沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

首里の金城町石畳

2020-07-12 | 琉球・首里城
首里金城町の石畳を歩いています。
琉球王国を50年間治めた尚真王が作った真珠道です。
今年は、アカギが害虫被害が出ていると聞いて、金城町の大アカギが心配になった。

後ろから足音が聞こえて、振り向くと、女の子が駆け下りて来た。
「あぶないよ〜」と声をかけたら、一緒に歩き始めた。

「空に葉っぱがある時は、蜘蛛の巣がある」「ツバメが低く飛んだら雨になる」
自分で調べたことを教えてくれました。

「大アカギはこの辺だったと思うけど、知ってる?」聞いてみました。
「家の近くだから、案内してあげる」

「この先だよ」
大アカギが見えてきました。

遊び場所みたいですね。

樹勢は、立派です。
枯れた葉はありませんが、新緑が今なのかな。枯れた後に新葉が出てきたのかな。

拝所がありました。
「こっちが兄で、こっちが弟」


「あれっ。妹じゃなくて?」
「うん、弟」

鬼餅(ムーチー)伝説は、「鬼になって人を食べる兄を、妹が鉄の塊を入れた餅を食べさせて、驚いたところを金城の崖から落とした」

すぐそばまで、マンション開発が迫っており、樹齢300年以上の大アカギの周辺は、ピンチを迎えているようです。

案内してくれた女の子も心配そうでした。

元の石畳道を下ります。

休憩所ですが、何か行事をしていました。

「このガジュマルは、何歳?」
女の子に聞かれましたが、分かりませんでした。「100年は経ってると思うけど」

「ガジュマルの気根にぶら下がって遊ぶとあぶないよ〜」「案内してくれてありがとうございました」とお礼を言って、女の子と別れました。

焼けた首里城が公開

2019-12-16 | 琉球・首里城
首里城の焼けた跡です。
火災の規制区域が解除されたようです。
京の内(きょうのうち)の1番西側まで行き、書院・鎖之間(しょいん・さすのま)の近くに行けました。

地図と何度も見比べて、書院、奥書院、二階御殿(にーけーうどん)が焼けて、その奥にある美福門の屋根が見えています。
左のコンクリートの建物は黄金御殿(くがにうどん)のようです。


正殿のあったところには、大龍柱が残っています。後ろに見えるのは、女官居室(にょかんきょしつ)と世誇殿(よほこりでん)。



南殿(なんでん)を見ている人たち。
声も無く痛々しいです。



京の内の物見台や西のアザナからは、城下町や慶良間(けらま)諸島も見えて気持ちがいい。


モデルコースも4種類ありました。

朝には修学旅行生もたくさん来ていました。
この子たちが次に沖縄に来る時には、どうか再建されていますように。







首里城WAONカード

2019-11-16 | 琉球・首里城
イオンのレジで驚いた。
表記の首里城WAONカードでの売上の1%をイオンが首里城基金へ寄付するという。
首里城で燃えてしまった美術工芸品の復元資金援助になるね。


イオンといえば、百貨店スーパーの国内売上第1位ダントツの企業。
競争激化で1円でも安い商品を努力するスーパーが、首里城WAONの売上の1%も寄付するって、相当な覚悟。
沖縄への想いが熱い。
凄いね...

寄付しようとする人は、サービスカウンターでご当地WAONを300円で買えます。購入後にお金をチャージしてから、レジで支払うとイオンが売上の1%を首里城基金に寄付してくれる。


通常は売上の0.1%だけど2月末まで10倍にするという。
イオンは全国にたくさんの店舗があるから、影響力がとても大きい。電子マネーのWAONはローソン、ファミマなどコンビニでも使えてチャージもできる。提携店舗も多く全面50万箇所で使える。首里城WAONを購入する人も増えているらしい。

