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沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

大保ダムが作る街

2014-04-29 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)

大宜味村(おおぎみそん)に2011年3月に竣工した大保(たいほ)ダム。

沖縄では、福地ダムに次いで2番目の容量を持つ大きさです。

下の写真は、2006年10月の定礎式の建設現場。今のダム湖の底から見上げる感じでしょうか。

この後、約2年かけてコンクリートを打設してダム本体の建設が始まり、その後さらに2年かけて湛水を行い、竣工しました。

ダム建設により生じた大量の土砂は、どこに持っていかれたかというと、塩谷湾の北側、国道58号線の外海の埋め立て事業に使われました。

埋立地が現在どうなっているか、行ってみました。

地盤がすでに安定し落ち着いたのでしょうか、村営住宅が建設されていました。

こちらは村営診療所です。以前の診療所より、大きな施設で、リハビリ施設や薬局も併設してありました。

 

そのほかの施設は、見たところ、公園や道路などの公共施設ができていました。

大宜味村は海に山が迫るで平地が少ない地形で、国道58号線に集落があります。

ダム建設に伴い、約40ヘクタールの広大な平地が生まれましたが、これからどんな街が形成されていくのでしょうか。


パイナップル畑に異変が

2014-04-28 | 沖縄のくらし

東村のパイナップル畑に行って見ました。慶佐次(げさし)の近くです。
以前見た時(その時の記事)は、一面にパイナップル畑でしたが、どういうことなのか、荒れ地が多かったです。


単に、作付け時期前なのかなと思って調べたら、3月にはつぼみが出ていないと、夏には実がならない。

4月下旬なのに、畑が荒れているのは心配だ。
地元の人に聞くと、加工用パイナップルの出荷価格は、1個たった60円で、全く利益が出ない状態らしい。
炎天下で、大変な作業なのに、これでは誰も農業を続けることは出来なくなる。

そういえば、東村のパイナップルを毎年注文しているが、2年続けて郵便局のふるさと便が取りやめだった。
今後も、このようなパイナップル畑が荒れ地のままだとしたら、悲しい。

品種改良で美味しいパイナップルを作って、消費者も農家の人も喜ぶような方策は、考えられないのだろうか。

見慣れない標識があった。「馬に…」とある。馬のエサ代も出ないよ。

少し移動したら、パイナップルを作っている畑もあった。蕾があるのか確認できなかった。

葉が少し元気ないように見えるけど、美味しいパイナップルができるといいね。


沖縄の自然が作った港

2014-04-26 | 沖縄のくらし

サンゴ礁に囲まれた沖縄は、台風の荒波もサンゴ礁が静めてくれます。

しかし、大型船は、サンゴ礁に阻まれて接岸出来ません。

波が立っているのがサンゴ礁の外側です。荒波がサンゴ礁にぶつかって、砕けています。

サンゴ礁の中では、まったく波が消えています。

 

例外は、河口部にあり、潮の満ち引きの影響で、常に水が動いている那覇港と、名護の北側にある運天港。

運天港は、羽地(はねじ)内海の大量の海水が、潮の満ち引きで出入りする狭い海峡にあるため、サンゴ礁が出来にくい。

ペリーの黒船も、那覇港と運天港に立ち寄っています。両方とも、今もフェリーの発着場として使われています。

伊平屋島や伊是名島へ行く、運天港のフェリー。

 

今帰仁(なきじん)のワルミ大橋から、南に向かって、羽地内海を見たところ。

この狭い海峡を、一日に2回ある潮の干満の際に、内海の大量の水が出入りします。

周辺の状況図です。 嵐山展望台から、全体が見渡せます。

 


備瀬崎養殖所のアオサ(ひとえぐさ) です

2014-04-25 | 本部町

毎年アオサを注文して、自宅や職場に送ってもらっていた。とてもいい香りがして、安くて美味しい備瀬崎びせざき養殖所。
しかし、今年届いた請求書には「直接買いに来て下さい」と書いてあった。

