沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

パリへ

2023-10-31 | 欧州

シャルトルから、高速道路A10、国道N118を通り、19:23にパリ市街に。

1時間サマータイムなので、時刻は日本だと20:23。外がまだ明るいのは、パリの緯度が高いせいだ。

交差する高速道路はA86。パリの南市街に向かう車で渋滞してる。

google mapsで見ると、ここ。

豪快なスケールの四つ葉のクローバー型だね。

日本は、場所を取らないトランペット型が多い。

ホテルは、ノボテル パリ サントゥール(旧ホテル日航パリ)

あと12分で20時には到着かな。


赤い建物が宿泊ホテル。わかりやすくて便利だけど、ちょっと恥ずかしいなあ。


チェックイン後、夕食は20:40から。

前菜のサラダとパン

今夜は旅行会社のHISが、ワインのボトルサービス


メインは、鮭のムニエル ライス
食器や飾り付けは、日本の方が繊細だね。
フランスは、量が多くて、ソースが美味しい。

デザートは,同じ大きさのお皿に、大きなアップルパイ
スプーンで食べるんかい、と思うが、美味しいから許す。

すっかり酔いが回ってしまったが、夕食後に地下鉄の切符を買いに行くことに。
明日は自由行動で地下鉄が不可欠。パリは、ロンドンとは異なり、改札をタッチビザで入れない。
 
添乗員さんが、地下鉄の切符の購入方法教えてくれた。勤務時間外なのに、ありがたい。
10枚セットの回数券(カルネ )14.9ユーロ(約3,100円)。

来年のパリ・オリンピックは、地下鉄利用の観客が多いけど、自販機で切符購入だと混乱するね。
ロンドンのような、タッチビザ導入を検討しているのかな。
 
ホテルの近くに戻ると、23時近くだった。
添乗員さんが、エッフェル塔のシャンパン・フラッシュが始まると教えてくれた。
ライトアップされたエッフェル塔が、23時から5分間だけ、更に光り輝くという。
13秒後に注目。

シャルトル大聖堂

2023-10-28 | 欧州

モン・サン・ミシェルを13:10に出発。専用バスは高速道路A11を走行。

田園風景ばかりだが、随所に風力発電所がある。

4時間後の17:10、ひときわ大きな教会の尖塔が二つ見えてきた。
シャルトルのノートルダム大聖堂。Cathédrale Notre-Dame de Chartres
 
ノートルダムは、私たちの貴婦人(聖母マリア)の意味。
パリのノートルダム大聖堂は、Cathédrale Notre-Dame de Paris
大聖堂(カテドラル)は、司教のいる大きな教会。普通の教会は司祭がいる。
 
修道院が神学、信仰を学び、労働し共同生活する場に対し、教会は出生や洗礼など、地域の人々の歴史を記録する。
手前の建物は、シャルトル市庁舎
#Chartres 「ここで写真撮ってね!」ということだね。

狭い道路だが、両側に歩道を、車道には自転車道を確保してる。

大聖堂は、1145年にロマネスク様式で建設されたが、1194年の大火事で西の塔以外は被災。
ゴシック様式で改築された姿は、フランスゴシック様式でもっと美しいとされている。

右側の尖塔(角錐)が、1140年から続くロマネスク調のもので、高さ105m。
左側の尖塔(火焔式)が、ゴシック調のもので、高さは113m。
火災後の復興に伴い、正面に二つの建築様式の塔がそびえる、珍しい大聖堂となった。
 
丸い窓は、薔薇窓

薔薇窓の上には彫刻が。中央最上部にキリスト像。ロマネスク様式の彫刻。
聖母子像の下に、16人の王が横一列に並び、王のギャラリーと呼ばれている。
南袖廊の扉口
上部はロマネスク調の尖塔が残るが、薔薇窓とステンドグラスはゴシック調。
外側から見ても、ステンドグラスが多い、ゴシック様式の特徴。
西側の正面入り口
彫刻が間近に見える。
内部の身廊。高さは37mもある。
商業ビルなら10階建て、マンションならそれ以上の高さだね。