10月に、首里城の売店で首里城WAONで支払った時、レジの人が「首里城WAONですか、ありがとうございます!」とニコッと喜んでくれた顔を思い出す。

あの人は、今どんな思いをしているのだろう。仕事が無くなってしまったのだろうか。








首里城美術工芸品収集復元チャリティーの募集

2019-11-07 | 琉球・首里城
首里城火災で焼失した美術工芸品の復元、収集のためのチャリティー募集が始まった。
正殿二階の国王の専用の椅子や王冠など火災で焼失してしまった400点以上の美術工芸品を復元していくための資金募集。

これまで琉球王国の美術工芸品を収集や復元し首里城で展示した首里城基金には、火災後1週間で560万円の募金が集まりました。募金活動を広めるチャリティーイベントの募集のようです。
11月6日現在 234件 5,626,451円


首里城再建には、建物だけでなく、琉球王国の美術工芸品も欠かせない。

10月31日未明に生じた首里城火災。
正殿から出火。高台ゆえの強風で復元された6つの建物に延焼。
激しく燃え崩れ落ちる姿に、心が痛む。
希望は再建。美しい姿をもう一度見たい。


首里城 全面開園ー平成に始まり平成に終わる

2019-02-11 | 琉球・首里城


1月に御内原(おうちばら)エリアが完成し、全面開園した首里城に行って来ました。
正殿も塗り直して、見事な色彩に仕上がっています。
塗り直す際は、古文書で琉球王国時代の記録を元に、材料や塗り方を専門家と漆職人さんと一緒に検討しているそうです。

御内原エリアの中心施設の世誇殿(よほこりでん)です。王子が国王に即位した儀式が行われた建物だそうです。
御内原は男子禁制でしたので、王子は城外に住んでおり、王女が世誇殿に住んでいました。

湯屋です。
建物は資料がないため復元されていませんが、明治時代の緻密な測量図(横内家資料)を基に、敷地や基盤が復元されています。
湯屋というからには、女官さん達のお風呂場だと思われます。入口は狭く、高い壁に囲まれており、如何にも雰囲気が出ています。

金蔵(かねぐら)の跡です。貴重な金品保管庫です。首里城の東端の建物で、当時の人達でもここまで来る人はほとんどいなかったのでしょう。
なお、似た名前の銭蔵(ぜにくら)も復元されていますが、これは泡盛の保管庫でした。イベントで首里城下の酒蔵の試飲会やってました。すぐ近くの瑞泉酒造に行けば、試飲できますよ。

解説板です。左下の地図が横内家資料で沖縄県首里旧城図です。平成4年の首里城一部開園のニュースが全国に流れ、明治時代に沖縄県庁知事官房文書係だった横内さんが保管していた数々の資料が平成5年に那覇市歴史博物館に寄贈されたものです。非常に緻密な測量図で復元に重要な役割を担っています。

手前の城壁で堅く囲まれた空間は、御内原の最も奥に位置し、寝廟殿(しんびょうでん)という国王が死去した際に遺体を安置した建物がありました。

入り口の石の門が白銀門(はくぎんもん)です。首里城の門は木製の櫓が乗っていますが、ここは石だけです。

東(あがり)のアザナからは、新規に開園したエリアが見渡せます。

東のアザナから、東を展望しました。
中央の遠く、海の向こうに神聖なる久高島が見えます。


1:正殿、南殿、北殿などの行政空間。
2:神女達が信仰や祭祀を行った京の内の祭祀空間。
3:国王家族、女官達が暮らした御内原の生活空間。
この3つが完成して全面開園となりました。

「戦災で焼失した首里城の復元なくして沖縄の戦後はない」と県内経済界を中心とした首里城復元期成会と、沖縄開発庁長官を務めた山中氏や植木氏が国政を動かし、昭和61年に復元事業が閣議決定され、事業が開始しました。

