日本へ
英仏旅行記の最終話です。
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牛肉のブルゴーニュ風煮込み、
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18:30 搭乗時刻です。
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【日本への空路】
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エーゲ海やトルコを目指しています。
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世界地図で影の部分は、太陽が出ていない地域です。
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トルコ、トルクメニスタン、タジキスタン、中国と、シルクロード上空を飛んでます。
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軽食です。うどんですかい。 UDON de Sky . ダジャレですかい。
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まもなく羽田です。楽しい旅でした。
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英仏旅行記の最終話です。
ルーヴル美術館を出た頃には、すっかり足が棒のようになっていた。
美術品を見ただけなのに2万歩。人の多さで疲労倍増。外国人観光客は約1億人と世界一。ルーヴル美術館、エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿は三大観光地。
そんなこともあって、自由行動の次の行き先は数多くの候補の中から、高い場所からパリの町並みを見渡したい。
パリミュージアムパスが使えるし、ひょっとしたらエレベータに乗れるかもと凱旋門に向かったが、考えが甘かった。
並ぶことは無かったが、50メートル上まで、ひたすら、らせん階段を登ることになった。
凱旋門から放射状に12本の緑豊かな大通りが延びており、パリの景色は圧巻だ。
左から右回りに、12本の緑豊かな通りを撮影。
オッシュ通りAvenue Hoche、フリドラン通りAvenue de Friedland
正面遠方を拡大すると、モンマルトルの丘。サクレ・クール寺院。
シャンゼリゼ大通り Avenue des Champs-Élysées
拡大すると、正面にはコンコルド広場とルーヴル美術館。
マルソー通りAvenue Marceau、イエナ通りAvenue d’Iéna そしてエッフェル塔
クレベール通りAvenue Kléber
ヴィクトル・ユゴー通りAvenue Victor Hugo、フォッシュ通りAvenue Foch
通りの地下を走るA14号線やPERA線の先に見える高層ビル群は、パリのビジネス地区であるラ・デファンス。多くの国際的な企業やビジネス関連の施設が集まるエリア。
ルーヴル美術館は予約しないと行列になるので、出発前にHPで入館日時を予約。パリミュージアム・パスと予約時刻入りの入館証を印刷。
手前の列は、入館時刻を予約した人達の荷物チェックで、ドンドン進む。
奥の長蛇の列は、当日券。大変だ。
奥の建物はドゥノン翼で、モナ・リザなどフランスの絵画がある。
年間800万人以上が訪れる美術館で、毎日の入館者は2万人以上。
建物は、中央のピラミッドからみて、北側がリシュリュー翼、東側がシュリー翼、南側がドゥノン翼。
正面のシュリー翼から中に入る。内部は、とてつもなく広い。
メソポタミア文明
ハンムラビ法典 Code de Hammurabi 紀元前1792年 - 紀元前1750年
バビロニア(現在のイラク南部)を統治したハンムラビ王が建てた玄武岩の石碑。
表面に何千もの文字が刻まれ、家族や奴隷、農業、商業、行政、婚姻・相続など判決のリストで、聖書の律法よりも古い法律文書。
「男が...自由人の目をえぐり出すと、その目はえぐり出される。もし誰かが自由人の歯を折れば、その人の歯の一本が折れるであろう。これは、聖書の後半に出てくる「目には目を、歯には歯を」と同じで、過度な報復を防ぐ意味もあるとのこと。
1901年から1902年、フランスの考古学者が、イランの南西部にあるエラムの古都スーサで発見。
ラマッス(雄牛:両頭症、翼、ペンダントイヤリング) Lamassu (taureau : androcéphale, aile, boucle d'oreille à pendant) 紀元前721~紀元前705年 (右側)
大英博物館にもアッシリアの壁面レリーフがあったが、発見はフランスが6年早く、展示物は英国が160年古い。
アポロンのギャラリー
ルーヴル宮殿だったこともあり、天窓で光を取り入れ、天井まで装飾してある。
人の流れが、モナ・リザに向かってる気がする。
グランド・ギャラリー
1610年に造られた全長460mの大回廊。
両側に立派なイタリア絵画(1250年~1800年)があるけど、立ち止まる人もほとんどなく、人々は前に動く。
見えてきた。ここから行列になり、少しずつ、前に進む。
モナリザとして知られるフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リサ・ゲラルディーニの肖像
Portrait of Lisa Gherardini, known as the Mona Lisa in the Salle des États 1503ー1519 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
モナ・リザのモデルは誰なのかが、2005年の発見で明確になり、絵の名称も変更された。
リザは1479年生まれなので、肖像画は24歳の時。5人の子に恵まれ、平穏で普通の中流階級の暮しを送った旧フィレンツェ家の女性だった。初めて知った。