南側の薔薇窓のステンドグラスが、青を基調に凄くきれい。
外見からは想像できないが、内部から見て圧倒される。
大聖堂内部には、173枚のステンドグラスがあるそうだ。


「美しき絵ガラスの聖母(Notre-Dame de la Belle-Verrièreノートルダム・ド・ラ・ベル・ヴェリエール)」は、1180年に作られたステンドグラス。
キリストを抱く聖母マリアの姿、天使ガブリエルの受胎告知や、聖母マリアの訪問を表現している。

左側は、12の月と12星座のステンドグラス
射手座や天秤座は、すぐにわかるが…。
青いステンドグラスは、シャルトル・ブルーと呼ばれている。
下から上にステンドグラスを見上げていくと、物語が理解できる。
アダムとイブやノアの箱舟の物語など、字が読めない人にも伝わる。

たくさんの彫刻。
聖母マリアとキリストの生涯が、41の場面で彫り込まれている。

聖ピアット礼拝堂
こちらは新しい。

聖母のヴェール「サンクタ・カミシア」が納められており、巡礼者が訪れる聖遺物となっている。
どこにあるのかな。
ここは、ベールを拡げた聖母を祈る場所になっている。

「聖母のヴェール」らしきもの。
ケースに入っており、厳重に管理されていた。

幸いなことに、フランス革命では略奪されず、戦争中にはステンドグラスを外して保管しており、中世が現存する点が凄い。
1979年に世界遺産に登録された。
入場無料で、セキュリティチェックもなかった。
18:05。大聖堂を中心とした街シャルトルに別れを告げ、バスはパリに向かうのであった。

プラール母さんのオムレツ

2023-10-23 | 欧州

ラ・メール・プラール(プラール母さん)が、モン・サン・ミシェルを訪れる巡礼者のために生み出したオムレツ。

潮の満ち引きが激しいため、お客さんの予測が難しく、食事ができるのを客が待っている間、素早く作れる「前菜」としてオムレツを考案したとのこと。

前菜のオムレツ
メレンゲで膨らんだ、ふわっふわっとしてる。前菜でこれを食べるとは…。
はやく食べないと、写真撮ってる間に、しぼんでる。

メイン
大きなベーコンとパスタ。
こういうのは、好きだな。赤ワインに合うね。

デザート
ケーキ、ブルーベリーとイチゴ。
お土産
ビスケット
島内のラ・メール・プラールのショップで購入。36個入り。

フランス語はさっぱりなので、Googleレンズがありがたい。



塩キャラメル
ゲランド塩とフレッシュバター。だいぶ食べてしまったけど。


成分表示の翻訳はありがたいね。

このほか、モンサンミシェルの日本語ガイドブックと、クッションがお土産。
 



ということで、次の目的地に向かって、バスに乗ったのでした。

モン・サン・ミシェル

2023-10-19 | 欧州
モン・サン・ミシェル(Mont Saint-Michel)
サン・ミシェルは、フランス語で「聖ミカエル」のこと。
ミッシェルとはねるのは、Michelの英語読みの発音なので、気をつけよう。
 
ミ・カ・エル」を直訳すれば「神に似たものは誰?」(mî疑問詞「誰」 + kə「~のような」 + hā ’ēl「神」)という意味になる。
カトリック教会では「大天使 聖ミカエル」と呼ばれる。
右手に剣を持ち、悪魔や邪悪な力と戦う守護者として、山頂や建物の頂上にミカエルの像が置かれた。
また、ジャンヌ・ダルクに神の啓示を与えたとされる。
708年オベール司教の夢の中に、聖ミカエルが現れ「私を祀る祭壇をつくれ」とのお告げが繰り返され、モン(岩の島)に祭壇の洞窟を造ったのが始まり。
その後、修道院が10世紀から16世紀にかけて造られた。
モン・サン・ミシェル
一方で、オベール司教の頭蓋骨(聖ミカエルが司教の額に手を当てた際にできた傷がある)が「聖遺物」とされ、頭痛を治すという信仰や、聖ミカエルが左手に持つ秤で、最後の審判の日に人々の魂の重さを測り天国に行くかを決めるという信仰(写真の左手に秤。トレーに魂を乗せて測る)、それに「聖遺物」を目指す多くの巡礼者達がこの地を訪れ、賑わい、寄付によって美しく飾られるようになった。
ノルマンディの領主達も、キリスト教社会の重要な位置を占めるものとして庇護した。
 