首里城の復元工事の着手は平成元年7月。完成が平成31年1月。平成に始まり、平成に終わりました。


首里城にて

2017-05-09 | 琉球・首里城

首里城正殿は、漆の塗り替えをしています。
漆の乾燥には、25度以上の温度と湿度が必要で、沖縄は好条件。琉球王国時代には、漆の文化が栄えた。

鎖之間サスノマと庭園。
ここは、落ち着きます。
わだかまった松は健在。

新しくオープンしたところ。
建物は、正殿の北側。
城壁の白い部分が新しい。
近くで見ると、こうです。

イチゴが植えてあります。

古文書に、イチゴが書いてあったそうです。

全面開園まで、あと少しだそうです。
この階段が、南側に繋がると、瑞泉が近くなります。

待ち遠しいですね。







首里へ

2017-01-14 | 琉球・首里城


首里城へ行って来ました。
ちょうど、假屋崎省吾さんが生け花を展示しており、たくさんの方が集まっていました。

首里城の中は、平日でも、多くの方が見に来ていました。外国人も多くて、琉球王国の文化に関心があるようでした。

展示物は写真撮影できないのですが、琉球楽器を復元して展示していました。
戦争で焼失していたのですが、徳川美術館に献上されたものが保存されていました。徳川美術館の館長のご厚意でお借りするとともにして、人間国宝の室瀬和美さんに声をかけて下さり、往時の美術品が素晴らしい形で再現されていました。


明治になって廃藩置県により、沖縄県の設置とともに琉球国王は県外に去ったのですが、最後の国王の四男、尚順男爵が住んでいたところです。松山御殿とも呼ばれています。

男爵は、琉球新報や沖縄銀行など今日の中心的会社を設立するとともに、美食家でもあり、琉球料理のレシピを遺稿で残したそうです。
こんな感じなのでしょうか。






琉球料理 美榮

2016-05-28 | 琉球・首里城

450年間続いた琉球王国時代に、王家や士族が食した料理。

最後の国王・尚泰王の四男で、美食家だった尚順男爵(1945年没)が琉球料理のレシピを残した。

そのレシピを再現している老舗の店が「美榮みえ」。

予約制ですが、せっかく沖縄に来たのなら、ぜひ食べてみたい幻の料理。

東道盆(とんだ-ぼん)の盛合せ。4人前。泡盛に合いますね。

地豆豆腐(じーまみとうふ)

ミヌダル(豚ロース肉に黒胡麻などをまぶし蒸したもの)

田芋を揚げたもの、

じゅーしぃ

どれも、内地はもちろん、沖縄でも、なかなか食べることできない。

創業者の兄で、エッセイストの古波蔵保好さんが、書いたエッセイ「夢の五段料理を味わう」も面白い。

建物は古く、予約制ですが、琉球王国を味わってみてはいかがでしょう。

琉球料理 美榮 (モノレールは県庁前)

