 
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歌を忘れたカナリヤ

ふと、子供の頃よく聞いたこの歌を思い出した。続いて
 
  2009年頃、人類は(【学び】を忘れたヒトビトは~)だったのかなーと頭に浮かんだ。
 学校は【教育】するばかりで子供から【学び】を奪っていた。やわっこい子供は学校へ行けなくなったり、落ち着いていられなく、中には心を壊されたりした。
 子供だけではない。そこには学びを忘れた大人たちが取り巻いていた。
 人は誰から学ぶ?
 人ではない。
 芸術も科学も、歴史も未来も自然が最高の先生だと思う。
 地球上に棲みながら人間の(先生)から学ぼうとしたからおかしい事になった。
 (先生)の先生は自然であり主は地球ではないか。
 2009年頃、競うように盗掘をやって稼ぎ学びを忘れ主に叱られ諭され歴史は進んで、今日がある。
 2009年頃のドジは小さく小さく今にも灰になって消え入りそうだった。
 当のドジは承知しながら、踵を抱え小鳥の声を聞いたり、午後は囲碁とライブ音楽,夜は親友との一杯
を楽しみにしていた。
 一つに感じるって、いいなー。
  
 
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【強烈な努力】

これは藤沢秀行名誉棋聖が遺言のように病院のベッドで書き残した最後の言葉である。
藤沢秀行が有名である事ぐらいしか知らないし、【努力】の言葉もあまり好きではないのに【最後の努力】と書き間違えるほど印象に残った。
恐らく地球や己とも相俟って【最後の強烈な努力】として映像化したのかもしれない。
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積極的な対応を

今日の午後、不登校の事で講師として招かれた心理士のお話を聞いてきた。本を出されるなど著名な人らしい。
 流石長い経験をお持ちのようで、子供の心の内や、学校のことなど本当に詳しくお話され内容も殆ど私の経験と一致していた。子供や親御さんにとっても心強い相談相手になるだろうと好感をもって話が聞けた。
 不登校と発達障害の関連もご承知のようだった。
 経過や背景などもお詳しいようだったので、(文化・教育が産業や社会の転換を促す。)と言う積極的な立場に立った話も聞いても見たかったが、場違いな感じがしないでもないので敢えて質問しなかった。
 これまで、これらの問題に対して社会的に消極的とも取れる動きを感じてきた。
 居場所作りや子供への対応は良いとして、背景や原因をもう一歩突み、それに対する対応も視野の奥に入れていた方がいいのではないか?
 プラス面としてその方が子供には力強い。
 マイナス面と言うか難しい問題もある。
 とかく政治的な批判として受け取られ、場合によっては仕事など、自分の立場を損ないかねない。
 表現方法や行動の仕方が難しいいが、全体を俯瞰し、その壁を乗り越えないと、本当の意味では解決しないと思う。今のように対象児が増加する一方になる。
当事者や、その相談相手にそれを求めるのは難しいだろうが、社会的には何時かはその一線を越えなければならないと考えてきたが糸口も見出せないでいる。
 積極的といっても、文科省の対応は、発想が逆で、数字に表れているように増加させるだけだが、行政批判が難しいようだから、己も含めた文化批判が一つの方法だと思う。

 
 
 
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ちょっと思った事

朝、目を醒ましてちょっと思った。
 尊敬する先輩2人が亡くなって10年にもなるが、あの二人はガンと診断され亡くなるまでのほんの数ヵ月、他人の目を避けているように思った。
 自分も避けられているように感じた。
 あんな立派な人がどうして、最後は一人になりたかったのだろう。
 お二人とも突然の診断で、心の準備ができなかったかのかもしれない。
  忙しいと、俯瞰図に自分を入れる余裕がもてないからなー。
 
 
 
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言葉も変わった

あの星の現在とその頃(2009年)の違いは、輝きが違うだけでなく人の仕事や暮らし方が変わったが、よく見ると言葉も変わった。
 例えばその頃使っていた、「開発・発達・成長」等の言葉の意味も全然今とは違っていた。
 その頃は、地球を掘り返して富を得るやり方や進み具合をそう言っていたが、
 それも行き詰まり、大きな犠牲を払って、やっと今のように自分たちのことは自分達でやって、皆が希望の持てるような言葉になった。イヤイヤ、この言葉だけではない使われる全ての言葉が変わった。古語辞典を見ないとよく分らない。
 同じ言葉でも、仲間内の暗号のような言葉から、地球上の人だけでなく全てのものに通ずる言葉にやっと変わった。
 
 まだまだその頃のツケや残骸は残っているようだけど、そんな歴史のお陰で今があるのだから、
 感謝しながら、希望を持って今を楽しまなくちゃ、ご先祖に悪いよ。

 

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2009年頃

今考えると(2009年)頃はは確かに変だった。
 パンデミックと言いながら、戦争の準備をし、
 不景気だと言っては借金してお金を使う。
 種が減少・消滅し、子供の声が遠のいているのに、競って原油を探し買い漁る。
 
 しかし、ちょっと待て!
 世界のリーダーが核軍縮を口にし、
 人の移動や人口の増減の新しい流れもある。
 太陽や水や空気や大地との付き合いが、少しだけど変わってきてはいないか?
 何より、【貴方】の立場で物言える人が増えてはいないか?
 
 新しい芽は、あの頃既に確実に育っていた。
 
 
 
 
 
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