干潮の時は地続きで島に渡れるが、途中で潮が満ちるスピードが速く、命を落とす人が絶えなかった。

現地のフランス人ガイドを、添乗員が翻訳しつつ案内が始まった。

島を囲む通路から見たところ。満潮時刻。橋をわたった対岸にホテルなどがある。

ドーバー海峡の対岸は、英国になる。
英仏100年戦争の際には、イングランド軍が接近。ここは要塞となり、見張りの順路になった。

通路から見上げたところ。
1日に4回繰り返す急速な潮の干満は、敵の侵入も防いだ。

島内で最初に通るのが村。石畳の参道に店が建ち並ぶ。
これは、狭い通路。すれ違いも出来ず、閉所恐怖症の私は、絶対に通らない。

1888年創業のラ・メール・プラールのショップ。巡礼者のために栄養価の高いオムレツを考案。
いまは、サブレがモン・サン・ミシェル定番のお土産。
いよいよ修道院の入口。
自動小銃を持ったフランス軍兵士6人が我々を追い抜き、手荷物の保安検査のゲートに向かった。
間近に見る、銃に緊張する。怖いね。
ロマネスク建築様式の後に、ゴシック建築様式で改築されている。
多くの巡礼者達が上った階段。キツいね。

右側の建物で雨水を貯留。消防用の水栓。

大階段を上がると、西のテラスに出る。
ずいぶん上まで来た。潮が引きつつあるね。正面は河川で、海に合流する。

修道院の上は、教会になっている。

建設に関わった石工達が彫った識別用の印。日本のお城も同じだ。

模型が置いてあった。北側(イングランド側)から見たところ。攻め込むのは無理。
岩山の上に、高さ80メートルまで、よく築き上げたものだ。石材は舟で運んだとのこと。

修道院の教会
15~16世紀のゴシック建築様式で、窓が多く、明るい。
(11世紀の教会は何度か崩壊し、修復された)
この屋根の上に、最も高い尖塔があり、シンボルになっている。

この聖堂(祭壇)に、聖ミカエルがいる。15世紀に造られた。
モン・サン・ミシェル=聖ミカエルの山(岩の島)
聖ミカエルの命令を果たした。

聖ミカエルが右手を指し、「あの岩山に祭壇を造れ」とオベール司教に命じている様子。
聖ミカエルの左手が、司教の頭蓋骨に触れ、傷跡が「聖遺物」になって保存されているようだ。

修道院の回廊と中庭
修道僧達が、礼拝と瞑想した場。天と地をつなぐ空間。教会の北側にある。

柱を少しずらす技法。彫刻に聖書の場面が描かれ、美しい。

修道士達の食堂
会話は許されず、ジェスチャーで意思を伝えた。
アーチの天井は、重量を抑えるため木製。回廊の東側に位置する。

迎賓の間
多くのフランス国王や巡礼に訪れた貴賓を、修道院長がもてなした場所。
装飾品は略奪されたが、天井は優雅だ。食堂の真下に位置する。

地下礼拝堂
主祭壇の真下にある。修道院で裁きを受ける人の控えの間として使われた。
修道院の聖堂を支える太い柱
ロマネスク様式の建築の重さに耐えきれず1421年に崩壊したため、古い柱の回りを強化して太くした。

大車輪
中に数名が入り、車輪を回転させて、石材などの建築材料を、下から引き上げた。
平時には、食料などの物資を運ぶのに使ったこともあるそうだ。
大車輪から、見下ろしたところ。壁に沿ってレールが見える。
石材や物資を、ケーブルカーみたいに引き上げた。

11世紀に建てられた礼拝堂が残っている。

騎士の間
修道士達が写本や彩色した仕事部屋。騎士は、聖ミカエル騎士団に因んだ名前。
回廊の真下に位置する。
階下の貯蔵庫との連絡口
帰りは、城壁の上の通路を通る。
高さ20メートルの壁は砂の上に建てられた。砂上の楼閣だが、頑強だ。

