沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

浜松やらまいか交流会

2025-02-12 | 浜松の祭り


先週のことですが、溜池で「やらまいか交流会」が開催されたので、行って来ました♪浜松にゆかりのある人が年1回集まる会費制の行事です。
前半は中野市長から、浜松の概要をスライドで紹介。いろんな日本一があるようです。餃子とウナギの日本一というのは、外食や冷凍品を除外して、家計消費額というから結構な価値がある。ただし、対象は県庁所在都市と政令市だけどね。

浜松の良きところは、よそ者に寛容。よそから来た人はいろんな知恵があるし、やり方も違う。それを認めて生かす風土があるね。やらまいかは何でもやってみようという考えにつながる。

遠州地域は、モノづくりの創業者たちが生まれている。

ここで大きな会場に移動します。
鈴木康友県知事など来賓紹介に続いて浜松のPR大使の任命式。

「やらまいか大使」に任命されたラブレターズの塚本さん。キングオブコント優勝で選ばれた。進学校の浜松北高出身。弁護士になって国際的に活躍している同級生に、やらまいか大使任命を自慢できるとスピーチしてました。

10年ぶりに再会した方と話し込んで、飲食は控え目。でも餃子とウナギはしっかりいただきました。浜松のパワーを頂き、ご馳走様でした。


天竜二俣祭り(屋台)

2011-08-28 | 浜松の祭り

浜松市天竜の夏祭り。二俣諏訪神社の祭礼です。

町内の14台の屋台(浜松では山車のことを屋台といいます。)をハッピ姿の衆が引き回す。

浜松で諏訪神社とは、ちょっと意外な気がしますが、天竜川の源は長野県の諏訪湖。

信州諏訪大社の御柱祭でも、浜松祭り同様に進軍ラッパ(信号ラッパ)が演奏されるので、関係が近いのかもしれない。

二俣城は、五百年前に信州の武田信玄と、浜松の徳川家康が争ったところです。

大明神とありますが、昔はここに二俣諏訪神社がありました。しばしば洪水に見舞われたため、山の方(本田宗一郎ものづくり伝承館の隣)に移転しています。

 以下の屋台の解説は、二俣祭り 参加各町と屋台紹介 より

城南連です。連は町の意味です。

屋台の上には子供たちが乗って笛太鼓を演奏をしています。

屋根は唐破風(からはふ:首里城の正殿を思い出します)です。

城下連です。見送り幕は鳳凰の図柄だそうです。

古城連です。みんな”城”の近くなのかな。雨がぱらついているので、大切な屋台にシートがかけられています。

旭連です。ちっちゃな子供が走っています。見送り幕は牡丹。

二府連と笹若連。

「戻せ!」の掛け声で、屋台を後進させるのが、天竜二俣祭りの特徴だそうです。

ぶつかりそうになる寸前で、止めていました。暑い中、大変な力仕事です。

又水連です。屋根は二層唐破風で、一段と高いです。

こちらは白糸連。見送り幕には般若が描かれていますが、源氏物語の六条御息所の化身だそうです。

大明神がある狭い路地から、勢いよく飛び出してくるところ。オジサンがカーブで振り落ちていました。

吾妻連です。

白山連です。天竜二俣駅周辺の大きな町内なので、綱を引いている人が一番多いです。見送り幕は、竜虎です。

南がく連です。大明神のお膝元の町です。

帽山連です。天竜二俣の北の玄関口として栄え、若連の歴史も一番古いそうです(はんじぃさん、ご指摘ありがとうございます)。
連名の帽山は、「初日から鬼門守るや烏帽子山」の句がある二俣の烏帽子山にちなんで名付けられたそうです。

