沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

輪ゴムかな

2015-10-31 | 沖縄のくらし

久しぶりに帰宅して、シャワーを浴びていたら、輪ゴムが落ちていた。

 

「いつ落としたのかなぁ。」と思って近づいてみると…。

 

………………。

小さな水かきが見えてきた。

この間、浴室の扉を閉める時、柔らかい手触りだったヤモリ君だった。

元気だったんだ。

この場所が、気に入っているみたい。

次の日も、蛇口のそばで、ウロウロしてる。


見えてきた

2015-10-22 | 健康


手術の翌日の朝の診察。

入院患者は、措置もあるので八時から。
よく外来で「朝一番 に来たのに診察時刻になっても医者が来ない」 と不満を言う人がいるけど、病棟で1人1人の診察と措置をしてるんだよね。

一番若い医者に措置してもらったあと、 手術を担当したお二人が、 眼を覗く。
「バッチリ、うまく乗ってる。」 と、 よくわからないけど、いい感じ。

「黒い玉は空気で、2、3日 で吸収されます。」「 順調です。」笑顔で詳しく説明してくれた。

実は、昨日の手術後に、「眼の中に丼の蓋くらいの大きさの黒い玉が 現れて視界を遮 る。これは剥離の原因の水玉が残ってるのではないか。」と、不安を伝えていた。

伝えて聞いた主治医が、 夕方の手術終了後に病室に現れ「黒い玉は空気」と笑顔で説明する。 そういえば、手術最後の 段階で、万全を期して、空気を注射したことは、ハッキリ覚えている。

成功率高めるために注入した空気玉を、 動き方が似ているからって、 よりによって、取り損なった水玉と勘違いするとは、なんという患者だろーか。

もし私が学生なら 、 きっと先生からモノサシで叩かれるところだ。

眼帯の代わりにギッターを渡された。
( 上の写真)
網目の金属が眼を守るのだが、鏡に映った自分はまるで格付けの三流芸能人。
モノサシの方がマシです。

今年1月には、10 年経過観察してた病状の年貢納め手術で、下の階に入院。
全身麻酔の上、 体に5 本いろんなものが刺さって大変だった。周りも深刻な患者さんばかりだった。

医者も、看護師もスタッフも、暗くて不安な患者を前向きにするよう大変な努力をしている。
病院は、大切な仕事だ。


手術

2015-10-21 | 健康


おかげさまで、無事に手術終了です。
古い病院ですけど、医者と看護は定評があります。

3年前に仕事中に 眼球が出血して、網膜裂孔を塞ぐレーザー手術してもらった病院。

通院して完治したあとに、 沖縄勤務となり、今年の夏にちょっと飛蚊症が増えたような気がした時に、 受診すれば良かった。

同様の網膜裂孔が3箇所も増えていて、月曜日に 突然、裂孔部が連なって網膜剥離して、 右下部分が見えなくなった。
緊急手術と安静が求められたが、住んでいる沖縄北部では手術できないと言われた。

それなら 移動で揺れて剥離が拡大するリスクもあるけど、以前の病院に行こうと思い立ち、高速を走って、最終便に間に合って、深夜帰宅した。

移動が原因か、見えない範囲が拡大してたけど、 緊急手術必要と書いてくれた紹介状のおかげで、 朝受診し、昼に入院、 午後に手術方法の説明を受けて、同意し、翌日朝一番で手術して頂いた。

手術室に入ると 、いつも聴いているショパンの夜想曲が流れていた。 心が落ち着くね。

局所麻酔なので、手術の中身はよく覚えています。
しかも、目の手術は、その目に はっきりと、手術の様子が見えてしまうのです。 目を閉じることもできない。

これは、衝撃です。
それに 麻酔してても、メスとかで切られると、目が痛い。我慢できない痛さでは無いけど。

事前に説明を受けており、次は何をするかも、わかるのです。

次々と措置が続く左眼。
自分のためだから、我慢しなければ。
なんでこんな目にあうのか、何度も自分の至らない点を詫びたことか。
もう許して、と反省したことか。

これは病気の治療であって、罪に対する罰ではけっしてないけど、そう考えないと理解できないのです。

ショパンの夜想曲のサビ の盛り上がりと措置が折り重なって、ドラマを仕立てるのかな。

今まで、この手術を何人もの方が受けたおかげで、器具や薬や方法も改善されて来たんだ。これは昔の人に比べたら、痛く無いはず。

網膜手術は年間100 件以上あり、熟練した2人がかりで手際よく次々、進められている。
部長と医長のやりとりや、2人が1、2、3 と息を合わせてなんかしているのも、いいコンビなんだなぁ。

全身麻酔は、 患者が意識を失っている間に全て終わっているので、安易に望む気持ちも理解できる。 でも、麻酔リスクはもちろん事前検査やカテーテルとかで入院期間が延長し、ベッド不足や医療費の個人、社会負担が増大する。