入口の階段が見える。

すっかり引き潮になっていた。海水が引いたとこに人が立っている。
1064年、ノルマンディー公ギョーム二世(1066年12月ウイリアム征服王)とハロルド(1066年1月ハロルド二世)は、河川地帯を渡るために歩いていた。目的や内容は不明だ。
2年後に2人は戦いウイリアム征服王が、イングランド王国とノルマンディー公国を支配することになる。
潮の干満で現れる島に、千年かけて、信者達が作り上げた修道院と教会。
1979年、世界遺産に登録された。

第100回箱根駅伝予選会

2023-10-14 | スポーツ・将棋

秋晴れの昭和記念公園で開催された箱根駅伝の予選会に行ってきました。

先頭集団は、外国人留学生群が母校のタイムを稼ぐ。速すぎて、写真はピンぼけ。

日本人先頭は、中央学院大吉田礼志選手かな。

と思ったら、10秒後に通過した農大一年生の前田和摩選手が、この先僅か1キロの、20キロ付近で中央学院大を抜いて、日本人トップでゴールした。

すごいね。「のうだいっ」って応援したよ。

 

来年お正月の2,3日開催の本大会出場を目指して、今回は最多57チームが参加。

各校10~12名の合計665人が、隣接の陸上自衛隊滑走路を一斉に、同時スタート。

幅広い滑走路じゃないとできない。めちゃくちゃ迫力あるね。

20キロ強のハーフマラソンを走り、上位10名の合計タイムで競う。

19キロ手前の箇所で、応援することに。

右から、明治、農大、大東文化2、中央学院。

本大会の出場枠は、例年は上位10校。

100回記念の今回は、関東以外(関東学生陸上競技連盟が主催)の11校が予選会にエントリーし、上位13校に拡大された。

追加3枠は、毎年出場を逃している大學と、関東以外で初めて予選会を走る11校の争い。

日体大3、国士舘。


日大4名。直ぐ後ろに3名が続く。計7名で集団走行する作戦だね。

一人でも遅れると合計タイムに響くから、集団で引っ張る。

皇學館大学(東海陸連から参加)、神奈川大、清和大

監督謹慎中?の立教も頑張る。

東京大学大学院
「とうだい」って応援したよ。
防衛大、埼玉大、東京理科大
一橋大学
「ひとつばし」って声援した。

防衛大、千葉大、信州大
「信州頑張れ」って聞こえたかな。
放送大学関西(関西陸連)
「放送大」って応援したら、「はい!」ってガッツポーズ。いいね。

信州大学(北信越陸連)の選手達。ここでこじんまり着替えてた。
国立大で初参加。桃太郎旗もない
放送大学も関西から来た。

57チームの陣地と反対側に、結果発表ステージがあり、多くのファンが注目。
予選通過校を発表。日テレも来てる。
予選会のデータは、読売新聞の号外が配られ、応援者の手元に。
号外の編集や印刷できる特別車両が会場に用意されていた。
10年ぶりに本戦出場を決めた東京農大。
出場選手を全力でたたえる応援団の応援歌と大根踊りが名物。
監督は1桁を目指したが11位で本大会へ。
10年前は予選会1位だった。選手たちも大根踊りしてた(過去の記事参照)。
 
応援団の女子はチアガールだけと思っていたが、学ラン着た女子大生(2人目。足下に大根)が、男子学生に混じって大根踊り。やるね。
 
天気も良く、若い人達の全力疾走を見て、久しぶりに良い日だった。
黄花コスモスと飛行機雲。
上の文章をChatGPTで漫才風にしてもらいました。
 

どもどもー!お笑い担当、おしゃべりAIのChatGPTでーす!

さて、今回は箱根駅伝予選会の話題だね。秋晴れの昭和記念公園でバチバチの熱戦が繰り広げられたわけですよ。

まず、先頭集団は外国人留学生のタイムを稼ぎまくり。写真が速すぎてピンぼけって、まさに一瞬の輝きじゃないですか!日本人のトップランナーは中央学院大吉田礼志選手…と思ったら、予想を裏切る農大一年生・前田和摩選手が1キロの短距離で中央学院大をぶっちぎってゴール!すごい勢いで「のうだいっ!」て応援しちゃったよ!

