沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

野生生物保護センターと釧路市立博物館

2024-09-14 | 国内旅行

【釧路湿原野生生物保護センター】

絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)に基づき指定された希少野生動植物などを保護繁殖、調査研究する環境省の施設。
釧路湿原では、タンチョウ、シマフクロウ、オジロワシ、オオワシの保護に取り組んでいる。
場所は釧路市湿原展望台の近くです。

【タンチョウ】
タンチョウは半年間で10件と交通事故によるケガが多い。
交通事故以外にも様々な要因で、毎年30羽前後が犠牲になっている。
保護だけでなく、ケガや死亡の原因を分析し、対策を考える組織だね。
多い順に、電線衝突、交通事故、列車事故。牧場のスラリータンクに落下(地面と勘違い)などもある。
【オオワシ】
翼を負傷したオオワシを捕獲して、ケガした部分を確認しているスタッフ。
ここでは、保護、治療を行っており、ライブビデオで確認できる。
オジロワシは700~1000羽オオワシは1400~1700羽が調査で確認されている。
鉛中毒…動物狩猟の鉛弾を死体と一緒に食べてしまい、鉛が体内に蓄積され、鉛中毒による死亡が確認されたと。

【シマフクロウ】
1980年には100羽以下となり絶滅の危険性が高かった。
保全活動の結果、2017年には165羽が確認された。まだまだ危険な状態。
数カ所の給餌場所を作り、繁殖率を高めようとしている。

1993年、米国カリフォルニア州でNPOが運営する野生生物保護センターを初めて見て驚いた。
日本は種の保存法が施行された年だった。その後こういう活動につながったんだなあと時の流れを思った。
 
【釧路市立博物館】
1972年、釧路市立博物館の5年間に渡る総合調査報告で、釧路湿原の自然が科学的に明らかになった。
1973年、開発と自然保護を巡る長い議論の末、「自然保護優先」が合意された。
次の4点は、釧路市湿原展望台の展示室にありました。
【釧路湿原の誕生】
縄文前期を過ぎると、気候が寒冷化して海面後退(海退)し、約3千年前に湿原ができた

【擦文(さつもん)期の釧路湿原】
約1000年前の平安時代の擦文期の湿原。
海沿いの部分が陸地になり、湿原が全体的に縮小している。
湿原の開墾

湿原の変遷

【クスリ場所の範囲】
クスリとは釧路のことで、アイヌ語で越える道の意味。
釧路湿原を越える道という意味かな。
松前藩は、海岸にあるアイヌの集落・コタンを「場所」と呼び、物品の交換に便利なコタンでアイヌと交易をした。
やがて、アイヌとの交易は商人が請け負うようになり、直接漁業も行った。
クスリ場所の請負人だった佐野孫右衛門は釧路のまちづくりをした。


【アイヌ】
アイヌは、人間あるいは男性を意味するアイヌ語
北海道を中心に樺太、千島、本州北部に住み、狩り、魚獲、植物採集、周辺諸民族と交易していた。補助的に作物栽培もした。
本州や北方諸民族の影響を受けつつ、独自の風俗・習慣・言語・信仰などを生み出した。
釧路アイヌと呼ばれる人々は、釧路川流域を生活基盤とし、江戸時代の終わり頃、5、6軒で構成された村が10数ヶ所あったと記録されている。

【信仰】
アイヌの人々は、人間が住むこの世と神々が住むあの世があり、神々も人間と同じ姿で同じ生活をしていると考える。
動植物、岩石、湖沼、風、雷など存在するすべてに魂があり、天上界の神々が姿を変えて現れていると。
利益をもたらす山の神ヒグマ、沖の神シャチ、村の守り神シマフクロウの霊送りは、再び姿を変えて地上界に現れると信じ、盛大に行われた。

捧酒篦(ほうしゅべら)
神々に祈るとき、このベラで酒を捧げながら祈る。儀礼具の一種。

【アイヌの人々の衣服 アットゥㇱ
シカ・キツネ・アザラシなどの毛皮、カモ・ウ・アホウドリなどの鳥、サケ・イトウなどの魚の皮で作った。
機織り技術が伝わってからは、オヒョウ・ハルニレなど樹木の皮、イラクサの茎の繊維から糸をつむぎ、仕立てた。
襟、裾回り、背中などは、別の布を切って縫い付けたり刺繍してアイヌ文様を施す。
衣服一枚を作るために相当な時間と労力が必要だった。

【戦時生活と釧路空襲】
1931年9月、満州事変後15年戦争が続いた。出征兵士の見送り節約と貴金属の供出が強制。
1944年5月、新戦闘機を4機献納し、東條英機陸軍大佐から感謝状。
本土決戦に備え、防空壕堀や防空演習。
1945年7月、釧路市はアメリカ軍の空襲を受け、死者192人、負傷者500人以上。
とても見所の多い充実した博物館でした。