〒900-0015
沖縄県那覇市久茂地1丁目8-8
TEL.098-867-1356

mie1724@tiara.ocn.ne.jp


イヌマキ育樹祭

2014-08-06 | 琉球・首里城

首里城の木造建築材として使われていたイヌマキ(方言ではチャーギ)ですが、沖縄にはほとんどありません。

このため、首里城の建物補修などに備えて、平成5年に首里城友の会などが6000本のイヌマキを植樹しています。

沖縄の土地は肥沃ではなく、イヌマキはスギやヒノキに比べ成長が遅いので20年経ても、用材としてはまだです。

下草が生えてくると、イヌマキ林が変化してしまうので、年2回、育樹祭と称して、下草がり、施肥、枝打ちなどを行います。

首里城友の会を中心に100名くらいの方が、那覇からバスでやんばるの山奥までやってきます。

幹に絡みついたツルも、アリが上って、木を弱らせるので、取ってやります。

途中、通り雨も降ってきました。

カマを使うのは、久しぶり。地面を這うツル植物を引っこ抜くと、服が泥んこになります。

この方は、テレビで見かける方ですが、ご存知でしょうか。

高良倉吉(たからくらよし)さん。首里城復元の中心メンバーとして若いころから活躍され、今は沖縄県副知事。

公務超多忙の中でも、年2回(友の会事務局としてさらに2回)の育樹祭には、毎年参加されているそうです。

参加者に、これまでの経緯と育樹祭の意義、森林組合や県など関係者の努力などをわかりやすく伝えていました。

労働の後は、ぜんざいです。冷たくて、あまくて、美味しい。

参加者は、服や靴を着替えて、那覇まで、戻ります。

途中、名護市で、JAの産地直売店、オリオンビールの工場見学をして、楽しく帰路につきました。


知念城

2014-05-07 | 琉球・首里城

8年ぶりに、知念城(ちねんぐすく)に行きました。

前回は、発掘調査中でしたが、前回の記事:東御廻い(あがりうまーい)(3) 城壁が修復されていました。

空の青さが美しいね。

アーチは、木枠で補強しています。

琉球の城は、内地と異なって、曲線を描く城壁が、特徴的ですね。

様々な方角から吹き荒れる台風の強風がもたらす力を、分散させる効果があったようです。

機能美ですね。

ごつごつした岩盤のような古い城壁と修復した石組み。

近くには、知念岬の展望台があります。海が美しい。

久高島(くだかじま)も、よく見えます。

久高島は、創世神アマミキヨが天から降りてきて国づくりを始めたという、聖地の島です。


首里城の新たな施設オープン

2014-04-24 | 琉球・首里城

今年の1月にオープンした建物を見てきました。

正殿と南殿をつなぐ黄金御殿くがにうどんが見えます。国王の寝室だったところです。
近づくとこんな感じです。

建物の一階部分に穴が開いていますが、クラシンウジョー です。テンペストで、主人公が男女入れ替わるために出入りした廊下です。


覗いてみると、左奥にげらゑの間らしきドアが。なかなかやるもんだ。
南殿から東を見たところです。
右が奥書院で左が近習詰所。きんじゅうつめしょは国王への取次ぎを行う場所。


奥書院は9畳に床の間1畳ですが、眺めがいいですね。風が抜けていき心地よいです。

国王の隠れ家的な存在だったところだそうですが、中国と日本の二重支配で、内政問題も含めて、このような落ち着く場所が必要だったのですね。

奥書院から、眺めたところ。

右が、すでに公開されている書院(国王の執務室)で、その左にあるのが琉球庭園。

ソテツと黒松からなる枯山水風の庭園です。ソテツは、京都の仙洞御所にも植えられていたね。

 

奥書院庭園の庭園です。

奥にある物見台に上がると、遠くに、那覇港や久高島が見えたのでしょうか。

奥が、整備済みの二階御殿(にーけーうどん:非公開)で、国王が日常生活を過ごした場所。

こちらは、寄満 (ゆいんち:非公開)。 調理場だったところですが、建物内の記録が残っておらず外形復元して、中は倉庫だそうです。


首里城は、国王の生活空間や執務室が整備されて魅力が増してきましたね。

見学コースも、国王の動線と同じになり、往時の国王の行動がわかりやすくなりました。

一日、五回程度無料ガイドがあり、じっくりと教えていただきました。どうもありがとうございました。


テンペスト(げらゑの間ー暗シン御門)

2011-10-04 | 琉球・首里城

池上永一さんの小説「テンペスト」の見どころの一つは、孫寧温が真鶴に変身することですが、表の世界と御内原をつなぐ隠された通路「暗シン御門」は実在しており、黄金御殿の1階部分として、黄金御殿の復元過程で復元される可能性があります。また、変身のための着替えをした部屋「げらゑの間」が実在したのか、そして復元されるのか、ファンとしては興味深いところです。

首里城は、遺構や古図・写真などを元に復元されているようですが、ネットで探してみると、沖縄県埋蔵文化財センターの研究者の方が、古図の中でも測量技術が駆使され最も正確だとされる横内図(明治時代の内務官僚の横内扶氏が保存していたもので現在は那覇市博物館に収蔵)をトレースした図面がありました。(原図はこちら

その地図をお借りして、暗シン御門やげらゑの間を着色したのが、上の図です。 

では、NHKのBS時代劇「テンペスト」では、これらの施設がどのように表現されていたのか、第9話のTVの画面から考察してみます。

げらゑの間で着替えた真鶴が御内原へ出てくるところ。ドアを閉めるような仕草をしていることから、暗シン御門からではなく、げらゑの間から直接外に出たところ。

 