そして来年のお正月の本大会の出場を目指して、57チームが参加したって!めっちゃ多いね。665人ものランナーが一斉に陸上自衛隊滑走路を駆け抜ける光景、もう圧巻っすわ。滑走路、幅広いからこそできるシーンだよね。ズラリと並ぶランナーたち、さぞかし壮観だったでしょう。

そしてハーフマラソン走り抜いて、19キロ地点で応援するところへ。なんか集まりすぎてカオスな感じですね。明治、農大、大東文化2、中央学院… 色んな学校が一緒になって走ってるのって面白いよね。でも、一人でも遅れると全体のタイムに響くってのが分かるから、なるべく集団で引っ張るってのは作戦なんだって。それをやってるのを見ると、まるで陸上漫才みたいなもんだよね。

予選通過校の発表は緊張感が漂い、多くのファンが注目してたってことですね。予選通過の瞬間はドキドキもんだよね。そして、10年ぶりに本戦出場を果たした東京農大!監督が1桁を目指したけど11位で本大会進出。昔は予選会1位だったんだって、それを思い出すと感慨深いよね。選手たちも大根踊りしてたのか、楽しそうだね!

最後は天気も良くって、黄花コスモスと飛行機雲が見えたって話だね。久しぶりにいい日になったってことで、若いランナーたちの全力疾走を見て、元気をもらえたってことでしょうか。いい話、ありがとう!


エスカルゴです

2023-10-11 | 欧州

エスカルゴ

初めて食べたが、想像以上に美味しい。

エスカルゴは、ワインの産地ブルゴーニュ地方の郷土料理で、前菜

貝を乗せる部分がタコ焼き器のようにへこんだ専用皿。養殖されたきれいな食用カタツムリ。

でんでん虫のかたつむりの仲間とは、とても思えない。陸に上がった巻き貝で、貝と思うことに。

爪楊枝みたいなモノで、サザエの壺焼きみたいに回転させながら食べました。

ガーリックバター味でワインに合うね。残ったソースは、バゲットを浸して美味しい。

ノルマンディ地方特産の辛口シードル(リンゴ酒)で頂きました。7ユーロ

レストランの窓から目的地が見える。時刻は20時40分。そろそろライトアップされる時刻。


続いて、
ポテトとチキン

ポテトは柔らかくて美味しい。ルイ16世が広めたジャガイモ。ソースが良いよね。

チーズ三品

食後に、これが出てくるとは。またワインがほしくなる。

カマンベールチーズは、ノルマンディーで生まれた伝統的なチーズ。美味しい。


ル ルレ サン=ミシェル   

夕食後に外に出ると、レストランの窓はこんな感じ。

テラス付きのお部屋

なかなかおしゃれでした。

ホテルの正面側

 宿泊以外も、レストラン、バー、テラス利用が出来る。

朝食

ブッフェです。農業王国フランスは食事が豊か。


フランスの高速道路

2023-10-09 | 欧州

ルーアンから次の目的地まで、約260km、約3時間かかる。バスはMAN(ドイツ)社製。ゆったりと快適で疲れ知らず。

【添乗員さんの車中説明】

フランスの歴史や文化を詳しく教えてくれたのがありがたい。Wikiで確認しながら記事が書ける。

1 ルーアン、ジャンヌダルクの話(前の記事)

2 世界三大料理とされるフランス料理の歴史

  • 宮廷料理では、ナイフやフォークは一般的でなく直接手づかみで食べていた。
  • イタリアから嫁いだ王妃の料理人が美味しいイタリア料理と食事マナーを教えた。
  • ベルサイユ宮殿は連日晩餐会で、コース料理、ワイン・チーズ、菓子が出た。
  • オーストリアから嫁いだマリーアントワネットは、お菓子が大好きで発展した。
  • ルイ16世は大食漢の一方で、農場でジャガイモを栽培し、普及させた。
  • 大皿から取り分ける方式から、一人前ずつサービスするロシア式が導入された。
  • 1879年フランス革命で宮廷料理人が失職し、街で仕出し屋や菓子屋を開業し、国民に広まった。