短時間でしたが、12台の屋台を見ることができました。

静かな街に、こんなにたくさん人がいたのか、と思うくらい盛り上がっていました。

屋台が一か所に集結する"屋台合わせ"を見たかったなあ。機会があったら、ぜひ行きたいです。


ここにも屋台

2006-05-10 | 浜松の祭り
街を歩いていたら、立派な倉庫があった。
今までは気にもとめなかった。
きっと中には、浜松まつりで活躍した、この町内会の御殿屋台が格納されているに違いない。
毎日使うごみ置き場は野ざらし。それに対し、年に一度しか使わない屋台は屋根つき。
粋だね~(^_^)v

浜松まつりー続・たこ上げー

2006-05-07 | 浜松の祭り
中田島のたこあげで撮った写真をランダムに。
上の写真は、子供ラッパ隊。
下の写真は、糸巻き。1000mもあるという。結び目があると凧上げが出来ない。糸が切れてしまうと大打撃。

”テギ”と呼ばれるたこあげ道具。
風がないときや勢い良く上げたいときに、タコ糸を巻き取る装置。竹の筒や滑車を起点にして、大勢の人が円を描くように順番に糸を引く。
一人だとタコ糸を持ったまま長距離を引っ張って走らなければならないが、テギを使うと一人が数歩引くだけで交代でき、他の凧とも絡まることもなく効率よく引ける。
中央奥に竹の筒が見えます。右の空にあるタコ糸が竹の筒を基点に手前に引かれています。軍手の数人の引き手の輪が出来ているのが見えますか。

松林に落下した凧。植木屋さんが待ち構えていて、直ぐに木に登って凧をおろす。 


浜松まつりー動画ー

2006-05-06 | 浜松の祭り
ネットで探していたら、浜松まつりの公式HPがありました。
凧上げの様子や御殿屋台の引きまわしが動画で見れます。
祭りの期間中、街中で聞こえた進軍ラッパも聞けます♪~。

浜松まつりの歴史なども解説してくれています。
徳川家康が浜松城を築く前の時代に、凧上げが始まっていたんだ。
浜松まつり

浜松まつりー御殿屋台引きまわしー

2006-05-05 | 浜松の祭り
凧上げの後、中心街では18時から御殿屋台(ごてんやたい)の引きまわしがある。
元々は凧を運ぶ車だったものが、宮大工などによる木彫りの意匠により立派な御殿屋台となり、中には1億円するものもあるという。これを町内会が所有する。
上の写真は肴町。下は大工町に千歳町。この鍛冶町通りの南北にある町だ。



御殿屋台の中ではうっすらお化粧をした少女達のおはやし隊が演奏を続けている。
屋台を引っ張るのは、町内会の人達。先頭は団旗があり、正装したラッパ隊、提灯が先導する。


屋台の天井には穴があいており、人が出入りできる。電線などに引っかからないように、この人達が活躍する。浜松に横断歩道橋がない(代わりに横断地下道がある)のは、御殿屋台に引っかかる為とも聞いた。
 

どこにしまうのか、気になって行列についていくと、稲荷神社の境内に立派な倉庫があった。既に大きな凧が3枚格納されている。ギリギリのサイズで作られており、手際良く収納。また、明日も活躍する。すごいね。

浜松まつりーたこ上げー

2006-05-04 | 浜松の祭り
遠州灘海浜公園の中田島に勢ぞろいした数々の大凧。
あちこちで進軍ラッパの演奏が響き渡る。
11時。合図と共に、一斉に大空に舞い上がる。
初子を記念して作られた特製の凧が町内会の凧名人たちの手によって、次々と上がっていく。
早くあげたい。風をつかむのが大仕事だ。

子供達がラッパで盛り上げる。
なかなか上がらない凧もある。


凧が無事に揚がると、お祝いの演奏とバンザイだ。


一つの町内では、一度にひとつの凧しか揚げられない決まりなので、一つ成功すると、やがて次の凧の準備になる。

浜松まつりー練りー

2006-05-03 | 浜松の祭り
子供が生まれると、町内会の人達がはっぴ姿の正装で総出で祝う。それが5月3日から5日まで開催される豪快な浜松まつりだ。
5月3日。中田島砂丘の公園が凧揚げ会場。たくさんの凧が並ぶ。凧の前で記念撮影する親子たち(上の写真)。
たこのデザインは町内会ごとに決まっており、右下には子供の名前が書かれている。25万円くらいかかる大凧だ。手作りの人もいる。