部分麻酔は、患者さえ我慢すれば、ちょっとした苦痛や、手術現場の臨場感あふれる自分のドラマを経験できる。
得難い経験をできるなら、 それもいいことではないか。

最後の方は、知らないうちに、お産みたいにシーツ掴んでたけど、お産の方が痛いだろうに、 男性は我慢しなければ。

終わったあとに、 全身麻酔のことを聞いたら、小さい子供と認知症で動いてしまう人以外は、部分麻酔だという。

みんな、我慢しているんだ。
ひたすら、感謝です。



目覚めているけど

2015-10-20 | 健康


入院するため、急遽、最終便で東京に向かった。
前から3列目に座って、耐えていたけど、よく揺れ を感じる。

客室乗務員さんたちが、カーテン奥の基地から、入れ替わり出陣し、通路を急ぎ足で往復するたびに、床の振動を拾って、シートが微妙に揺れる。

とても、寝てはいられない。

どんな感じかというと、
安普請の宿に泊まると 廊下の揺れが、 部屋の中まで伝わ って寝れない、そんな感じ。
あるいは、普段は気にしない上階の足音も、 病気で寝れない時は、気になる 感じ。

「お目覚めですか?」
「ずっと、起きてるけど…」

飲み物サービスしたいのだろうけど、こちらとしては、
「静かに歩いて欲しい。」
と言って良いものやら。

安静が必要な症状なのでと事情を話してお願いすると
きっと、驚いて、平謝りになるんだろうなあ~。
それはイヤだし。

理由を言わないと、そんなこと言うのは、あなただけで、ゆっくり歩いてたら仕事にならないよね。とか、 周りのお客さんが心の中でつぶやくのだろーか。

飛行機の中央は、板一枚なので、普通に歩くと振動しちゃうんだろうね。

左側の通路は、奥にトイレがあるので、お客さんも通る。それも、感じる。

ホントは、一つ右の席だったけど、すでに窓側の先客が私の席に荷物広げていて、客室乗務員さんに注文つけてた。

その手の方の隣には座りたくないから、空いていた中央の2人掛けに座ったけど、 自分にとって良かったのか、良くなかったのか。

客室乗務員さんからは、ご協力に感謝されたけど。

客室乗務員さんは、ゆっくり歩くイメージがあったけど、目的地に移動する途中は、早足だね。

しょうがないよね。文句つける客にはなりたくないから、我慢だね。
世の中 みんな、我慢してるものね。

で、「お目覚め」 することは避けて、客室乗務員さんが着陸態勢で座る時まで、何も言えず 伝わらず 耐えている。


緊急車両は大変だ

2015-10-18 | 沖縄のくらし

昨日は、「沖縄そばの日」だったらしい。

そば粉ではなく小麦粉を使用した「沖縄そば」は、そばじゃないとクレームがついていたが、1978年10月17日に、「そば」ではなく「沖縄そば」という名称で呼ぶことが許された日らしい。

 

でも、そんなこと知らないオイラは、昨日は「とんこつラーメン」食べました。

清朝DVDを返しに、レンタルビデオ屋さんに行くと、とんこつ、みそ、しょうゆラーメンのおいしそうな看板が並んでいるじゃない。

沖縄に来て、通算4年目だけど、自宅の日清チキンラーメン以外は、ラーメン食べたことはない。

看板見て、とんこつラーメンが無性に食べたくなって、替え玉までして、満足したのでした。麺は固めだね。

 

それで、表題は今日の話です。

昨日借りたレンタルビデオも、見てしまったので、返却に行くと…。

バックミラーを見ると、すぐ後にパトカー。

基本、私は制限速度を守るノロノロ運転なので、他の車同様、パトカーも追い抜いて行きました。

「制限速度50キロだけど、どう見ても60キロ出していた。」

いいんかい?

 

ビデオが半額キャンペーンだったので、なぜか4本も借りて、戻る途中、

バックミラーを見ると、すぐ後ろにパトカー。

よく出会うねー。でもパトカーは右折したので、安心してたらサイレンが近づく。

 

バックミラーを見ると、すぐ後に救急車。

救急車の後ろは車線がガラ空きになるので、ついて行ったのですが、救急車は急いでおり70キロくらい出していたので、見る間に消えていきました。

 

「50キロ制限の道でも、60キロまでは出していいんだよねー。」

なんて、調子こいていたら、

バックミラーを見ると、すぐ後に、パトカーが…。

しかも、なんか、ランプ点滅させてる。

今の速度は、60キロ。「制限速度を10キロ超えてるー!」

 

「前の車、左に寄ってください!」

恐怖のアナウンスが、来たー。

 

「悪いことしてないのに、なんで。さっきのパトカーだって、60キロだったし。」

今日は、緊急車両だらけ。パトカー3回目。なんか、おかしくないかい?

