沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

月は東に 陽は西に

2020-11-30 | 
月の写真は、スマホでは難しいですね。

2日前なので、まだ明るい空です。

だんだんと、日が暮れていきます。

これが私のスマホの限界ですね。

木のそばなら、写しやすいかな。



変わらないかな。

すっかり日が暮れて、月の世界になりました。


2021カレンダー

2020-11-28 | 生活
地元の創業100年の畳屋さんから頂いたカレンダー。
気に入ってます。

1 メモが書き込める

 3行もあって、予定も十分書ける。
 記録は、手帳中心に併せて使うと便利。

2 西暦と和暦が併記されてる

 2021年は、令和3年、平成33年、昭和96年。
 これは、便利でしょう♪
 役所は元号中心なので、昔の記録を見るときに、とまどう。
 例えば、
 昭和56年から平成22年まで何年間か?
 平成元年から令和2年まで何年間か?

 本来なら、直ぐに計算できるべき年号が、和暦では計算することは不可能。
 一度世界基準の西暦に置き換えて、足し引きしないと、答えが出て来ない。

<昭和は25を足して、平成は12を引いて、令和は19を足して ……ややこしい>

自分の国の事柄なのに、外国に頼らないと理解できないのは、おかしくないかな。

 そんな、じくじたる思いを援助してくれるカレンダーなのですね。



不思議な施設

2020-11-26 | 
今日のウオーキングは出遅れたので、すっかり日が暮れてしまいました。

いつもは、大きな公園の外周を90分歩くのですが、今日は途中で新しい道を引き返しました。

その結果、珍しい、聞いたことのない施設を発見しました。

「国立極地研究所」

 怪しげです。
誰が何のために研究しているのだろーか?
極地ってどこ? 北極や南極? 月とか?
うーむ。謎である。
 
その隣には、国文学研究資料館。

これは、探検しなければなるまい。

次の施設は、国立国語研究所。

すごいね。国語を研究するんだ。

「林修先生のことば検定」みたいに、国語に関する研究を積み重ねているのかな。

ちょうど退庁時刻で、職員さんが三々五々出てきたけど、「漢字検定」とか「四字熟語」とか得意な人ばかりなのかな。どんな採用試験なんだろう。

ということで、謎は深まるばかり。


モノレールはどこから

2020-11-25 | 
歩いていると、運行路線から外れた変なところにモノレールがいました。

止まって休んでいます。
疲れちゃったのかな。

運行本線から分岐した支線のようです。
どこへ、続いているのかな。

「地下鉄の電車はどこから入れたの。考えると夜も眠れなくなっちゃう」は、春日三球・照代さんの漫才だった。

大きな建物の横に線路は続いています。
だんだん下がっていきます。

今時珍しく、有刺鉄線の忍び返しが付いています。でも、忍び返しの向きが内側だから、侵入防止じゃなくて脱出防止だね。
関係者以外立入禁止と高圧電流が流れているって、厳重だね。深い理由がありそう。

とうとう地面近くに下がって来ました。
フェンスで見えませんが、先に進みます。

おおーこうなっていましたか。
モノレールの車両基地です。
電車基地は屋外だけど、モノレールは建物の中に格納されています。

近くの案内図に、線路が書かれています。
南北道路を左から来て、右上にいます。
モノレールの引込み線は12本あります。

10分間隔の運行なので1時間に6本が必要。
上下線あるので1時間では12本、すなわち全車両が出払ってしまう。これで足りるのだろうか?
補充するとき、どこから入れるのかな。
考えると夜も眠れなくなっちゃう。


古井戸と泉谷しげるが中学校に(1972年)

2020-11-23 | 音楽

1972年3月の中学校の生徒会新聞

体育館で開催された卒業生の送別会
「フォークを聞く会」
 
出演者は、3組。
・古井戸(加奈崎芳太郎と仲井戸麗市)
・泉谷しげる
・小野和子
 
本棚を整理していたら、ガリ版のチラシが出てきた。
中学校の「卒業生を送る会」を、2年生中心の生徒会が主催してくれたものだ。
 
<古井戸>
仲井戸麗市(なかいど れいいち)は、当時21歳。
進学高で名高い桐朋学園高3年在学中に古井戸を結成。
その後、泉谷しげるやRCサクセションとライブハウスで活動していた。
1972年3月、「古井戸の世界」でレコードデビュー。その年に「さなえちゃん」が大ヒット。
1979年、古井戸解散後、仲井戸麗市はRCサクセションに加入し、忌野清志郎とともに活躍した。(wikiより)
 