祭りの数日前、子供が生まれた店の前に大きな凧が飾られる。
ラッパを吹く大人たちがぐるぐる回っている。練習なのだろうか。


同じ場所の3日の夜22時。街がラッパと太鼓でけたたましい。
数百人の町内会の人たちがこの親子を取り巻き、お祝いをしている。
肩車されている子供が祝福を受けている。


団旗を先頭にちょうちんを持った人達、ラッパ隊が親子の周りをぐるぐる走る。
圧巻。壮観。信じられない光景。たる酒の鏡開き。23時45分になっても続いている。
初練りというお祝いで、家族が町内会の人たちをお酒や食事でもてなす。
その費用は100万円以上という。もちろん自分達で用意できるものは準備する。
子供が生まれたことを深夜まで喜ぶこんな風景が、他のどこにあるのだろうか。


ビバ!ブラジル

2006-03-14 | 浜松の祭り
なかなかいいイベントでした。
シンポジウムは、最初は日系人がブラジルで農業を発展させた紹介でしたが、そのうち、今後の日本社会で日系ブラジル人との共生関係を、どう築くかになりました。
■「ミスター入管」と呼ばれた坂中英徳さん:
2000年の入国管理法改正で日系3世ブラジル人の入国の扉を開いた。バブル期で外国人の不法就労が多く、今後も労働力が必要との声が経済界から大きかった。それだけでなくブラジルに移民した日系人がインフレで苦労している姿や、イタリアやドイツに比べ日本政府は移民者に何も支援してこなかったことを見て、正面から何とかしたいという気持ちが強かった。
人口減少の日本人社会のあり方を考える時。30万人日系人が良かったと思えるようにしたい。
■アンジェロ・イシさん:
来てくれと言われて来日したのに、勝手に来日したと日本人が誤解している。群馬県大田市が教育特区をしたが、浜松の公立学校でポルトガル語が学べたら。ブラジル人との共生は、行政や企業だけが考えるのではなく日本人が自分のこととして考えるべきこと。
今の浜松市政は外国人の評判が良く、ぜひ続けて欲しい。
■北脇保之浜松市長:
入国管理法改正の際に政府として受け入れ体制が不十分だった。工場で働く場合は間接雇用で身分不安定、健康保険や年金は半分しか加入していない、教育は日本の学校への適応の問題、親も日系人といいながら日本語が不十分などの問題がある。国には、地域で生じている問題を伝え、対策を求めている。
文化や生活習慣の違いを認めて、プラスの良い点を発揮してもらえるようにしていくこと、それが地域発展の力になると思う。

その後のサンバやボサノバのライブ。音楽と食べ物を楽しむ。
会場の日系人は、白髪の人も多いし、青い目の人もいる。日本語には不自由していないように感じられた。
前の記事:浜松での一人暮らし:「ビバ!ブラジル」参加者募集

「ビバ!ブラジル」参加者募集

2006-02-26 | 浜松の祭り
浜松市(人口81万人)には国内最多1万8千人のブラジル人(多くは日系人)とその家族が暮らしている。

2年後の2008年は、日本人がブラジルに移民して100周年!今まで日系人がブラジル社会に大きな影響を与えたのは農業。
一方、ブラジル人が日本社会に与えた影響はサッカー?だが、今後はBRICs(ブリックス:ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字。人口が多く国土面積が広いため、今後世界経済の中心的役割を期待されている)の一つとして、付き合い方を考えることが大切。

シンポジウム、日本の野菜を使ったブラジル料理、伝統的なブラジル料理の試食、ブラジルをテーマにしたクイズ(豪華賞品あり?!)、ボサノヴァやサンバなどのミニライブも予定。