それで 買いに来たよ。

おじさん 喜んでくれた。
京都の宇治のかぶせ茶をお土産にあげたら、もっと喜んでくれた。

海ぶどうと魔除けの貝殻をくれた。
魔除けは、おじさんの右後ろにも有るよ。
絶え間無くダジャレを飛ばすおじさん
ちょっと、年取ったような気がする。
海の仕事は体にキツイ。
おじさん 体を大切にしてね。


首里城の新たな施設オープン

2014-04-24 | 琉球・首里城

今年の1月にオープンした建物を見てきました。

正殿と南殿をつなぐ黄金御殿くがにうどんが見えます。国王の寝室だったところです。
近づくとこんな感じです。

建物の一階部分に穴が開いていますが、クラシンウジョー です。テンペストで、主人公が男女入れ替わるために出入りした廊下です。


覗いてみると、左奥にげらゑの間らしきドアが。なかなかやるもんだ。
南殿から東を見たところです。
右が奥書院で左が近習詰所。きんじゅうつめしょは国王への取次ぎを行う場所。


奥書院は9畳に床の間1畳ですが、眺めがいいですね。風が抜けていき心地よいです。

国王の隠れ家的な存在だったところだそうですが、中国と日本の二重支配で、内政問題も含めて、このような落ち着く場所が必要だったのですね。

奥書院から、眺めたところ。

右が、すでに公開されている書院(国王の執務室)で、その左にあるのが琉球庭園。

ソテツと黒松からなる枯山水風の庭園です。ソテツは、京都の仙洞御所にも植えられていたね。

 

奥書院庭園の庭園です。

奥にある物見台に上がると、遠くに、那覇港や久高島が見えたのでしょうか。

奥が、整備済みの二階御殿(にーけーうどん:非公開)で、国王が日常生活を過ごした場所。

こちらは、寄満 (ゆいんち:非公開)。 調理場だったところですが、建物内の記録が残っておらず外形復元して、中は倉庫だそうです。


首里城は、国王の生活空間や執務室が整備されて魅力が増してきましたね。

見学コースも、国王の動線と同じになり、往時の国王の行動がわかりやすくなりました。

一日、五回程度無料ガイドがあり、じっくりと教えていただきました。どうもありがとうございました。


ひんぷん山羊料理店

2014-04-24 | やぎ料理
名護にあるヤギ料理専門店に行ってきました。 オリオンビールの工場前に有ります。 山羊汁です。千円。煮てアクを取った後に、とろ火で3時間煮込むそうです。 グリーンピース入りのご飯が合います。 「お母さんは、元気ですか?」と尋ねると、お母さんが奥から出てきて、前の席に座ってくれました。 「四年前が81歳だったから、今年は85歳、お元気ですね。表のヤギさんの看板が無いけど、どうされたんですか?」 「台風で飛んで行ってしまったさ。探したけど、見つからなかったさ。」 ストリートビューで見たところ、ヤギそば始めましたと看板に書いてあった。汁と刺身に、そばが加わって、メニューは3種類。オリオンビールの工場見学のあとだと、ヤギそばがいいかも。500円。 お母さんはテレビを見ながら 話し相手になってくれました。子供たちや内地にいる孫のこと。旅行のことなど。いつの間にか客は1人に。 完食です❗️ 「美味しかった。」 「ご飯あげるね。」と自家製のジューシーをお茶碗によそってくれました。 炊き込みご飯と炒飯の両方の美味しさ。 こちらはメニューには無いそうです。惜しい。 おばあの元気な顔が見えて、お話もできて、美味しいヤギ汁とオリオンビール、自家製のジューシーまでご馳走になって、今日はとてもいい日だった。