釧路湿原

2024-09-13 | 国内旅行

【釧路市湿原展望台】

広い湿原が一望できます。
あたりは、湿原が乾燥して、樹木が生い茂っています。
釧路市の施設で、3階や屋上バルコニーから景色を眺めることができます。

高い空を飛ぶのは、トンビかな。
獲物を探しているのかな。猛禽類ですね。

湿原展望遊歩道
展望台から延長2.5キロメートルの遊歩道があります。平らで歩きやすいです。

樹林地が続いていますが、湿原は見えてくるのでしょうか。

【北斗展望台園地】
バリアフリーの遊歩道を1100メートル歩くと、見晴らしのよい場所に出ました。
釧路川の支流と湿原と、樹林地がよく見えます。
釧路市のパンフレットでは、サテライト展望台と書かれています。

【釧路湿原ノロッコ号】
釧路駅から塘路駅まで釧網(せんもう)本線を往復します。
釧路駅を出発してまもなくのこと…驚きました
線路沿いの家々から、多くの人がトロッコ号に手を振ってお見送りしてくれるのです。
こういう歓迎は久しぶりで、うれしいです。
指定席で満員です。左側の3人席が湿原がよく見えるのですが、団体さんで売り切れ。
みどりの窓口では右側の2人席が取れました。進行方向に対し座席は横向きで、左右の景色が選べます。
 
塘路駅で撮ったジーゼル機関車です。電車じゃない。
ジーゼル機関車が客車を牽引するんですね。
のろのろと走るトロッコなので「ノロッコ」

釧路川です。
人気のカヌーコースですね。

しばらく間、釧路川沿いにノロッコ号は走ります。
釧網本線は、単線ですね。電化もされていないし。
帰りは、ジーゼル機関車が後ろから押して進んでる。

岩保木水門が見えました。
釧路川は、ここで、釧路川新釧路川に分岐します。
釧路川の下流部が過去に氾濫して釧路市街が大洪水になったため、釧路川に水門をもうけ洪水時に釧路川の水を制御するとともに、「新釧路川」として直線の放水路を新規に作りました。
新釧路川は、釧路市外の西側を蛇行せずに直線で海に速やかに注ぐ放水路になっています。
釧路川の洪水、それを防ぐための河川の改修や新釧路川の整備、そして昔の釧路川の復元と自然の回復。
絶滅したと思われていたタンチョウヅルが発見されたのが、ちょうど100年前の1924年
258平方キロメートルの面積を持つ日本最大の釧路湿原
開発と自然保護を巡る長い議論の末、1973年に自然保護優先が合意され、1980年にラムサール条約登録湿地に1987年に国立公園に指定。
地元の方の努力は続いていますね。