左手にある朱色の建物は石段もあることから、これは首里城正殿の南端部分と思われます。

真鶴がこの小さな広場を進むと、真美那が駆け寄ってくる。左手は世添殿で図面に記されている。正面の建物は図面にはないが女官たちの仕える部屋であろう。右手には寄満の一部が見えている。

上記のことから、「げらゑの間」は、首里城正殿の南側に隣接する黄金御殿の1階部分にあって、北側(首里城側)の扉を開くと、世添殿や関連施設へ続く小広場に面している。上の図を参照。

次は、「暗シン御門」。

げらゑの間で着替えた孫寧温が暗い通路を右折して進み、その後を真美那が追いかけるシーンがある。

この通路が、黄金御殿の1階部分にあった暗シン御門。

よく見ると、この通路は真美奈の正面方向にも続いていることがわかる。すなわち、画面では右に折れるクランクになっている。照明はなく、足元の明り取りだけである。

こちらは、別の場面で、孫寧温が南之廊下(朱色が見えます)から暗シン御門に入ってきたところ。

上記のことから、「暗シン御門」は黄金御殿の1階部分にあって、首里城正殿の南之廊下から入ることができる。途中右に折れ曲がっており、左にはげらゑの間があり、右に進むと二階御殿の前に出る。上の図を参照。

国王は、普段は正殿や黄金御殿の二階部分を移動するだけで、1階部分を使用することはないため、このような通路が成立したのでしょう。この通路から国王のいる建物二階へは進めないように、セキュリティを確保するため、閉ざされた”暗い”連絡通路としての機能が許されたのでしょう。

*****テンペスト関係記事一覧***** 

テンペスト(げらゑの間ー暗シン御門)

テンペスト(日経新聞)

テンペスト最終回(永遠の太陽)

テンペスト(西のアザナ 寧恩の巧みな外交)

テンペスト(おせんみこちゃ)

テンペスト(寧温発見!)

テンペスト(京の内)

テンペスト(暗シン御門)

テンペスト(首里城の復元計画)

テンペスト(多嘉良)

テンペスト(三重城:ミーグスク)

テンペスト(琉球のお菓子)

テンペスト2夏雲、3秋雨、4冬虹(池上永一)

テンペスト1ー春雷(池上永一)


テンペスト(日経新聞)

2011-09-27 | 琉球・首里城

本日(9月27日)の日本経済新聞の「春秋」(朝日新聞なら「天声人語」に相当する部分)に、池上永一さんの小説「テンペスト」が取り上げられていました。

主人公は頭脳明晰な美少女の真鶴。男装して名を孫寧温と改め、王府入りして、次々と難題を解決していく。奇想天外な物語だ。かのペリーの琉球来航も、巧みな外交術で上手にあしらってしまう。寧温が実在してくれたら…。読み進めていくと思わず、いまの沖縄の米軍普天間基地の移設問題と重ねてしまう。(略)

『どうか琉球を愛し続けてください。』

『日本に併合されたことを五十年後、百年後の民が心から喜べるように琉球を愛することを約束します。』

かの「テンペスト」の終章。真鶴と、互いに恋する日本の内務官僚の間にこんな会話がある。沖縄出身の池上さん、いや沖縄の人々の悲痛な願いのようにも、聞こえてくる。

(以上、2011年9月27日 日本経済新聞「春秋」抜粋)

****************************

 ペリーとの外交については、過去の記事テンペスト(西のアザナ 寧温の巧みな外交)で触れています。よろしかったらご覧ください。

寧恩は実在していませんが、当時の琉球の役人の巧みな外交は事実だったようです。 

*****テンペスト関係記事一覧*****

テンペスト(げらゑの間ー暗シン御門)

テンペスト(日経新聞)

テンペスト最終回(永遠の太陽)

テンペスト(西のアザナ 寧恩の巧みな外交)

テンペスト(おせんみこちゃ)

テンペスト(寧温発見!)