1503年の書き込み。レオナルドがリザ・デル・ジョコンドの肖像画を制作していると書かれている
フランス絵画(1780年~1850年)
部屋の中央の左右に、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)の大作がある。
大きすぎて、写真に収まらない。
左側は、1789年のフランス革命の年に画かれたもの。
フランス革命は、封建的な身分制や領主制を排除し、法の下の平等、経済的自由、人民主権、権力分立など資本主義社会を獲得した。
激動の年に、政治活動もしていたジャック=ルイ・ダヴィッドは、共和制を守るため非情な決断をしたブルトゥスを描かずにはいられなかったのだろう。
「個人的感情や家族愛を超えて、国家や公共の利益を優先するというフランス革命の理念」を伝え、「個人が社会や国家のために果たすべき役割と犠牲とは何か」を投げかけている。
なお、シェークスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」の主人公ブルータスは、ブルトゥスの末裔。
サモトラケのニケ(勝利の女神) Victoire de Samothrace 紀元前200年~紀元前175年
ミロのヴィーナス Vénus de Milo 紀元前150年~紀元前125年
タニスの大スフィンクス 発見場所:タニス=サン・エル・ハガル(下エジプト東デルタ)
ルーヴル河岸 Quai du Louvre 1867年頃
ルーブル宮殿(現在のルーブル美術館)の東側から描いた作品。セーヌ川の河畔を往来する馬車や人、正面はパンテオン(神殿)のドーム。伝統的様式で描かれた、モネには珍しい都会の風景。
(オランダ デン・ハーグ美術館 初来日)
ウォータールー橋、曇り Waterloo Bridge, Overcast Weather 1900年
( アイルランド ヒュー・レイン・ギャラリー)
モネが晩年になるにつれてほとんど描かなくなった戸外の人物像の、ほぼ最後の作品とされている。
3人はモネの後妻となるアリス・オシュデの娘たちで、左からジェルメーヌ(14歳)、シュザンヌ(19歳)、ブランシュ(22歳、10年後にジャンと結婚)の3人。
パリで自由行動なら、美術館巡りだね。
ネットでは入場予約が取れなかったオルセー美術館に、朝一番で行くことにした。
google mapsで、乗車駅、行き先、降車駅などを調べて、初めて乗る地下鉄に挑戦。
レストランの主人の娘の名前。
「印象派はサロンに応募すべきでない。」とドガは主張したが、経済的に苦しいルノワールは、入選したら作品が売れるサロンへの応募が切実な問題だった。
太陽光があふれる川面で、光のとらえ方、表現が巧み。
裸婦を数多く描いたルノワールの晩年の作品。
サーカス Le Cirque 1891年
縦1.8m横1.5mの大作で使われている色も赤、黄色、青の3色。
スーラの最後の作品。この作品を完成させることなく、1891年のアンデパンダン展※の開幕から数日後に亡くなった。
※ サロンに対抗し、誰でも自由に審査無しに出品し、作品評価を来場者に直接問うことが出来る展覧会
シャルトルから、高速道路A10、国道N118を通り、19:23にパリ市街に。
1時間サマータイムなので、時刻は日本だと20:23。外がまだ明るいのは、パリの緯度が高いせいだ。
交差する高速道路はA86。パリの南市街に向かう車で渋滞してる。
google mapsで見ると、ここ。
豪快なスケールの四つ葉のクローバー型だね。
日本は、場所を取らないトランペット型が多い。
ホテルは、ノボテル パリ サントゥール(旧ホテル日航パリ)。
あと12分で20時には到着かな。
赤い建物が宿泊ホテル。わかりやすくて便利だけど、ちょっと恥ずかしいなあ。
チェックイン後、夕食は20:40から。
前菜のサラダとパン。
今夜は旅行会社のHISが、ワインのボトルサービス。
モン・サン・ミシェルを13:10に出発。専用バスは高速道路A11を走行。
田園風景ばかりだが、随所に風力発電所がある。
ラ・メール・プラール(プラール母さん)が、モン・サン・ミシェルを訪れる巡礼者のために生み出したオムレツ。
潮の満ち引きが激しいため、お客さんの予測が難しく、食事ができるのを客が待っている間、素早く作れる「前菜」としてオムレツを考案したとのこと。
エスカルゴ
初めて食べたが、想像以上に美味しい。
エスカルゴは、ワインの産地ブルゴーニュ地方の郷土料理で、前菜。
貝を乗せる部分がタコ焼き器のようにへこんだ専用皿。養殖されたきれいな食用カタツムリ。
でんでん虫のかたつむりの仲間とは、とても思えない。陸に上がった巻き貝で、貝と思うことに。
爪楊枝みたいなモノで、サザエの壺焼きみたいに回転させながら食べました。
ガーリックバター味でワインに合うね。残ったソースは、バゲットを浸して美味しい。
ノルマンディ地方特産の辛口シードル(リンゴ酒)で頂きました。7ユーロ
レストランの窓から目的地が見える。時刻は20時40分。そろそろライトアップされる時刻。
ポテトは柔らかくて美味しい。ルイ16世が広めたジャガイモ。ソースが良いよね。
チーズ三品
食後に、これが出てくるとは。またワインがほしくなる。
カマンベールチーズは、ノルマンディーで生まれた伝統的なチーズ。美味しい。
ル ルレ サン=ミシェル
夕食後に外に出ると、レストランの窓はこんな感じ。
テラス付きのお部屋
なかなかおしゃれでした。
ホテルの正面側
宿泊以外も、レストラン、バー、テラス利用が出来る。
朝食
ブッフェです。農業王国フランスは食事が豊か。
ルーアンから次の目的地まで、約260km、約3時間かかる。バスはMAN(ドイツ)社製。ゆったりと快適で疲れ知らず。
【添乗員さんの車中説明】
フランスの歴史や文化を詳しく教えてくれたのがありがたい。Wikiで確認しながら記事が書ける。
1 ルーアン、ジャンヌダルクの話(前の記事)
2 世界三大料理とされるフランス料理の歴史
※国際結婚で新しい食文化が導入・発展し、革命で宮廷から市民に開放された点が、イギリスやドイツとは異なるのだった。
【フランスの高速道路A13】