古井戸のボーカルの加奈崎芳太郎が、声量豊かに歌っていたのが印象的だった。
 花言葉、インスタントラーメン、なんとかなれ…
大学生になってからバイト代で「古井戸の世界」を購入し、思い出しながら聴いていた。
 
<泉谷しげる>
当時23歳。名門の都立日比谷高校を中退。
1971年11月、ライブ盤の「泉谷しげる登場」でレコードデビュー。
1972年、代表曲となる「春夏秋冬」がヒットする。
その後の活躍は、周知のとおり。俳優も。
2009年5月、デビュー当時から一緒にライブをしてきた忌野清志郎の死に際し、「清志郎の死受け入れたくない。清志郎は俺の中で生きている。」とコメント。(wikiより)
 
泉谷しげるは、ギター片手にガナっていた印象。
きれいに歌うのではなく、心の声を叫んでいた。
突然、チラシに登録していない放送禁止歌を、歌い出した。
生徒達は盛り上がるとともに、先生方の困った顔を見て楽しんでいた。
 
仲井戸麗市も泉谷しげるも日本のフォーク、ロックを担う大物。
当時はデビュー直後で、ヒット曲が出る直前のタイミングだったので、中学校の生徒会が主催する小さなイベントに出演してくれたのだろう。
 
ありがたいことですね。

富士山が見えた

2020-11-21 | 
今日の朝焼け。
雲が一直線になってる。
その高さの温度で、空気中の水分が一斉に雲になったのかな。
沖縄の雲みたいだね。

2週間続けて毎日1万歩いていたのですが、「筋肉には休みが必要」との指摘。

2日休んで、久しぶりに歩きました。

遠くに富士山が見えるような。

拡大すると、きれい見えました。
秋の空は、空気が澄んで、遠くの景色もはっきりとよく見える。

今日は13000歩くらいかな。
歩く人、ジョギングする人、自転車の人。

駅周辺だけ、控えめのクリスマス。
人通りも控えめですね。



きれいな朝焼けの日

2020-11-20 | 
今日の朝焼けは、きれいでした。
6時頃、カーテンがオレンジ色に。
窓を開けると、雲がきれいに色づいています。

5分後に、気になって外を見やると、黄色に変わっていました。

赤より波長の短い光たちも届くようになったのかな。

今日は、風速5メートルの南風が吹いて、最高気温が24度と暖かい。

雲がきれいでした。

夕方17時でも気温が22度もあります。

沖縄と同じくらいの気温だね。
こうやって過ごしてみると、沖縄は暮らしやすいね。今の時期でも半袖だし。

沖縄の人達は元気かな。




森田童子を訪ねて

2020-11-19 | 音楽
1976年、FMラジオから流れてきた森田童子のアルバム「マザースカイ」を偶然聴いて、衝撃を覚えた。

「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」
「海を見たいと思った」
「ぼくたちの失敗」…

自分の心の感情を、歌にして、ギターを弾きながら、語るように、嘆くように、時には叫ぶように歌う。
森田童子が何を思い、伝えたいのか、不安な学生生活の中、耳を傾けていた。

情報誌の「ぴあ」で森田童子をチェックし、西荻ロフト、下北沢屋根裏、目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂などで開催されたライブコンサートに出かけた。

西荻ロフトでは、椅子に座りギターで弾き語りをする童子を、前列の床に座って、見上げるように聴いていた。

曲の合間では、歌と同様に、自分の気持ちを独り言のように童子は話し、聴衆の反応を求めたり会話することは無かった。

素顔は謎だった。

2018年4月に65歳で亡くなったことが伝えられ、少しずつ、森田童子のことがわかってきた。

住んでいた家を、歩いて、探し求めた。
それらしきところを探したが、見つからず、足が重たくなってきた。

すると、道路の向かい側の家を見つめて、じっと立っている女性がいた。

幼稚園バスが到着し、園児と女性が去った場所に立ち、その家を見つめた。

探し求めていた家が、そこにあった。
周りの風景が一致していた。

死後2年半が過ぎ、家は取り壊されて、跡地には別の家が新築されていた。
苦労して住んでいた場所を見つけて写真を撮ったものの、この写真は使えないことは分かっていた。

電車で帰ろうと、駅の改札で、スイカが弾かれた。2度目で気付いた。手に持っていたのは、郵貯カードだった。疲れていた。
久しぶりに小銭で切符を買い、電車に乗って帰宅した。

ーーーーーーーーーーーーーーー
その夜、就寝中の午前3時にひらめいて、目覚めた。

Googleのストリートビューで探せば、その場所の過去の映像が残っているのではないか。

過去数回撮影された映像が、10年前まで残っていた。撮影地点を変えれば、別の写真が得られる。(写真は全てGoogleです)