釧路湿原のカヌー下りと自然再生

2024-09-09 | 国内旅行

【塘路(とうろ)ネイチャーセンターの「よりみちコース」】

釧路湿原国立公園五十石から茅沼まで約8.5キロメートルの釧路川をカヌーで下ります。

釧路川は、弟子屈町の屈斜路湖が源流です。

ガイドさんと3人でライフジャケットを装備し、カヌーに乗ります。

塘路はアイヌ語の「トー湖(沼)・オロの所」が由来。湖(沼)の所という意味です。

【釧路湿原の野鳥】

朝早いので、河畔の森からは鳥が姿を現し、鳴き声、さえずりが聞こえます。

ガイドさんが次々と鳥の名前や生態を教えてくれます。

かわいい親子連れをみて「カルガモの親子ですか?」と聞いたら、「カワアイサの親子」だった。

「いま鳴いたのはキジバトですか?」と聞いたら、ツツドリだった。「お茶筒の底を叩いたように、ポポ、ポポと鳴くのでツツドリ。カッコウの仲間で托卵をする。」

「川沿いは柳の木が多いので、センダイムシクイが多い。」

「いま鳴いたのはエゾセンニュウ。「ジョッピン(北海道弁で鍵)・カケタカ」と聞こえる。」

カッコウウグイスとセットです。ウグイスに托卵する(自分の卵の世話を代行させる)。産む際にウグイスの卵を1個だけ落っことす。」

覚えきれないほど詳しいね。

パドリングは、ゆっくりです。

緩やかな川の流れに乗ります。所々で流速が変化しカヌーの向きが変わるので、向きを整えるように漕ぎます。

河川改修された直線的な河道】

やがて右側の視界が開け、広大な釧路湿原が見えてきました。

景観的には単調ですね。鳥の種類も少なく感じます。

突然、近くで、タンチョウヅルの鳴き声が響き渡ります。

タンチョウヅルは、毎年同じ所に営巣する。今年は子育て失敗したので夫婦で出てきて餌を採っているところ。今日カヌーが来る予定だったのかと、ちょっと驚いている感じ。」

姿は見えませんが、ガイドさんは野鳥の住処までよく知っている。

【休憩タイム】

いつのまにか1時間30分ほど経過していました。中州に立ち寄って、途中休憩です。

憧れの釧路湿原のカヌー。

ガイドさん手作りのマフィンと温かいコーヒーが格別です。

動植物に詳しいガイドさん。

「自宅付近で野鳥は、ゴミをあさるカラス人から餌をもらうハトくらい。雀も見かけなくなった。」というと、

「カラスは、動物の死骸を処理してくれる、なくてはならない大切な存在」と教えてくれました。

「寒さが厳しい北海道では、カラスも越冬が大変」だとか。

休憩後は、旧河川へ「よりみち」です。

【旧河川】

五十石と茅沼の間には探検できる側流古川(旧河川)がいっぱいあり、そこへ寄り道します。

左側に回って、少し戻るような感じです。

昔の釧路川は、こんな風に狭く、蛇行していました。

枯れた木

旧川には、枯れた木があります。ぶつからないように漕ぎます。

魚にとっては、好都合の環境ですね。

川に倒れる樹木。魚つき林ですね。

「魚つき」とは、川面に森林の影が映ることによって、魚が集まる効果

釧網本線

旧河川にギリギリまで線路が迫っています。


そんな理由もあったのでしょうか。
釧路川は蛇行(右側)から直線(左側)に付け替えられました
さっきの直線的な河川から、左折して、旧河川に寄り道して、JR近くまで来ています。

【河川の直線化の理由と課題】

蛇行する河川は、豪雨時の大量の水の勢いで氾濫するので、河川改修事業では真っ直ぐの川に付け替えます。

東京や大阪など大都市の河川は、古くから直線化と拡幅により、人口集積地に氾濫しないように改修してきました(水を治める者は、国を治める)。

釧路湿原の上流部(開発地に近いところ)でも、川の本流を直線にした箇所があります。

しかし、釧路湿原は釧路川の氾濫の繰り返しにょって、広大な湿原が形成されてきました。

氾濫しなくなると、釧路湿原は将来どうなってしまうのでしょうか。

 

【釧路湿原自然再生事業(茅沼地区旧川復元)】

釧路川茅沼地区の旧川復元 ―自然再生事業における目標設定からモニタリングまでの技術資料― 釧路湿原自然再生協議会  河川環境再生小委員会(令和6年3月)より

直線化した河川を元の蛇行した河川に戻すことにより、湿原の保全、再生をする試みです。

茅沼地区は、釧路川の釧路湿原の流入部に位置しています。

1947年、茅沼地区の釧路川は蛇行していました。

1980年、周辺の農地開発等を目的に河道の拡幅、直線化工事が竣工。

しかし、川が直線化したことで次の問題が生じました。

1 湿原植生の変化 
 ヨシ群落などが主体であった河道周辺にハンノキ林が増加した。 

2 湿原内部への土砂流入量の増加 
 釧路川は流域面積が大きく移動土砂量が多いことに加え、直線化により蛇行部分での氾濫が減り、洪水時の土砂が湿原内部に直接流入しやすくなった。 

3 魚類生息環境の劣化 

 直線化された河道では河床地形に多様性が少なく、特に自然の蛇行河道に見られる湾曲部での深みのような大型魚類の生息環境が乏しい。

 多様な河川景観の喪失 
 川幅が広い直線河道になったことで、蛇行した自然河道と比べて単調な景観となった。

上記の課題に対応し、目標を定め、2007年から4年間かけて直線化した釧路川1.6km蛇行した流れ2.4kmに戻す事業を実施。

1 川の氾濫による湿原植生の再生(50-100年後)

冠水頻度の増加や地下水位の上昇により、ミゾソバ、ヨシ等の湿原植生が旧川復元前に比べ、約30ha回復している。

2 湿原中心部への土砂の流入などの軽減 

2011年9月の出水(台風15号)時には旧川の復元区間で氾濫し土砂が堆積したため、茅沼地区上流から河道をとおり湿原中心部へ流入する土砂が約9割軽減された。

10年間通してのモニタリングでは、湿原中心部への土砂流入量が復元前に比べて4割軽減を確認。

3 瀬や淵など本来の魚類などの生息環境の復元

幅が狭く深みや浅場のある変化に富んだ河道になり、水深の深い場所や浅い場所、流速の早い場所や遅い場所が創出される。川底材料の粒径は河道の流れに応じて、川底の質が変化することにより、多様な環境が形成される。

流速、瀬や淵、河床材料によって魚類の生息適地が異なる。多様な生息環境の復元により、多くの魚類が生息できるようになった。復元前には確認できなかったシベリアヤツメ、エゾホトケドジョウ、イトウなどが確認された。

4 湿原景観の復元 

流れが蛇行し、水面幅は狭くなり、河岸には河畔林が回復し、河畔林と後背湿地からなる湿原らしい景観に変化してきている。

 

【復元した河川】

ここからは、復元した釧路川をカヌーで下ります。

湿原らしい環境が戻りつつあることが確認でき、旧川復元の効果を実感。

北海道の河川事業は、先進的ですね。すごいなあ。

洪水、氾濫で枯れた樹木も、意味があることを物語ってます。

【より道コース】
釧路湿原の一般的なカヌーコースより上流部を探索します。
特徴は、1)古い釧路川、2)改修して直線化した釧路川、3)直線を元に戻した復元河川の3カ所を、ガイドさんのお話を聞きながらカヌー下りできます。
他のカヌーとほとんど出会うこともなく、たくさんの鳥たちと出会えました。
自然再生事業の目的や改修の効果は、前述のネットで公開されています。自然を科学的に捉え、将来を予測し、事業の内容と効果を10年間のモニタリング結果を見ることができます。