浜松は、引間(ひくま)と呼ばれていたが、1570年に徳川家康が遠江地方を支配する拠点として引間城に入城し、城の大改築を行うとともに、引間を浜松に改めた。これ以降、この土地は「浜松」と呼ばれた。
1586年までの17年間(29歳から45歳まで)、家康は浜松で過ごし、唯一の敗戦「三方ヶ原の合戦」など多くのことを学んだ。
徳川美術館(名古屋市)にあるこの絵は、32歳だった家康が三方ヶ原の合戦で武田信玄に無謀な戦いを挑み、大敗して多くの兵を死亡させ、浜松城に逃げ帰った直後に、肖像画を描かせたもの。文化遺産オンライン
唇を歪め、おびえた自信のない惨めな自分の姿を、家康は生涯大切にし、自分の戒めにした。
普通、いやなことは酒でも飲んで早く忘れて、良かったことや成功したことだけを覚えようとするもの。
その方が精神状態にいいし、それが自己防衛本能だと思う。
自分の失敗姿を忘れないよう記録し、戒めや励みにする…なかなかできることではないですね。
自分もPCの前であごを手で支え、反省しながら、考えていることがあります。
そんな時、画面に、家康の表情に似た自分の姿が映っているのに気づき驚きます。
1586年までの17年間(29歳から45歳まで)、家康は浜松で過ごし、唯一の敗戦「三方ヶ原の合戦」など多くのことを学んだ。
徳川美術館(名古屋市)にあるこの絵は、32歳だった家康が三方ヶ原の合戦で武田信玄に無謀な戦いを挑み、大敗して多くの兵を死亡させ、浜松城に逃げ帰った直後に、肖像画を描かせたもの。文化遺産オンライン
唇を歪め、おびえた自信のない惨めな自分の姿を、家康は生涯大切にし、自分の戒めにした。
普通、いやなことは酒でも飲んで早く忘れて、良かったことや成功したことだけを覚えようとするもの。
その方が精神状態にいいし、それが自己防衛本能だと思う。
自分の失敗姿を忘れないよう記録し、戒めや励みにする…なかなかできることではないですね。
自分もPCの前であごを手で支え、反省しながら、考えていることがあります。
そんな時、画面に、家康の表情に似た自分の姿が映っているのに気づき驚きます。