上の写真は2010年2月。
夫の前田亜土さんが亡くなった頃のもの。
玄関の灯りは、夫を待っているのだろうか。

森田童子の活動期間は、1973年(20歳)の西荻ロフトから1983年(30歳)の新宿ロフトまでの10年だと思う。

8年間の地方都市コンサートは、舞台設備のない小劇場、幼稚園、集会場が多かった(朝日新聞「夜想曲」より)

引退後、この土地に新しい住居を構え慎ましく暮らしていた。

この家で、ギターを手に自分の気持ちを歌うことはあったのだろうか。

家の外周とフェンスの間には、植物がいっぱいで、大きく歩道にはみ出した大木もある。壁には夏蔦が繁っている。
幸せを感じる。

表札には、手書きで「前田」とある。
イラストレーターだった前田さんの直筆かな。森田のサインとは「田」の字体が違う。

その後の写真を観ると、持病のせいで、手入れが大変になってきたのか、庭木は少しずつ消えていった。

亡くなった後の2018年6月には、蔦が2階の窓まで覆っていた。


2019年5月、家から鳩が飛び立つのをレンズは捉えていた。

マザースカイのサブタイトルは、「きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか」だった。

「悲しみの青い空を、飛んでいくのか」と、童子が問いかけているように感じた。


街の緑が教えてくれる

2020-11-18 | 
歩いて見つけた緑です。

住宅地の向こうに大きな樹木がある。

神社の境内ですね。
お詣りもしておきます。

立派な庭のあるおうち。地主さんかな。
石と樹木があるから、フェンスがないね。

古い団地のけやき。


特別緑地保全地区。

これは、玉川上水(右下を流れる)。
367年前、四谷までの難工事を請け負った(玉川)兄弟が、自宅売却してまで完成させた功績で玉川姓を貰ったそうです。今も水道局が管理しています。

送電線の下の樹木群。
剪定していたおじさんに「キンモクセイですか?」と声をかけた。
通り行く人々を、花と香りで楽しませてくれる。

こちらは、野火止(のびどめ)用水。
玉川上水から分水して、武蔵野台地の新田開発に役立ちました。

残された緑は、神社、送電線、上水など街を支える永続性がある施設に付随するもの
街の歴史も教えてくれる存在で、大切にしていきたいですね。

工芸2020 東京国立博物館

2020-11-15 | 
日本の芸術文化を世界に発信すべく、現代の工芸作家が、それぞれ1作品を展示する工芸2020に、行ってきました。

上野駅で公園口に降りて、公園内を東に歩くと国立博物館の表慶館があります。

 銀打出花器「海峡」2013大角幸枝 金工

柏葉蒔絵螺鈿六角合子 2014室瀬和美 漆工


 生と静(特別出品) 2012宮田亮平 金工


 切金砂子彩箔「凛」 2015月岡裕二 截金


 海から天空へ 2018奥田小由女 人形


 黒陶「夢見る童」飾壺 2014大樋年朗 陶磁

最初の部屋だけ写真撮影が可能でした。
他にも素晴らしい作品がたくさんありました。

大きなユリの木(原産地北米)です。1881年(明治14年)に植えられたそうです。

今日が最終日ですが、事前予約で人数制限しているので、ゆっくりと拝観できました。

昼ごはんは三密を避けて、上野駅で駅弁を買って、自宅で頂きました。

     金目鯛西京焼弁当
美味しい。

iPhone内臓アプリ (ヘルスケア)

2020-11-14 | 健康
毎日、1万歩目指して歩いております。

iPhoneの内臓アプリで、スマホをポケットに入れて歩くだけで、自動的に様々なデータが記録されて便利です。

直近の記録の棒グラフを、データでも見れます。

歩数だけでなく、歩いた距離、歩行速度も教えてくれます。

時速5.4キロって普通なのかなあ。
急いで歩いたけど、前を歩く若いお兄さんの足の回転が早く、追い越せなかった。

そんな疑問に答えるように、さらに詳しく教えてくれます。

昨日の12-13時で、最高7.1km/hだった。
頑張った急ぎ足が、数字で分かるね。

それに、健康状態も診断してくれる。

歩行非対称性とは、片方の足が遅れたり速くなったりした時間の割合。少ない方がいい。
0.62%の数値の意味は何かを指摘するものではないが、今後の比較対象として価値がある。