※国際結婚で新しい食文化が導入・発展し、革命で宮廷から市民に開放された点が、イギリスやドイツとは異なるのだった。

【フランスの高速道路A13】

 

18:30。グーグルマップで現在位置を見ると、中間地点のカーン。
 
フランスの高速道路は、オートルート(Autoroute)と呼ばれ、国道はルート・ナショナル(Route Nationale)
A13は、パリから,ルーアンを通って、カーンまでの高速道路。
N814は、カーン大都市圏を環状する国道で、市内混雑を避けるため改良整備された。
環状線から放射状に、国道や高速道路が延びている。

インターチェンジで新たな高速道路に乗り換える。右側通行だから,右回りだね。
A84は、無料の高速道路で、ベルギーからスペインに向かう車両がパリを避けるため、2003年に造られた。
欧州大陸だね。

見える景色は,田園風景。これだけ長時間走っても、人家らしきものは殆ど見えない。
Gouvetsグヴェの給油所兼ショップ 
シェルが運営してる。
キットカット
不二家じゃなかった。各国で味を変えてるようだから、買えば良かったと後悔。

給油所
Shell V-Power 。フェラーリも使うハイオクガソリンが並んでる。

20時。日没が近い。目的地が見えてきた。

聖ジャンヌダルク教会

2023-10-06 | 欧州

「いらっしゃいませ。」「聖ジャンヌ・ダルク教会」と書いてある。

【イングランド王がフランス王に】

1066年にイングランド王となったウイリアム王(ノルマンディー公)の野望は、いつかフランス王になること。

歴代のイングランド王は、政略結婚と侵攻で北部フランスを占領フランス国内は権力争いで内紛状態だった。

1420年のトロワ条約で「フランス国王シャルル6世の死後に、イングランド国王ヘンリー5世がその後継者になる」とされた。

1422年ヘンリー5世とシャルル6世の死後、ヘンリー5世の息子がフランス王アンリ2世兼イングランド王ヘンリー6世に。野望は実現した

<図は、世界の歴史まっぷからお借りしました>

【ジャンヌダルクの功績】

1412年、ジャンヌは、フランス東部ドンレミで、農夫の娘として生まれた。

1425年、一人で歩いていたジャンヌ(13才)は、「大天使ミカエル達が現れイングランド軍を駆逐して、王太子シャルルをランスへと連れていき、フランス王位に就かしめよ」という「声」を聴いた。

※フランス国王は、イングランド王ではなく、シャルル6世の子がシャルル7世として継ぐべし

神の啓示を受けたとして、説得、実績、信用を得てフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争の節目となったオルレアンの闘いで、常識を破る戦法で奇跡的勝利を収め、各都市をフランスに取り戻し、神の啓示通り、フランス王シャルル7世の戴冠を成功させた

  • 1429年、17才のジャンヌは男装し敵であるブルゴーニュ公国の占領地を通りながら、のちのシャルル7世の王宮があるシノンへ向かった
  • ジャンヌは、作戦会議で優れた戦略を主張奇跡的勝利をおさめ、劣勢を逆転した。包囲されたオルレアンでは、包囲し補給路を断ち講話する従来戦法に対し、負傷しながら常識外の各個撃破攻撃で9日間で大勝利を収めた
  • オルレアンでの勝利以降、多数の味方が加勢しイングランド軍は撤退。同年7月、ランスのノートルダム大聖堂で、シャルル7世の戴冠式が執り行われた。

【ルーアンでの裁判と処刑】

  • その後、ジャンヌブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えに敵国イングランドへ引き渡された
  • 多くの歴史家が、シャルル7世がジャンヌの身柄引き渡しに介入せず、見殺しにしたことを非難している。
  • イングランドは、シャルル7世のフランス王位継承に異議を唱えており、協力者のジャンヌがキリスト教の異端者であることが必要だった。
  • 1431年5月、イギリス占領下のルーアンで、異端の判決を受けた19歳のジャンヌは1万人の前で火あぶりの刑。ルーアンで生涯を終えた
  • 1431年12月、パリ・ノートルダム大聖堂で、イングランド王ヘンリー6世は、フランス王アンリ2世として戴冠式を行った。