参加費  無料 (申込み必要・先着順定員300人)
日 時  3月12日(日) 午後0時40分~4時30分
場 所  浜松駅前 アクトシティ浜松 コングレスセンター会議室
申込み  参加者(団体は代表者)の氏名、参加人数、連絡先(電話または
      メールアドレス)を10日(金)までにメールまたはFAXで。
問合せ・申込先 浜松市 企画部 国際課
     電 話: 053-457-2359、FAX: 053-457-2362
     メール: kokusai@city.hamamatsu.shizuoka.jp
第8回東京財団地域文化シンポジウム「ビバ!ブラジル」参加者募集

冬蛍フィナーレ

2006-01-15 | 浜松の祭り
浜松に夜着くと、人々を迎えてくれた冬の蛍のシンボルツリー。
「まちなか大バーゲン」とともに今日で終了です。
若い人達が唄っていました。音楽の街だね。
さみしくなるけど、もうすぐラーメンと焼き鳥の専門店街ベンガラ横丁のオープンです。
公式HP 浜松べんがら横丁
下は、鍛冶町のスクランブル交差点から見たモール入り口です。



冬の蛍

2005-12-02 | 浜松の祭り
12月になり、今年もイルミネーション点灯です。
子供達も外国人も喜んでいます。
街路樹も青色ダイオードで綺麗です。
もうすぐ一年半ですが、浜松はいい街です。
今どのあたりを歩いているのだろう。半分かな。八合目かな。

遠山の霜月祭り

2005-11-12 | 浜松の祭り
千と千尋の神隠しのヒントとなった長野県飯田市(南信濃村)の遠山霜月祭りが、浜松市駅前のフォルテで披露された。
合併で隣り町になり、地域交流のイベント。保存会の人によると他都市で上演するのは初めてという。
お湯を立てて、日本中の神々がお湯に浸かりにやってくる。中央のお湯の回りで、次々と歌や踊りが繰り広げられる。左の写真は、たすきの舞。右は観客に飛びこむ面(よおもて)。
榊を振り回して暴れる婆、大黒様、天狗、狐など突然現れる様々な登場人物が祭りを盛り上げる。毎年12月に夜通しで行われる。
交通不便な閉ざされた地域で長らく守り伝えられたお祭り。現地で実物を見てみたいものだ。
霜月祭りと千と千尋の神隠し
遠山郷事典 霜月祭り 木沢系の祭り

地産地消のハッピー広場

2005-11-06 | 浜松の祭り
新川モールと呼ばれる、上下を鉄道と川に挟まれた広場で、合併した12市町村の特産品を売る物産展が行われた。あいにくの雨だけど鉄道の高架下なので傘をささずに買物ができた。
甘くておいしい三ケ日のみかん16ヶで250円。浜名湖のアサリ100円。イカ一夜干し2杯で400円。カブは何本入りかと聞くと3本だけど1本サービス!と返されたら隣のコマツナも買ってしまうがな。
お目当ての水窪の栃もちは2ヶで300円。中にあんこが入ってます。
海の幸、里の幸、山の幸が豊富な浜松だ。

サンバ

2005-10-13 | 浜松の祭り
浜松サンバ・フェスティバルが賑やかに行われました。
浜松市は人口81万人ですが、ブラジル人は1万3千人で日本最多です。ブラジルといってもビザ発給が緩和されている日系Ⅱ・Ⅲ世やその家族が多いようです。在日日系ブラジル人:外務省
在日日系ブラジル人が本国に送金する金額は15億ドルで、日本へのコーヒー輸出額を上回るという報道もあり、本国の家族のために苦労しながら働いているようです。ブラジル・サイト(経済&ビジネス特集)
サンバ・フェスティバルは、ブラジル人と浜松人との交流イベント。ステージで、日本の子供達も対抗して”マツケン・サンバ”を上手に踊ってましたが、ブラジル人の反応は今一つのような気がしました。
サンバのリズムはよく覚えていないけど、大音響で聴いたマツケン・サンバのメロディーは今でも残響してます。日本人好みなのかなぁ。