歩行両脚支持時間とは、歩行中に、両足が地面についている時間の割合。
一般的に、20-40%と書いてある。

おおー中間値。
両足が同時に着いていないと反則を取られる競歩の選手ともなると、この値が100%に近いのかね。

歩幅は、86センチ。足が短いのかな〜。
100センチを超えて歩けない。

上った階数は、2階。
解説によると約3メートルの高度で16段とある。
思い返せば、歩道橋が記録されたね。


iPhoneのホーム画面から、「設定」ボタンを押し、「プライバシー」を選択すると、1番下の方に「モーションとフィットネス」があります。

これを押すと、次の画面が表示されます。
トラッキングとヘルスケアの2つとも、文字の右のスイッチを押すと、画面と同じように緑色に変わり、これで完了です。



国立へ

2020-11-11 | 
今日は、歩いて国立へ。

努力が実って、新しい駅の前に、旧駅舎は復元保存され、休憩所になっています。

駅舎などの歴史解説もあります。

国立といえば、大学通り。
高校生の頃、駅から南へ、通った。

夏休みには、柔道着を肩にかけて、下駄を履いてカランコロン。

国立は、約100年前に箱根土地(プリンスホテル)が開発した学園都市。
緑地帯は、今もプリンスホテルの土地だが、美しい桜並木は地元の人が植えたもの。

部活や体育の授業で、学校の周りの道路を走った。
おおー 今でも走ってる。
柔道部は裸足で走ってたけど、今はどうなのか。

緑道を散歩

2020-11-10 | 
今日は近くの緑道を歩いてみました。
基地への引込み線跡を、40年前に遊歩道にしたそうです。
ここを歩くのは、10年ぶりです。

おおー、もみじがきれいに紅葉しているのか!

樹名板の「ノムラカエデ」を調べたら、紅葉ではなく、元来こういう色のカエデだった。勉強になるね!

おっと、後ろから自転車が。

Uber  eatsの自転車だった。

周辺は住宅地になっているけど、昔はここのように畑だったのだろう。ニンジンかな。

こちらは、ドウダンツツジだね。庭木を生産しているね。

赤い実を、たくさんつけた大木に出会いました。
この時期で赤い実はピラカンサかな。
でも樹形が丸いので違うかもしれない。
思い切って聞いてみました。

「こんにちは〜」
「立派な木ですね。ピラカンサですか?」
と呼びかけると、草むしりの手を休めて、「クロガネモチ❗️」と答えてくれました。
「ありがとうございます。」

勉強になったなあ。
見たことのない立派なクロガネモチ。

街路樹や緑道の樹木は、根が横に大きく広がれず成長が制約されるので、このように枝張りの立派な大木になるのは難しい。
ここは畑地だから大きく育ったんだね。

クロガネモチの根があるので、耕作が難しく、作物は育ちにくいだろうけど、きっと自慢のクロガネモチなんだろうね。

盆栽園の沖縄

2020-11-09 | 沖縄のくらし
盆栽園で、沖縄の樹木を見つけました。

上はブーゲンビレア。
樹約30年。
花色は、名護博物館のブーゲンビレアと同じだね。

  (名護博物館のブーゲンビレア)

こちらは、モコモコ絡まる樹幹のガジュマル。
枝から垂れた気根が混ざったのかな。
「絡まる」が、ガジュマルの語源とも言われています。



ガジュマルは沖縄にはたくさんありますが、有名なのは名護の「ひんぷんガジュマル」。

  (名護市のひんぷんガジュマル)
「ひんぷん」は屏風の意味で、樹木の前にある石碑のことです。
遷都論(琉球王国の都を首里から名護へ移す)を将来も否定するため、1750年に蔡温が残したものです。

今では、石碑よりもガジュマルの方が、ひんぷんに見えますね。

アクセス数が多かった テンペスト

2020-11-08 | 沖縄のくらし
ブログのアクセス数が、昨日は2482pvと多かった。

不思議だったので調べて見ました。


テンペストが一位で331pv、ハリーポッターが続いている。

テンペストは琉球王国を舞台にしたドラマ。テレビを見て、いろいろ記事を書いた。
ハリーポッターは、原作と映画の違いを記事に書いた。

いずれも10年前の記事ですが、テレビで放送されると、時々ブログ検索されるようです。

時間帯を見ると、17時が多いですね。
再放送が終了した時刻かな。

これ以上は辿れない。
それで、テンペストの最終回のテーマ「永遠の太陽」でググってみました。

NHKドラマのアンコールで昨日、再放送が
あったことがわかりました。
並んで、ブログが表示されていました。

放送が終了した時刻が17時台なので、途中から観た方が、どんなストーリーなのか調べたついでに、ブログに立ち寄ってくれたのでしょうか。

テンペストは琉球王国を舞台にしたとても面白い作品なので、多くの方に観ていただければ嬉しいと思います。