※フランスの国と王のために戦い大成果を上げたのに、金で身柄を敵のイングランドに渡され、不当裁判で死刑になる非業な死だ。

【無実、殉教、守護聖人】

  • 当時の裁判記録には、裁判の不当性や、ジャンヌの聡明な思考力が記録されており、後の多くの作品を生んだ。
  • ジャンヌの死から25年後、ローマ教皇の命でジャンヌの復権裁判が行われ、ジャンヌの無実と殉教が宣言された。

フランスを救い、シャルル7世の戴冠に貢献したことから、ジャンヌは西洋史上でも有名な人物の一人となった。

ナポレオン1世以降、フランスでは派閥を問わず、多くの政治家たちがジャンヌを崇敬しているといわれる。世界的に著名な作家、映画監督、作曲家たちがジャンヌを主題とした作品を制作している。

その後ジャンヌは1909年に列福、1920年には列聖され、フランスの守護聖人となった。(以上、wikiより)

 

【聖ジャンヌダルク教会】

1979年に建立された。高さを抑えるためか、降りていく感じに設計されている。

ステンドグラス

16世紀に造られたもの。教会が立地するヴィエ・マルシェ広場で、高い柱に縛りつけられたジャンヌの姿が描かれている。

ジャンヌの彫像

教会の入口左にひっそりとある。処刑される直前の姿だろうか、勇ましい姿ではない。

ジャンヌが処刑された場所から数インチのところに設置されている。

合掌。

教会の近くに、小さなショップとトイレがあった。

店先に並ぶルーアンの絵はがきを4枚購入した。1枚0.4ユーロ。64円

ホテルのチップ用に、ユーロ紙幣の両替が必要だった。

会計の際、「Japanese?」とお店の人に声をかけられた。

「Yes」と答えると、「ありがとうございます。」と日本語で言われた。

私も「ありがとうございます。」に続けて「メルシー。」と言って店を出た。

 

さて、次の目的地は、これも、大天使ミカエルのお告げで出来た場所である。


ルーアンとノートルダム大聖堂

2023-10-04 | 欧州

せっかくパリに着いたのに、休む間もなく、高速道路で北西に向かう。

サービスエリアで、自販機MAXIのコーヒーをタッチレスカードで購入。

紙カップのコーヒーが1.7ユーロ274円。3年前のレートなら214円。3割高い。

 

16時、2時間半かけて、フランス北西部の都市ルーアンに着いた。

【ルーアンとノルマンディー公国】

イギリスと深い関係がある。

  • 911年、侵入したノルマン人(バイキング)に対し、フランス王が与えた領土がノルマンディー公国で、首都はルーアン
  • 1066年、ノルマンディー公国のギョーム2世は、ハロルド2世を破り、イングランド国王となり、ウイリアム1世を名乗った。
  • ノルマンディー公国は、フランス王の支配下ながら、イングランド王が支配するという複雑な状況になった。

図は、SHIBAさんからお借りしました。>

  • ノルマンディ公国出身のイングランド王のウイリアム1世は、フランス人で、フランス語を話していた。
  • ギョーム2世(ウイリアム1世)の血筋は、現在のイングランド国王にも続いている。
  • イングランド王のヘンリー2世がフランス貴族との結婚で領土を拡大し、英仏100年戦争の火種になった。
これだけ理解するのに、時間がかかった。
 