 

ウインカー出して左に寄ったら、

「ありがうございました。」と、パトカーが通り過ぎていく。

速度違反じゃなかったんかい。

そういえば、「止まりなさい。」とまでは、アナウンスしてなかった。

 

で、大型スーパーの入り口前に、追い抜いて行った救急車とパトカーが止まってました。

救急車は直ぐにいなくなりました(上の写真)。

 

軽自動車とバイクの接触事故だったらしい。

私の想像ですが、大型スーパーから出る軽自動車と、直進してきたバイクが接触し、バイクの運転手が救急車で運ばれ、残された軽自動車の運転手と現場検証。

買い物終わっても、暗い中、まだ、現場検証は続いていました。

 

緊急車両の任務にあたる、消防、警察、病院の人は大変だね。

やっぱ、制限速度守って、安全運転だね。


iPhone7のテストユーザー

2015-10-17 | 沖縄のくらし

ヤモリって、爬虫類だったか、両生類だったか、調べようとiPadで検索していたら、

「最新版iPhone7のテストユーザーとして、あなたがランダムで選出された!」と表示が飛び込んできた。

「これは冗談ではありません!」とわざわざ書いてある。

アンケートに答えるだけで、apple watch が、送料99円でもらえるらしい…。

………。

iPhone7の話だったのに、いつのまにか、apple watchの話になってる…。

………。

簡単なアンケートの最後は、「国内に住所があるか」という質問で、「はい」と答えると、

そのあとに、メールアドレスの入力画面が…。

まあ、ホントの話なら惜しい気もあり、

もうちょっと怪しい場面まで近づいてみたら面白かったのですが、ここで辞めました。

これは「冗談」ではなく、「詐欺」なのかも!

 

ヤモリは、突然現れます。

この間、電気をつけて、トイレに入ったら、首筋に何か当たりました。

足元を見ると、ヤモリ君が狭いトイレ内でどこへ逃げようか、必死になっていました。

天井の電灯にしがみついていて、突然明かりがついて、驚いて落ちてきたのか…。

 

昨日は、シャワーを浴びようと浴室に入って、内側から扉を閉めようとしたら、何やら柔らかい手触りが。

足元を見ると、ヤモリ君が狭い浴室内でどこへ逃げようか、必死になっていました。

 

何もエサを上げていないけど、留守を守ってくれて、きっと、害虫を食べていてくれるんだ。

普段は、出くわさないように、ヤモリ君は気を付けているようですが、

このように突然の出会いがあると、しばらくは会うことはありません。

危険な思いをしたと、家を飛び出して行ってしまうのでしょうか…。

 機密性は高いと思うのですが、出入り自由なんですね。

 

玄関の外の廊下には、いつもいます。

天井の明かりの下には、ヤモリの糞が数個落ちていて、明かりに集まる虫を捕まえて食べる楽な生き方をしている。

こんな生き方をしていると、そのうち虫を捕まえる能力が退化してしまうと心配するけど、

この間は、外回りを掃除をしていたら、ガスメーターの扉にヤモリ君が挟まれていた。

メーターの検針に驚いて、扉の陰に隠れたものの、扉が閉まってしまい、哀れに干からびていました。

内地では、アマガエルがいますけど、沖縄だと、ヤモリ君なんでしょうね。


清張の映画ざんまい

2015-10-12 | 映画・テレビ・本・英語

3連休ということで、何処にもいかず、職場に行きたい衝動を抑えて、ツタヤへ行きました。

レンタルビデオに、松本清張のコーナーがあり、映画化されたDVDが並んでいました。

高校時代に多読した印象と、映画はどう違うのか、見たくなりました。

・張込み  1958年

・わるいやつら 1980年

・天城越え 1983年

・鬼畜 1978年

・疑惑 1982年

・ゼロの焦点 1961年

素晴らしかったのは、「天城越え」ですね。

小説で読んだ世界を、それ以上のものにしてくれて、嬉しくなりました。

田中裕子さんの演技が素晴らしい。他の役者さんたちも、いい仕事をしていました。

30年前の映画なので残念ながら亡くなった方もいるけど、若いころ、いい仕事をしていますね。

 

「疑惑」もよかったです。難しい役柄を、桃井かおりさんが演じ切っていました。

弁護士の岩下志麻さんも見事。二人のやり取りも、相当すごい!

映画監督、俳優、カメラ、照明、音声、キャスティング、映画は総合力ですね。

 

「鬼畜」は、小説の想像では足りなかった世界を、映画では慟哭する緒方拳さんや若い大竹しのぶさんが表現してくれました。

 

「張込み」は、夏の暑い時期に張り込む刑事の話だと思ったけど、こういう結果だったとは…。

「わるいやつら」は、小説の世界の印象が、強かったです。

 

「ゼロの焦点」は、これから…。

1961年の立川が出てきた。

ラストは、冬の荒波に小舟だったのですが、さすがにそれは無理だったようで。

 

ほとんどが、野村芳太郎監督(1919-2005)なんですね。

あの「砂の器」 1974年も。

黒澤明の助監督を務めた。 

いい三連休でした。