テンペスト(京の内)

テンペスト(暗シン御門)

テンペスト(首里城の復元計画)

テンペスト(多嘉良)

テンペスト(三重城:ミーグスク)

テンペスト(琉球のお菓子)

テンペスト2夏雲、3秋雨、4冬虹(池上永一)

テンペスト1ー春雷(池上永一)


テンペスト最終回(永遠の太陽)

2011-09-24 | 琉球・首里城

NHKのBS時代劇テンペスト。面白かったです!

原作の良さがドラマになってさらに生かされた最高の出来栄えです。

次々と話が劇的に展開する中で、編集者はエンディングに物語を集約させていました。

「永遠の太陽」のラストシーン。

首里城の向こう側に見えるのは慶良間諸島。

沈む夕陽とたたずむ二人。

「初めまして」。

撮影場所は、首里城の最東端にある「東(あがり)のアザナ」ですね。

未開園区域ですが、首里城公園の整備が進んで、この素敵な場所で水平線に沈む夕陽が見れたらいいですね。

聞得大君(きこえおおきみ、高岡早紀)、浅倉雅博(谷原章介)、徐(GACKT)、孫寧温(仲間由紀恵)らが印象的でした。

BSだけでなく、NHK総合でも放送していただいて、もっと多くの方にこの素晴らしい作品を見ていただきたいと思います。

BS時代劇テンペスト 

*****テンペスト関係記事一覧*****

テンペスト(げらゑの間ー暗シン御門)

テンペスト(日経新聞)

テンペスト最終回(永遠の太陽)

テンペスト(西のアザナ 寧温の巧みな外交)

テンペスト(おせんみこちゃ)

テンペスト(寧温発見!)

テンペスト(京の内)

テンペスト(暗シン御門)

テンペスト(首里城の復元計画)

テンペスト(多嘉良)

テンペスト(三重城:ミーグスク)

テンペスト(琉球のお菓子)

テンペスト2夏雲、3秋雨、4冬虹(池上永一)

テンペスト1ー春雷(池上永一)


BS時代劇テンペスト

2011-07-24 | 琉球・首里城

琉球王朝最後の激動のドラマ、NHKのBS時代劇テンペスト(全10回)が始まりました。

1回目はワールドカップ女子サッカー決勝に備えて、早く寝たため見忘れておりましたが、昨日、NHK総合で再放送してくれたおかげで見ることができました。

教えてくださった方とNHKさんの心遣いに、感謝です。(上の写真もNHKさんのHP http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/tempest/ からの引用です。)

これまでも、当ブログではテンペストの舞台を、写真や図面で説明してきました(「琉球」を参照)。

*****テンペスト関係記事一覧*****

登場人物も、沖縄出身の仲間由紀恵、GACKT、上原多香子、藤木勇人、平良とみに加え、豪華な顔ぶれです。

テンペスト(日経新聞)

テンペスト最終回(永遠の太陽)

テンペスト(西のアザナ 寧温の巧みな外交)

テンペスト(おせんみこちゃ)

テンペスト(寧温発見!)

テンペスト(京の内)

テンペスト(暗シン御門)

テンペスト(首里城の復元計画)

テンペスト(多嘉良)

テンペスト(三重城:ミーグスク)

テンペスト(琉球のお菓子)

テンペスト2夏雲、3秋雨、4冬虹(池上永一)

テンペスト1ー春雷(池上永一)

 

琉球処分(廃藩置県)によって450年続いた琉球王国はなくなりますが、日本が開国する前に、琉球には米国のペリーを始めフランス、英国など欧米の列強が次々と琉球を訪れています。

鎖国していた日本は、黒船来航から開国まで、政治体制の崩壊とともに明治時代へと時代が変わりましたが、琉球王国でも激動の時代を迎えていました。

阿片戦争で弱体化する中国と、開国前の薩摩の二重支配の中で、優れた外交能力を生かし独立国を保とうとする琉球役人の志を描くのか。

1429年に祖先が祖国統一を果たしながらクーデターで追われた第一尚氏の末裔である主人公が、琉球王国の危機に琉球を守り抜くために身を捨てて生き抜く姿を描くのか。

池上さんの面白い小説です。ドラマがどこに焦点を当てて、どんな展開になるのか、楽しみです。