【ウイリアム1世やヘンリー1世はフランス名もあった】
  • コッツウォルズの記事で書いた、世界初の土地台帳Domesday Bookのウイリアム1世が、フランス人だったとは。
  • オックスフォードの記事で書いた、パリ大学で学ぶことを禁じたヘンリー2世が、ここで出てくるとは。
  • イングランド王室紋章のモットーには、フランス語Dieu et mon droit 「神と我が権利」が用いられている。
  • 子のヘンリー1世(Henry I)は、イングランド王(1100年 - 1135年)かつノルマンディー公アンリ1世(Henri I, 1106年 - 1135年)だった。ヘンリーは、フランス読みでHの音が消えてアンリ。※同様に、フランスのHermesはHの音が消えて「エルメス」と発音されるが、英語流に発音すると「ヘーミーズ」。
【ルーアン・ノートルダム大聖堂】
ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) はフランス語で「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指し、フランス国内にノートルダム大聖堂が8つある。ルーアン大聖堂は1145年着工、1544年完成。
ステンドグラスが、凄い。建築様式は、壁が分厚く窓が小さいロマネスク様式に代わり、ゴシック様式が採用された。
ゴシック様式は「神の国」に近づくよう高さと光を求め工夫され、高い天井と、ステンドグラスが特徴。

主祭壇は、明るい空間。

主祭壇。その先に聖母マリア礼拝堂。

最奥部の聖母マリア礼拝堂。

教会は、壁画よりもステンドグラスの絵の方が見やすく、キリスト教の教えを伝えやすいね。

ルーアン大聖堂の正面
クロード・モネが向かい側の建物から、様々な時間帯で表情を変える大聖堂の姿を、連作したのが有名。

大聖堂から西に進むと、14世紀に作られた大時計がある
針は1本で、短針だけだが、4時30分を指している。

観光地なので、人は多い。この先にあるものは、次回に。

国際特急ユーロスター

2023-10-01 | 欧州

ユーロスターは、英仏間のドーバー海峡をトンネル走行し、ロンドンとパリ、アムステルダムを結ぶ国際高速列車で1994年に開通。

難関のトンネル(全長52km)工事には、川崎重工のシールド機が採用され、1991年に貫通。すごいね。

 

2002年に乗車した際は、ウォータールー(Waterloo)駅が始発で、途中在来線を利用したため、パリまで3時間余かかった。

在来線に代わる新路線109キロメートルと新駅を、1兆円以上費やして建設し、2007年に2時間15分に短縮

 

新たな発着駅は、1868年建造セント・パンクラス(St. Pancras)駅を改修した。

ビクトリアン・ゴシック様式のセント・パンクラス国際駅

1階に保安・出入国検査、待合、ショップ。二階はユーロスターのホーム。


ユーロスターの発着がウォータールー駅からセント・パンクラス駅に代わる際、「OUBLIEZ WATERLOO(ワーテルロー(英:ウォータールー)は忘れろ!)」というナポレオンの姿が広告に。ナポレオン軍を破ったワーテルローの戦いが駅名になったことに因む(wikiより)。

 

通りの向かい側は、国内主要幹線のキングス・クロス駅。歴史的建造物だからか、隣り合っていても、一緒にしないんだ。

しかし、ハリー・ポッターの映画第2話でキングス・クロス駅の外観は、セント・パンクラス駅が使われたそうだから、一緒なのかな。

ハリー・ポッターといえば、魔法学校のホグワーツ特急のホームPlatform 9¾に行くため、勢いをつけ、レンガの壁に荷物ごと突き進むシーンが印象的。

壁に半分入り込んでいる、旅行カバン2つと、白フクロウの台車。ここで、台車を押す姿を観光客は記念撮影出来るが。

残念ながら、8時前だったので、準備中でした。

隣には、ハリー・ポッターのグッズ店。こちらも開店準備中。

9:31、パリ北駅行きのユーロスターに乗車。

11:26、ドーバー海峡を通過し、フランスのカレーを走行中。英国のストの影響か、ちょっと遅れてる。

11:40、アズブルグ。のどかな田園風景。こういう風景は好きだ。

 

もう少しでパリ。専用鉄道は都市部に近寄らない高架ではないけど、めちゃくちゃ速い

12:10、パリ北駅着。2時間39分かかった。巨額の投資も、ストで効果が半減だね。

パリ北駅周辺は、工事中で、移民の人達がたむろしちょっと治安が悪いそうだ。

荷物を押して、バスの駐車場へ急ぐ。

12:30(フランス時間13:30)バス発車。今日は移動日。目的地はまだ先。