京都を掃除する人たち

2014-04-23 | 国内旅行

美しい街、京都。

掃除する人たちに、たくさん出会いました。

表紙の写真は、哲学の道。

ベビーカーの子供が、母親らしき人が掃除している間に、熊手で掃除の真似をしていました。

熊手を落としてしまい、取ってくれとせがんでいました。

銀閣寺の入口。

銀閣寺。ここだけ、安土桃山時代。

広い斜面。落ち葉を毎日、毎日すべて掃除するのだろうか。

苔むした美しい庭園。

竹の上に載って体重を分散させ、苔を傷つけないようにしていました。

銀閣寺道のバス停の近くの側溝。

掃除しながら、道案内もされていました。

西芳寺(苔寺)の外周。とにかく、落ち葉が多くて大変。

美しい街、庭園は、多くの人が関わっていますね。


仙洞御所

2014-04-22 | 国内旅行

週末に、京都に行ってきました。

京都御苑の中の白ジャリの道をサクサク歩いていくと、仙洞御所(せんとうごしょ)があります。

仙洞御所は、1630年に、後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)の御所として建造されたもの。

後水尾天皇は14歳で天皇となり、33歳で退位して上皇となった。

84歳で崩御されたが、修学院離宮を造営したことで有名。皇后は、家康の孫の徳川和子。

この庭園は、静岡や浜松にゆかりの深い、小堀遠州が作庭したとのこと。

北池にある舟。秋篠宮悠仁様も舟遊びをされたらしい。

南池の出島。当時の様子が、そのまま残っているらしい。

醒花亭(せいかてい)という名の茶亭。

茶亭からの風景が、表紙の写真で、桜と州浜、八ッ橋などが美しい。

 

気になったのは、この写真。

ソテツが植わっています。どういう経緯で、場違いなソテツが植わっているのか。

首里城の琉球庭園は、ソテツ。

家康の承認を得て薩摩藩が琉球王国に侵攻したのが1609年。

その後、琉球王国の文化や植物が国内にもたらされたから、沖縄と関係があるのかな。


弁護士さんと三線

2014-04-12 | 沖縄のくらし

3月末まで隣の席だった弁護士さんが、大の沖縄ファンで、司法修習の実務地も那覇。

 

夏の間は、毎日、机を並べて、二人そろって、かりゆしを着ていた。

たまに、弁護士さんがかりゆしを切らしてアロハやポロシャツだったりすると、沖縄に対する愛情を切らしたのかと感じた。

 

私は、沖縄の暮らしや琉球の歴史に関して、一定の知識は蓄えている。

弁護士さんも、沖縄の難解な地名・人名の読み方、そして戦争に関して知識が豊富だ。

 

しかし、

沖縄滞在が1年弱なのに、弁護士さんは、三線を持っていた。

沖縄滞在が2年もあったのに、私は三線を持っていない。

 

しかも、

弁護士さんは、三線を弾けるらしい。

さらに、三線を弾きながら、沖縄民謡を唄えるらしい。

私は、三線は弾けないし、沖縄民謡も唄えない。

 

弁護士さんは、かりゆしを切らし引け目を感じた日でも、心の中では「自分には三線がある」と思っていたかもしれない。

 

沖縄ファンの弁護士さんが、2年間の任期を終えて、職場から去った。

私も、後を追うように、1日遅れで、その職場から離れた。

夏の間かりゆし姿が並ぶ「そこだけ沖縄状態」は、もうないかもしれない。

 

弁護士さんは、調査能力・論理構成力が高く、タフで、大量の仕事を遅くまで一人で片つけて、印象深い。

ちょっと難易度の高い要求をしても、必ず、回答を出してくる。さすがだ。

スーパーマンと思ったら、ガンダムファンらしい。

最後の日、送別会の後、上智大の裏の土手で花見をして、四ッ谷駅でお別れをした。

 

沖縄から、通販で三線が届いた。

三線を弾いて、沖縄民謡を唄えるようになりたい。


早大通り

2014-04-10 | 国内旅行

お世話になった方に、挨拶に行った帰り道。

大きなケヤキが植えられている感じの良い通りに出た。

「早大通り」と書いてあった。

ケヤキは新緑が始まっており、誘われて通りを歩いた。

バス停に、蝶々の図鑑が飾ってあった。

桜のような、桃のような、美しい花が満開だった。

調べると、「しだれ桃」というらしい。